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生きもの歳時記

万葉の生きものたち / 春の動物

鰹(かつお)

 春を告げる魚のひとつであり、皆さんもよくご存じのカツオは、スズキ目サバ科に属します。われわれ日本人との関係は密接で、世界共通の学名にも「カツヲヌス ペラミス」と、一部日本の呼び名が使われています。某長寿TVアニメの主要キャラクターの名前にもなっていますし、まず聞いたことのない人はいないでしょう。


市場に水揚げされたカツオ

 体は太く、砲弾型をしていて、大きいものでは体長1m以上、体重20㎏あまりになります。特徴的な縞模様は、実は興奮時や死んだ後にはっきりと現れるもので、生きているときは背中の後ろの方に4本の綺麗な紫色の斑紋がみられます。
体の一部を除いて鱗はなく、第1背鰭と胸鰭、腹鰭は体にピッタリと納めることが出来るため、水の抵抗を少なくして、なんと時速30~40㎞で海中を泳いでいます。イワシなどの小魚を始め、エビやイカなどを食べ、全世界の温帯から熱帯域に広く分布しています。日本近海では、北海道以南の太平洋岸、九州の西岸に来遊し、春に黒潮に沿って北上し、秋に南下する回遊を行います。
 カツオは大昔から食料となっていたようで、縄文時代の貝塚(食後の貝殻などを捨てた場所)からも、動物の骨や角で出来た釣り針等と一緒に、カツオの骨が多く出土しています。日本書紀や古事記(奈良時代)といった古い書物にもカツオに関する記述があり、特に法律や儀式等の詳細を定めた大奉律令(奈良時代)や延喜式(平安時代)には、税として徴収する量などが詳細に定められていることから、朝廷に貢納する海産物の一つとして重要であったことがうかがえます。なお、当時は「鰹」ではなく「堅魚(かたうお)」という表現がされており、これが「かつお」の語源とも言われています。カツオの刺身を食べたことのある方ならお分かりかと思いますが、カツオの肉はむしろ軟らかい方です。では、なぜ堅魚なのでしょうか?これは煮たり干したりすると硬くなることから来ているようで、現在の鰹節を思い浮かべていただくと分かりやすいかと思います。また、「堅魚煎汁(かたうおいろり)」という記述もあり、これはカツオの煮汁をさらに煮詰めただし汁で、最高の調味料とされていたようです。カツオは傷みの早い魚なので、遠く都へ運ぶために当時は主にこのような加工品として利用されていたようです。
 このように古くから記録のあるカツオですが、万葉集に出てくるのは、このコーナーの鯛(たい)の回にも紹介した、浦島太郎を題材にした長歌の「~浦の島子が 鰹釣り 鯛釣り誇り~」の一箇所だけ。意外ですね。他には平安末期の歌人西行法師が、次のように詠んでいます。


市場に水揚げされたカツオ

(沖の方より、風のあしきとて、かつをと申すいを魚釣りける舟どもの帰りけるに) 伊良湖崎に 鰹釣り舟並び浮きて 北西風はがちの波に 浮かびつつぞ寄る

(西行 山家集)

伊良湖崎の沖の方から、風が悪いというので、鰹を釣る舟が一斉に並んで、西北からの風に立つ波に揺られ浜辺をさして近寄ってくることだよ。

 これらの歌から、当時既に船で沖へ出てカツオを釣っていたことが分かります。
 各地で漁獲され、都へも納められていたカツオですが、徒然草(鎌倉時代)には次のような一文がみられます。

鎌倉の海に、鰹といふ魚は、かの境には双なきものにて、此頃このごろもてはやす物なり。それも、鎌倉の年寄りの申しはべりしは、「この魚おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部しもべも食はず、切りて捨てはべ侍りし物なり。」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

(兼好法師 徒然草 第百十九段)

鎌倉の海にいる鰹という魚は、あの辺りではこの上ない物としてこの頃もてはやしている。その鰹も、鎌倉の年寄りが言うには、「この魚は、私達が若かった頃までは、身分の高い人の前に出ることはありませんでした。頭は下人も食わず、切って捨てた物です。」とのことだった。このような物も、世も末となれば上流社会にまで入り込んでくるのである。

 この文をそのまま捉えると、鎌倉時代以前には上流社会においてカツオは食べられていなかったことになりますが、これは当時わがもの顔に振る舞っていた武士に対する痛烈な風刺が隠されており、特に賤しい身分から成り上がったと噂された武士の頭梁への批判であったと考えられています。
 その後もカツオの食文化は発展し、室町中期にはカツオのもう一つの姿とも言える鰹節が作られるようになりました。特に戦国時代になってからは、戦場での保存食として武士に重宝され、「勝男武士」と語呂を当て戦に勝つ縁起物として普及していきました。


現在でも人気の初鰹

 江戸時代になると庶民の食文化も発展し、江戸に近い小田原沖や鎌倉沖に漁場があったことから新鮮なカツオが流通するようになり、刺身などの生食も一気に拡がりました。特に、春に北上してくるカツオを「初鰹」と呼び、その人気は凄いもので、かの紀伊国屋文左衛門が初鰹1尾に五十両(現在の値で約150万円!)を払ったという話が伝わっています。江戸っ子の初鰹への熱狂ぶりは、数多くの俳句や膨大な数の川柳が残されていることからも容易にうかがえます。  初鰹を詠んだ俳句として最も有名なのは、やはりこの一句でしょう。


現在でも人気の初鰹

目には青葉 山時鳥ほととぎす 初鰹

(山口素堂)

目には生き生きとした青葉が写り、山にはホトトギスの鳴き声が響く、美味しい初鰹に舌鼓を打つ時期がやって来たのだなぁ。

 このように春~初夏にはカツオは欠かせない存在で、高額であっても先を争って買い求めたよう です。この様子は、女房を質に入れても買いたい、といった内容の川柳にもよく表れています。初詣、初売り、初日の出…、日本人は昔から初物に弱いんですね。
 現在、カツオは様々な方法で漁獲されていますが、その代表的な漁法が一本釣りです。沖合で流木やサメ、クジラ、鳥山(餌を獲っている海鳥の群)などの周り付いている群れを見つけ、船から生き餌(イワシ)をまいてカツオを寄せ付けます。その後海面へ向かって勢いよく散水すると、カツオはこれを逃げまどうイワシの大群と勘違いして一斉に向かってきます。そこへ長竿で擬餌針(餌に似せて作った釣り針)を振り込み、次々に釣り上げていきます。カツオはめったに巡り会えない餌の群れと思いこんでパニック状態になっているため、生き餌でなくても次々に食いついてくるのです。


カツオのたたき

なまり節

 水揚げされたカツオは、刺身、たたき(外側を軽くあぶったもの)はもちろん、古くから伝わる鰹節やなまり節といった加工品から、内臓を塩漬けにした酒盗(しゅとう)や、心臓を味噌煮込みにした珍味まで、様々な形で賞味されます。先程の初鰹はもちろん、秋に南下してくる戻り鰹も脂がのっていて大人気です。

 また、時期や黒潮の流れによっては沿岸域にも来遊するため、釣り人にも人気があり、擬餌針に食いつく習性からルアーフィッシングの好対象にもなっています。まさに釣って良し、食べて良しの魚なのです。
 このように、日本人とは切っても切れないカツオですが、人間ばかりでなく海の生態系でも大きな役割を果たしています。一般に外洋域は、沿岸域に比べて生物量が少なく、栄養源の乏しい海域ですが、カツオはあえてこのような場所で大量に産卵し、時には共食いをしながら広く分布・成長していきます。このカツオの稚仔魚は、同じく外洋域に生息するマグロ・カジキ類など、魚を食べる生物の重要な餌となっているのです。様々な恩恵を与えてくれるカツオが幻の魚となってしまわないよう、これからも大事にしていきたいですね。

■参考文献
海老沢志朗 (1996) かつお・まぐろと日本人 -うまい刺身が食べたい- 成山堂書店.
落合 明・田中 克 (1986) 新版魚類学(下) 恒星社厚生閣.
塩田丸男 (2005) 歌で味わう日本の食べ物 白水社.
宮下 章 (2000) ものと人間の文化史97 鰹節(かつおぶし) 法政大学出版局.
若林良和 (2004) ベルソーブックス018 カツオの産業と文化 成山堂書店.
後藤重朗校注 (1982) 新潮日本古典集成 山家集 新潮社.


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