生きもの歳時記
万葉の生きものたち / 秋の動物
海鼠(なまこ)

フタスジナマコ
海岸の岩場にごろんと転がったナマコや魚屋さんで売られているナマコを見たことがある方は多いと思います。その容姿は一見気味のよいものではありませんが、日本や中国において古くから食用とされてきたことが知られています。その最古の記録は古事記とされ、その天孫降臨<猿女の君>神話の中に、ナマコの口が裂けている理由が記されています。

フタスジナマコ
・・・・問言汝者天神御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。海鼠不白。爾天宇受売命。謂海鼠云。此口乎。不答之口而。以紐小刀。拆其口。故於今海鼠口拆也。・・・・
(古事記)
天宇受売命(あめのうずめのみこと)が海の魚を集めて「天つ神の御子に従うか?」と聞いたときに、魚達は皆「従う」と言ったのにナマコだけは黙殺した。そこで怒った天宇受売命は「この口は答えぬ口か」と紐小刀でナマコの口を切り裂いた。そのためいつまでもナマコの口は裂けているという。
また、ナマコのもつその独特な雰囲気に魅せられた?俳人も数多く、ナマコを題材とした俳句もいくつか知られています。
生きながらひとつに凍る海鼠かな
(松尾芭蕉 続別座敷)
台所の桶の中で海鼠が何匹も重なりあい、あわれにも生きたまま、一つになって氷りついているよ
尾頭の心もとなき海鼠かな
(向井去来 猿蓑 巻之一)
どちらが尾とも頭ともおぼつかない不得要領な海鼠だこと
このように日本人とナマコのなじみは深く、江戸時代には天下の三珍の一つとして越前の雲丹(うに)、長崎の唐墨(からすみ)とともに三河の海鼠腸(このわた:ナマコの腸の塩辛)が挙げられています。
その名前の由来については諸説ありますが、有力なものとしては古くは「海鼠」と書いて「コ」と呼んだが、後にミミズ形の動物一般を広く「コ」と呼ぶようになったので、混同を避けるため、家の中で飼うものを「カイコ(飼い子、蚕)」、生で食べるものを「ナマコ(海鼠)」のように区別して呼ぶようになったとする説があります。ナマコ料理の海鼠子(このこ:生殖巣の素干し)、煎海鼠(いりこ:ナマコの煮干し)もこれに由来するようです。

マナマコ
ナマコのうち食用とされるのは主にマナマコです。本種は北はサハリンから南は奄美大島付近まで広く分布しており、主に体色の違いによって、アカナマコ、アオナマコ、クロナマコの名前で呼ばれて取引きされています。特にアカナマコとアオナマコは市場価値が高く、関東では体色は暗緑色で肉が軟らかめのアオナマコが、関西では体色は赤褐色で肉が堅めのアカナマコが好まれます。
マナマコの活動が活発な時期は水温が19℃以下となるような晩秋から初夏までで、この時期には積極的に餌を食べ成長します。ただ、高水温には弱く、水温が25℃以上となると「夏眠」と呼ばれる断食状態に入り、全く運動しなくなることが知られています。

マナマコ
ナマコにはこの他に奇妙な習性があり、外敵に襲われるなどの強いショックを受けると、肛門から内臓を吐出して敵の攻撃をかわす「内臓吐出」と呼ばれる行動をとることが知られています。失われた内臓は約1ヶ月ほどで再生するようですが、そのメカニズムに関してはまだよく分かっていません。

ニセクロナマコ
ナマコは捨てる部分のない生き物で、その加工方法も様々です。先に挙げた「内臓吐出」の習性を利用して取り出した腸を塩漬けにした「海鼠腸(このわた)」や、生殖巣を素干しにしたもので高価な「海鼠子(このこ)」、内臓を抜いたナマコを煮て干した「煎海鼠(いりこ)」など、主に珍味とされるものが多いようです。
このわたに唯ながかりし父の酒
(松本たかし)
秋の夜長にナマコを肴に杯をかたむけてみるのもよいのではないでしょうか?

ニセクロナマコ
■参考文献
荒川好満 (1990) なまこ読本 緑書房.
大島 廣 (1962) ナマコとウニ-民謡と酒のさかなの話 内田老鶴圃.
今栄蔵校注 (1982) 新潮日本古典集成 芭蕉句集 新潮社.
白石悌三・上野洋三校注 (1990) 新日本古典文学大系70 芭蕉七部集 岩波書店.