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連載エッセイ [6]
異常気象を追う
吉野正敏

 
ミャンマーのサイクロン
 
[2008年5月2日強いサイクロン「ナルギス」がベンガル湾からミャンマーを襲った。死者は7万7千人以上、行方不明者は5万6千人に及ぶ大きな災害となった。そこで、予定を変更して、今回はこの異常気象について書いておきたい。]

サイクロン「ナルギス」

 このサイクロンは2008年4月27日にベンガル湾中部の北緯12度、東経86度付近に発生した。その後、ベンガル湾の中部にほぼ停滞し、一時は勢力が衰えたが30日午後から東に向かって進み、勢力を増し、ミャンマー南部のイラワジ川(エヤワディ川)の河口付近に5月2日12時ころ上陸した。このサイクロン「ナルギス」(国際名はNargis)は上陸時に勢力はピークにあったと推定される。上陸後も東進し、ミャンマーの南部を横断して、ミャンマーの最大都市ヤンゴンを直撃した。その後、タイ北部へと進んだ。
NARGIS
(図1)サイクロン「ナルギス」の発生からミャンマーへの経路。(図中の数字は日付け。05/02は5月2日を意味する)

 (図1)は4月27日の発生からの経路図である。5月2日6時の推定風速は毎秒59m、最大瞬間風速は72mであった。2日12時の上陸時には風速は毎秒54m、最大瞬間風速は66mと推定されている。

(表1)ミャンマーを襲った過去のサイクロンとそれによる死者数・被災者数
サイクロン名 年 月 日 死者数 被災者数
――――― 1926/5/19 2,700
サイクロン196510 1965/10/23 100 500,000
サイクロン196702 1967/5/16 100 130,200
サイクロン196712 1967/10/23 178
サイクロン196801 1968/5/10 1,070 90,000
サイクロン「ナルギス」 2008/5/2 77,738死者*
55,917行方不明*
1,200,000−1,900,000**
*)2008年5月16日軍事政権発表。
  国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば死者は101,682人、行方不明は220,000人という。
**)The Hindu News の2008年 6月 5日報告では130万人という。

 (表1)をみると、データのある限りでは今回のサイクロン「ナルギス」はミャンマーでは桁外れの大きな被害をもたらしたものであることがわかる。これが重要な第一点である。
 次に過去の11個のサイクロンについてみると、ミャンマーに上陸し被害をもたらしたサイクロンは5月が多く、約7割に達する。あとの2割は10月である。これはミャンマーがベンガル湾の東に位置するので、ベンガル湾に発生した熱帯低気圧(サイクロン)が上空の西風(冬半年に主として卓越する。5月はその名残の強いぶり返し)の影響で東に流されるという条件が欠かせないためである。一方、10月は上空の西風が秋早くに出現し、東に流された場合である。
 (図1)に示したサイクロン「ナルギス」の経路は、これまでミャンマーを襲った大きなサイクロンの経路と比較すると、マクロ的には従来の経路域の中央部で、あまり偏ってはいない経路をとった。しかし、この経路は後述するようにローカルスケールでみるとヤンゴンを直撃する。そして、今回の「ナルギス」が異常気象をもたらしたのは上陸時の強さにあったと言えよう。これが重要な第二点である。
 では、どうして急に発達して東進したのか。まだ、詳しい気象学的な解析はされてないが、2008年4月から5月にかけて、北半球の中緯度や、熱帯域における大気の循環の状態は次のようであった。対流圏上空の200hPa面高度における4月平均の西風の状態をみると東経90度付近では例年より強かった。4月下旬には赤道付近の850hPa(約1,600m)の高度における西風は強く、これがサイクロン「ナルギス」の動きの背景である。
 どうして急に発達したか。その原因の説明は難しいが、東アジアでも4月末から5月初めは異常であった。4月下旬、本州中部の太平洋側は異常高温、5月に入って北日本が異常高温で、5月1日北海道では11地点で30℃以上の真夏日となった。その後、北海道では真冬にもどり雪さえ降った。東アジアのこのような天候変化と、南アジアのサイクロン活動と直接の関連はないが、北半球の特に東経90−140度を含む範囲の大気循環が異常であったことは間違いない。4月には南アジアの熱帯域における対流活動は例年より活発であったこともその一端であろう。“その遠因は地球温暖化である”とは言いきれないが、不気味である。
 このサイクロンによる高潮はヤンゴン川では100kmも逆流し、サイクロンが通過した2日夜から3日未明、各地で水位が3−4m急上昇し、洪水が起きた。また、灌漑水路を伝って水が内陸に侵入し、5−36時間も滞留した。これも、死者や被災者数を増加した。

ベンガル湾のサイクロン

 ミャンマーに今回上陸したサイクロン「ナルギス」は、上述のように、ミャンマーとしては過去に経験したことのない桁外れに大きな被害をもたらした。そこで、サイクロンの発生中心地域であるベンガル湾周辺のバングラデシュやインドとミャンマーを比較し展望してみたい。
 (表2)に資料のある16世紀末以来の推定死者数2万人以上の場合についてまとめた。第1位は1970年の大ボーラサイクロンでバングラデシュにおいて実に55万人という推定死者数である。次いで第2位は1737年のフーリィ川サイクロンと呼ばれる場合で、インドとバングラデシュを合わせて推定死者数は35万人である。この表で見る限り、最近の400年余りの期間に16個あるが、今回のサイクロン「ナルギス」は何と第8位である。歴史的な強大なサイクロンには違いないが、ベンガル湾周辺の地域でみると、1−2を争うような未曾有なサイクロンではなかったと言えよう。

(表2)ベンガル湾周辺国における過去の大きなサイクロンによる推定死者数*
サイクロン名または地域 国名 死者数
1584 バッカーガンジサイクロン バングラデシュ 200,000
1699 サンダーバンズ海岸 バングラデシュ 50,000
1737 フーリィ川サイクロン インド・バングラデシュ 350,000
1767 バッカーガンジ(バリサル) バングラデシュ 30,000
1789 大コリンガサイクロン インド 20,000
1822 バリサル バングラデシュ 50,000
1831 バリサル バングラデシュ 22,000
1839 コリンガ インド 300,000
1864 カルカッタ インド 60,000
1876 大バッカーガンジサイクロン バングラデシュ 200,000
1897 チッタゴン バングラデシュ 175,000
1942 ベンガルサイクロン(カルカッタ) インド 40,000
1970 11月、大ボーラサイクロン バングラデシュ 550,000
1977 デヴィタルク(インド南東部) インド 20,000
1991 4月、サイクロン02B バングラデシュ南部 143,000
2008 サイクロン「ナルギス」 ミャンマー 130,000
[*死者数は、行方不明を含む概数]

 また、(表2)でわかるのは、インドよりもバングラデシュで回数が多く、死者数が非常に多い被害がでていることである。多数の人口をかかえる地域が河口デルタの低湿地であるという条件のためであるが、注目に値しよう。そして、今回のミャンマーのサイクロン「ナルギス」は、記録がある過去400年で、ベンガル湾周辺国としては初めて起こった。この点が重要である。

サイクロン「ナルギス」の被害の特色

 これまで述べてきたように、「ナルギス」の発生時期(5月)は異常ではなかった。経路も気候学的には特に異常ではなかった。ただし、この経路はミャンマーにとっては被害を大きくする最悪の経路である。そして、問題なのは、東進しながら上陸前に異常に急激な発達をしたことである。
 5月2日から3日未明にかけて「ナルギス」は上陸した。1日半経過した4日になって被害状況がやっと国際的に知られるようになった。ヤンゴン市内は停電、市内交通網は麻痺、近郊の港や河川施設は破壊、ヤンゴン市郊外のインセイン刑務所で暴動が報道された。5日昼になってやっとここ100年間で最大規模の“自然災害”(人災と言う語はまったくなし)だったかも知れないと言われ始めた。
 5月5日の衛星MODISの画像では人口700万人以上のヤンゴンは完全に洪水に浸かり、えも、周辺の人口10−50万人の諸都市も水を被っていることが確認された。この段階でも軍事政権は5月10日に予定されていた新憲法制定にむけた国民投票を無事済ませることを最優先に考えていた。5月6日、7日になっても国際的救援活動の意思には具体的には対応しなかった。6日、軍事政権のチョー・サン情報相が“経済制裁を科している米国・EUからも支援の申し出があれば受け入れる”と表明するにとどまっていた。
 5月10日被害を受けた地域以外で国民投票が行われた。5月14日になって、「サイクロンナルギスの進路予測をミャンマーの気象・水文局は5月2日以前に把握していたが、軍事政権側から、“国民投票を前に市民にパニックを起こさないように”と言われ、サイクロンの警報が控え目になった可能性がある」という外国メディアの指摘が流れた。また、予報・警報がかりに的確にでていても、情報伝達のインフラが整備されておらず、また、情報が伝達されたとしても住民の避難態勢が確立していないのだから、どうしようもなかったのではないかという指摘もでた。5月17日になって、(表1)にあげたような死者数・行方不明者数の発表があった。そして、5月20−22日の3日間を軍事政権は犠牲者追悼の半旗掲揚をきめた。しかし、まだ外国人援助要員の被災地への立ち入りを厳しく制限している。インド・タイなどの友好国医療チームの入国だけ許可した。
 5月22日、国連のパン・ギムン事務総長がミャンマーに入り、国際社会の援助活動について軍事政権を説得した。24日には被災地で延期されていた国民投票を実施した。25日には国連事務総長のイニシアティブでASEAN諸国などの支援体制を整えた。 被害発生の2日から3週間以上たってやっと国際的な支援を受け入れる様子が伺えるようになった。これは、大きなサイクロン災害の復旧に対する国際援助においては常識を覆すものであった。異常気象による大きな被害の復旧を国際的に支援する場合の一つの教訓と捉えねばならない。
 このように、今回、軍事政権が国際的な人的援助(入国)を拒んだ理由は、(1)国内の状況を外国人に知られたり、外国人に工作されたりすることを恐れる。特に、投票・開票の状況を外国人の目にふれさせたくない。(2)外国からの救助物資を軍事政権が受け入れ、ラベルをはり替え、自分たちからの救助物資としたい。などであったと思われる。
 今後の課題をまとめると以下のとうりである。(1)水危機。飲料水・生活用水の不足、水質汚染、は深刻になろう。(2)高潮後の塩害。(3)衛生状態の悪化。(4)食料不足。西部エヤワディ地域はコメの生産地でここが大被害を受けた。コメの価格はすでに平年の約2倍で、数ヶ月後には不足するおそれがある。(5)死者の約4割は12才以下の子供である。マラリア・デング熱が発生し、幼児の2割が下痢症状をおこしている。(6)教育施設。小学校・中学校の90%(約4,100校)がサイクロンで破壊された。そのうちの1,255校は完全に破壊した。(7)バングラデシュのようなシェルターの建設。これが急務である。
 復興支援は国内問題か? 「国際社会・国連」と、これに対峙するミャンマー軍事政権とのせめぎあいをみていると、今回の異常気象のもたらした被害は国内問題として解決できない規模になっている。軍事政権は、国内問題として解決しようとすればするほど、自らの生命を短く狭めるだけであろう。


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