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生きもの歳時記

万葉の生きものたち / 春の動物

蜷(にな)

 「虫」偏に「卷」と書いて「にな・みな」と読みます。ある生き物を表す言葉ですが、みなさんはご存じでしょうか?

 「虫」は、昆虫のことを表すこともありますが、ここでは「小さな生き物」を表す言葉として考えてみて下さい。また、「卷」は、現在では「巻」として使用されています。

 このように考えると、「蜷」は、「なにかを巻きつけようとする小さな生き物」とか、「渦巻きの形をしている小さな生き物」ということになりそうです。・・・どうでしょうか? 頭の中にぼんやりと思い浮かびましたか?

 そう、この「蜷」とは、巻貝のことを表す言葉なのです。


群集するウミニナ(海蜷)

 「蜷」は、大変古い時代から使われている言葉で、日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書紀」の中にもみられます。この中から一つ逸話を紹介しましょう。

 神功皇后が、敵である熊襲(クマソ)の征伐に行ったときのことです。まず皇后は、「蜷」で城を築きます。その後、和平交渉と称して熊襲を城内におびき寄せ、熊襲が城に入った後、皇后は城から脱出、そして蜷で作った城を転覆させて、熊襲を一網打尽にしたそうです。
 「蜷」の城とは、どんなお城だったのでしょうね? 巻貝の先がトゲトゲしていたのでしょうか? 想像すると、少し楽しくありませんか?
 また、少し時代が新しくなりますが、日本最古の歌集として知られる「万葉集」の中でも、いくつかの歌の中で「蜷」が詠まれています。


群集するウミニナ(海蜷)

天なる 日売ひめ菅原すがわらの 草な刈りそね になわた かぐろき髪に あくたし付くも

(作者不詳 万葉集 巻七 一二七七)

日売菅原の草を刈るのはやめなさい。(蜷の腸のように)真っ黒な髪にゴミが付くから。

鴨じもの 浮き寝をすれば 蜷になの腸わた か黒ぐろき髪に 露そ置きにける

(作者不詳 万葉集 巻十五 三六四九)

浮き寝をしていると、(蜷の腸のような)黒髪に露が降りている。

うちひさつ 三宅の原ゆ ひた土に 足踏みき 夏草を腰になづみ いかなるや 人の児ゆゑそ 通はすも我子あご うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ になわた かぐろき髪に ま木綿ゆふもち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊つげの小櫛を 押へ刺す うらぐはし児 それそ我が妻

(作者不詳 万葉集 巻十三 三二九五)

三宅の原を通って、裸足で土を踏み貫き、夏草の中を腰までも入って難渋し、どのような人の娘ゆえにお通いか、我が子よ。
もっともです、もっともです、お母さんは知らないでしょう。もっともです、もっともです、お父さんは知らないでしょう。(蜷の腸のように)真っ黒い髪に、木綿であざさの花を結んで垂らし、大和の黄楊の小櫛を押さえ刺している可愛い女。それが私の妻です。

 「蜷」が詠まれている歌を3首紹介しました。3首目の長歌は問答の形になっていて、前半が父母の問い、後半が子の答えとなっています。さて、どの歌の中でも「蜷」が全く同じ使い方をされていたことに気がつきましたか? 「蜷」は必ず「蜷の腸 か黒き髪に」(蜷の腸のように黒い髪の毛)と詠まれており、巻貝そのものについては歌われておらず、「蜷」の内蔵が黒いことを、黒髪を強調するための枕詞として用いているのです。ここに紹介していない他の歌でも、「蜷」は、すべて同じように詠まれています。何故、黒髪の表現に「蜷」が用いられることになったのでしょう?
 「蜷(にな)」の語源を紐解いてゆくと、一説では、「にな」の「な」という読みは「菜」を表していたと言われています。昔、「菜」は現在のように「野菜」を示すものでは無く「食用」であるものを示す言葉であったことから、「蜷」は「食用の巻貝」のことを表していたと考えられます。確かに私たちもサザエなどの巻貝を食べた時、注意深く見ていれば、腸(内蔵)の色が真っ黒であることに気づきます。万葉集の歌人たちが生きていた時代、人々は自分たちが食べていた巻貝の腸を見て、その黒さが、いかにも黒髪のようだと感じていたのかもしれません。


チリメンカワニナ

 ここで川にすんでいる「蜷」、カワニナのお話をしましょう。
皆さんはカワニナという巻貝を知っていますか?

 カワニナは、日本全国の川にすんでいる巻貝です。地方によって殻の形が様々であることから、いくつも名前が付けられていましたが、近年では、少し整理されて、カワニナ、チリメンカワニナ、クロダカワニナという3種類に分けることが一般的です。また、少し違った種類ですが、ビワカワニナという、琵琶湖において独自に進化したカワニナの仲間が15種類ほど知られています。
 カワニナとチリメンカワニナ、クロダカワニナはとてもよく似ているのですが、クロダカワニナと他の2種類は「殻底肋」と呼ばれる横線の数の違いによって、また、カワニナとチリメンカワニナは、殻の表面にある「縦肋」と呼ばれる縦ヒダの強弱で見分けることができます。しかし最近、DNAを用いた研究結果から、縦ヒダがほとんどでないチリメンカワニナもいることがわかり、殻の形で見分けることは難しいのではないかとの声も聞かれます。
 また近年、このカワニナの世界に変化が生じています。


チリメンカワニナ

 カワニナはゲンジボタルの餌として有名なことから、地元にホタルを増やそうと考える人たちが、様々な河川(海外含む)で採集されたカワニナを入手し、放流することがあります。

 カワニナは各地で殻の形の違いがあることによって、いくつもの名前で呼ばれてきたことを紹介しましたが、他の地域からカワニナが持ち込まれると、もともとすんでいたカワニナと交配してしまい、その地域特有の殻の特徴が無くなってしまうことがあるのです。

 カワニナの殻の形の違いは、種類の違いを表すほど大きなものではありませんが、各地の川で長い年月をかけて変化してきたものです。その歴史が刻まれた形を人間が変えてしまうことになるのは悲しいことだと思います。

 今回、「蜷」という言葉は、「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」に登場するほど歴史が古いことや、カワニナの違いなどについて紹介しました。また、「蜷」は、古くには髪の色に例えられるくらい私たちの生活に身近な言葉だったようです。

 今晩の夕食はちょっと奮発して巻貝のサザエなんていかがでしょう。腸(わた)と共に、黒髪を思い浮かべる古人の気持ちを味わってみてはいかがでしょうか?

■参考文献
神谷・島本 (2005) 日本産カワニナおよびチリメンカワニナの遺伝的変異と形態変異 VENUS 64(3-4),p161-176.
佐竹ら校注 (2000) 新日本古典文学大系2 萬葉集二 岩波書店.
佐竹ら校注 (2002) 新日本古典文学大系3 萬葉集三 岩波書店.


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