生きもの歳時記
万葉の生きものたち / 夏の動物
蛙(かはづ)
カジカガエル
カジカガエルは渓流にすむアオガエル科のカエルです。大きさはオスが3~4.5センチ、メスが4~8センチと、メスがオスよりひとまわり大きくなります。体は灰褐色をしていて川の岩や石と見分けがつかず、なかなか見つけることができません。オスは「フィフィフィフィー」と高く美しい声で鳴き、昔の人は籠で飼育してその声を楽しみました。
カジカガエルは昔から日本文学にも登場しています。万葉集にはカジカガエルのことを指す「かはづ」が十数首ほど詠まれています。
瀬を速み 落ち激ちたる 白浪に かはづ鳴くなり 朝夕ごとに
(作者不詳 万葉集 巻十 二一六四)
川の速い流れが落ちて激しく逆巻くところに白波がたっている。そこで河鹿ガエルが朝も夕も鳴くことだ。
カジカガエルが流れの速い川にすみ、夕方から明け方にかけて鳴くという習性を的確に詠んだ歌です。
カジカガエルは大正時代まで秋の季語でした。万葉集でも秋の頃に詠われた歌に登場しています。
神奈備の 山下とよみ 行く水に かはづ鳴くなり 秋と言はむとや
(作者不詳 万葉集 巻十 二一六二)
神奈備の山の麓に響き流れる川に河鹿ガエルが鳴いている。はや秋だと言おうとしてか。


石の上に佇むカジカガエル
しかし、実際にカジカガエルが鳴くのは繁殖期の4月から7月にかけてのことです。この時期、カジカガエルのオスは渓流の開けた場所で縄張りをつくりメスを呼び、ペアになったメスはオスを背中に乗せて水中の石の下に産卵します。では、なぜカジカガエルは秋の季語とされたのでしょうか?
それは、カジカガエルの鳴き声がシカに似ており、川の鹿という意味で「河鹿(かじか)」とも呼ばれることに由来します。秋になると繁殖期を迎え、つがいを求めて鳴くシカは秋の季語としてよく知られています。
カジカガエルを秋の季語とした万葉集(二一六二)の歌の解釈については、昭和初期の動物生態学者の東光治が「万葉動物考」で記しています。それによると、「昔は立秋から秋とし、盛夏の頂上から少しでも温度が下降しはじめるともう秋としてしまったのであるから、この意味の秋の初めなら、河鹿の鳴き終わりに近い声は聞かれるであろう。万葉集(二一六二)は恐らくその頃の作歌であって、カジカの鳴き盛りに詠んだものとは思われない。」とされています。
一方、カジカガエルは、春から夏にかけての頃の歌にも詠まれています。


石の上に佇むカジカガエル
かはづ鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花
(厚見王 万葉集 巻八 一四三五)
河鹿ガエルの鳴く神奈備川に花影が見える。いま山吹の花が咲いているのだろうか。
実は近年、カジカガエルのほかにも渓流にすむカエルが2種類、発見されました。それは、アカガエル科のナガレタゴガエルとヒキガエル科のナガレヒキガエルです。カジカガエルの繁殖期が4月~7月なのに対し、ナガレタゴガエルの繁殖期は2~3月、ナガレヒキガエルの繁殖期は4~5月です。では、万葉集に詠まれたのはナガレタゴガエルやナガレヒキガエルだったということはないのでしょうか?
美声の持ち主の素顔
しかし、ナガレタゴガエルとナガレヒキガエルは水中でしか鳴かないうえに鳴き声は低く、カジカガエルのように陸上にまで響くことはありません。しかも、これらのカエルが生息する地域は山間部のごく一部に限られており、万葉人のそばに生息していたとは考えにくいのです。これで、万葉集に詠まれた「かはづ」はやはりカジカガエルということで一件落着、ということになります。
カジカガエルが生息できる清流をいつまでも守りたいものですね。
■参考文献
碓井益雄 (1998) 蛙 法政大学出版局.
佐竹ら校注 (2000) 新日本古典文学大系2 萬葉集二 岩波書店.