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連載エッセイ [14]
温暖化と生きる
吉野正敏

 
古代日本の猛暑日と仏教
 
古代日本の温暖期

 日本では4世紀から11世紀初めころまで、温暖であった。その間、大小さまざまの形の波があった。幾つかの短い、程度の弱い寒冷期がはさまっていた。温暖化のピークは8世紀から10世紀であった。ここを“奈良・平安温暖期”または、“平安温暖期”と呼ぶ。“縄文の海進”(約5,000年前の温暖期)に対比して、近年は“平安の海進”とも呼ばれ、注目されるようになった。
 西南日本では、弥生時代末、1世紀から2世紀・3世紀へと昇温し、4世紀から5世紀初めにはかなり温暖なピークが現れた。言い換えれば、古墳時代のほぼ前半は温暖であった。すなわち、5世紀の初めを除き6世紀初めにかけて低温であったが、その後持ち直し、6世紀末には弥生時代末と同じくらいに温暖となった。 6世紀末には災害は減り、気候はよくなり、地方により、また年により、疫病の蔓延、ひでり、水害などの問題は発生したが、農林業などの生産体制は一般的には順調に発展した。
 この温暖期は北半球では、ほぼ平行して出現した。欧米では“中世の温暖期”とよばれる。ヨーロッパの歴史時代区分では4世紀はすでに中世になる。日本の歴史では10世紀はまだ古代なので、グローバルに考察する場合、古代・中世の名称は混乱する。したがって、世紀で話をするか、別の固有名詞で呼ぶかがよい。日本のなかでは“平安温暖期”でよかろうが、外国には通じない。外国を含めて広く考え、“気候小最良期”、“気候小最適期”などが、英語のLittle Climatic Optimumとも対応してよいと思う。
 日本では中央政権である大和朝廷が確立した。中国では唐の時代で国は栄え輝ける文化が発展した。カンボジァではアンコールの遺蹟でわかるが、時代を画する文明が栄えた。ジャワのボロブドゥールの遺蹟でもやはり当時の安定した経済力にささえられた権力を推定できる。これらの背景には、8−10世紀における農業生産技術の発達、それをささえる好い気候条件の存在があった。

古代日本の仏教

 日本の仏教は古代朝鮮から入ってきた。新羅の浄土教は阿弥陀・弥勒二仏の混淆であったが、いま、阿弥陀信仰についてみると、興味あることに私は最近気がついた。9世紀ころまでの金石文や文献によると、阿弥陀信仰に強い西方志向がある点である。例えば、桂花王后(昭成大王の妃)に「。。。。西方に大聖ありて。。。。」という文がある。また、景徳王(742−765)の時代、「。。。。康州(今の晋州)の善士数十人、西方を志求し、州境において弥陀寺を創め、万日を約して契りをなす。。。。」とある。その他、『三国遺事』巻5にも、「。。。。西方を求むること幾十年。。。。」とある。この西方とは阿弥陀の浄土を意味する。新羅の浄土教信仰が7世紀後半に勃興し、8−9世紀に著しい速さで庶民にまで浸透した。
 このころ、日本の浄土教信仰はまだ低い段階にあったが、新羅から日本社会に伝わり、各層に急速に広まった。遂に11世紀には宇治の平等院建立に至った。1052年(永承7年)関白藤原頼道によって開創され、翌年の1053年(天喜元年)に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂(鳳凰堂)が中堂・両翼廊・尾廊の4棟とともに建立された。水面にせり出し、西を向いて配置されている。平安時代中期から末期にかけての代表的浄土建築の一つである。鳳凰堂の周辺は洲浜・平橋・反橋・小島などがあり庭園としてもすぐれた配置である。これは、現世をとりまく水域をへだてて、そのはるかかなたに存在するとされた西方浄土への期待・怖れを象徴しているように私には思える。朝鮮半島から入ってきた浄土信仰の西方志向の背景には、中国の沙漠・乾燥地帯を経て仏教が伝来したという事実が関係していると考えたい。古代日本人の宗教空間に及ぼした中近東・中国の高温・乾燥環境の影響について、われわれはもっと関心をはらうべきであろう。
 しかも、注目すべきは、平等院が建立された11世紀は気候が最もよかった8−10世紀を過ぎて次第に悪化し始め、変動が大きくなり始めた時期である。末法思想が貴族や僧侶の心を捉え、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に流行した。これは現世のままならない状況のより強い・頻度の高い出現と関係あったとみるのが当然ではなかろうか。
 もう一つの例をあげよう。盂蘭盆経(うらぼん経)はサンスクリット原典にはなく、インド仏教が中国に伝来し、中国で作られた教典という点で、“偽教”または“疑教”とも言われる。いまここで偽や疑を論じるのではなく、中国で生まれたと言う点と、これが日本に与えた影響を指摘したい。たとえば、中国には古来、三元節があった。1年3回の祭りは、上元節(1月15日、天の神を祭る)、中元節(7月15日、地の神を祭る。祖先を祭り、僧侶たちが安居[雨安居 うあんご、夏安居 げあんご]を終えて反省をする)、下元節(10月15日、水神を祭る)とよんだ。このうち、中元は現在の日本でも違ったかたちで(デパートやスーパーマーケットの贈答品売り場で!)、慣わしが(少なくとも文字だけは)残っている。それはともかくとして、中元節を過れば、梅雨があけて、古代日本でも真夏、一年の内の最高気温出現の季節となった。

西方浄土に猛暑日はあったか

 盂蘭盆経が中国で加えられたとすると、以下のスト−リーは注目に値する。「仏弟子の中で、目連(もくれん)は非常な神通力を備えていた。餓鬼道(がきどう、地獄に次ぐ苦しい世界)に落ちて苦しんでいる母を釈尊の教えに従って7月15日の盂蘭盆供養で救った」と言う。「餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物または飲み物さえも手に取ると火にかわるので、けっして満たされない」と言われている。これは、沙漠における人間の生理状況そのものである。湿潤な環境状況がここの思考過程にはまったく入っていない。
 さらに興味あるのは、餓鬼道とは非常な乾燥環境ではあるが、地獄とは異なり“救われることもありうる”世界であった。つまり、中国の北西部や中央アジアの乾燥環境の現実を反映した宗教的な思想空間ではなかろうか。教典にこのような付加が中国で行われたことは、それを偽とするか疑とするかはともかく、中国と朝鮮を経由して伝来した仏教を信仰のよりどころとする日本人は、暑さと乾燥の程度によって地獄と餓鬼道の差を明確に認識することができた。地獄は“灼熱で生存は不可能”、餓鬼道は“猛暑ではあったが生存しうる場合もある”世界である。
 おそらく、8−10世紀の気候小最良期にはシルクロードはその前後の時代に比較して栄えたであろう。しかし、夏にはより高温な猛暑に悩まされたであろう。真夏日の日数も増えたであろう。これらの情報収集・対策が古代においても重要で、仏教の教えによってこれを現世の生きかたに反映させたとみるのは邪道であろうか。


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