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健康コラム

春のコラムの記事一覧

No.21

2004.4 Categories生活コラム・春

花冷え

「春に三日の晴れなし」。花冷えは、一種の「寒の戻り」による現象です。

ちょうど今、関東ではサクラが見頃ですね。予報では春らしい暖かい日が続きそうですが、葉桜や八重桜の頃になって意外に肌寒い日があります。一般には「花冷え」といわれますが、東北地方の一部の地域では「花コタツ」と呼んでいるところがあります。サクラの便りがきかれるにもかかわらず、コタツやストーブをしまいきれずにいる状態のことで言い得て名言です。
これは、一種の「寒の戻り」による現象です。「寒の戻り」は、移動性高気圧が発達する日か、南岸低気圧の天気の時に起こりやすいといわれています。移動性高気圧に覆われると、晴天の朝方、放射冷却による冷え込みが強くなります。日中は比較的暖かいですが、夕方の花見時になると、ござをひいて座っていても腰のあたりがぞくぞくと寒くなります。低気圧が太平洋岸を通過するときは、冷たい北よりの風が吹き、ときには春時雨やみぞれが降ることもあるので、もっと強い「寒の戻り」になります。
3月下旬から4月中旬にかけては通常天気が不安定で、「春に三日の晴れなし」ということわざがあり、「花冷え」とか「寒の戻り」は毎年経験することです。このような春の不安定な天気はどうやら日本だけではないらしいのです。
イギリスの4月のことわざにも「4月のにわか雨が5月の花を咲かせる」というのがあります。日本に比べて天候に恵まれないイギリスの春は、曇りや雨の日が多いのですが、4月になると西からの暖かい風が吹いてきて春らしくなります。その風をZephyr(そよ風)といい、大陸の西岸気候の特徴でもあります。アジア大陸の東岸気候とは、やや春の趣きは異なるようです。
なお、「花冷え」を招く「寒の戻り」で、時には晩霜(おそじも)が降りて農作物などに多大な損害をもたらすことも少なくありません。

No.20

2004.3 Categories生活コラム・春

春の彼岸

南では「気温の春」、北では「光の春」を楽しむ?!

春の彼岸の中日は3月20日、春分の日です。本来、中日をはさんで前後3日間を含む1週間が彼岸です。昔は彼岸の間、毎日お寺参りをしてお説教を聴き、お経を唱え、信仰生活を学ぶ修行をしました。この修行の功徳を、先祖にふり向けるのが彼岸の墓参りでした。しかし、昨今は中日にお墓参りすることが、彼岸の行事になってしまいました。
お墓参りができない遠い土地で生活していても、自宅の仏壇に花を飾り、お膳を供え、あるいはぼたもちを供えます。この風習は、地方や宗派によって少しずつ異なります。家庭それぞれではありますが、正月と盆の中間にくる日本人にとっての精神的な節目が彼岸だともいえましょう。仏壇やお墓にささげる花として欠かせないのがキンセンカです。キンセンカは、冬暖かい南房総では温室などがいらないので、戦前から栽培されていました。漁業を営む兼業農家に取り入れられ、また、水田の裏作として田んぼの排水をよくして栽培されました。
ところが最近では水稲の栽培をやめて花の栽培に力を入れるようになりつつあります。9月に種を播き、10月に定植し(苗床で育てた苗を、田や畑に本式に植え付けること。)、11月に摘心し(果樹などの頂芽を摘みとること。側枝を伸ばすためやよい花・実を得るために行う。
) 、2~3月にかけて開花期を迎え、春の彼岸の需要に向けて出荷します。
キンセンカはドイツ語ではリンゲルブルーメンですが、俗にはシュトデンテンブルーメン、直訳すれば「学生の花」とよびます。なぜ「学生」の花なのかわかりませんが、霜にも強く、栽培の手間が比較的かからないキンセンカは、粗末な食事でも生きていく学生の姿に似ています。そして、バラのように優雅ではありませんが、見た目に非常にたくましいのです。そして社会的な発言力(市場での価格)はまだ弱いといったイメージです。そういえば、南房総の最近のキンセンカ畑では、冬の寒い風を弱めるため、防風垣や防風ネットを畑の風上側に仕立てます。日本の「学生」は、花も背丈も大きいが過保護のようです。
さて、「寒さ暑さも彼岸まで」とよくいわれます。日本は四季の変化が明瞭であり、寒い冬が過ぎて春がくるのを人びとは待ちわびています。春の彼岸の声をきいて、寒さから開放されたのを喜ぶのです。秋の彼岸も同じで、もう暑さからは逃れたという気持ちが強いのです。気温そのもの、すなわち「絶対値」ではなく、このような気温の変化傾向が大切なのです。
春の彼岸のころの日平均気温は、北海道ではまだ0℃以下のところがほとんどです。東北地方で4~5℃、南に行くにしたがって高くなり、九州で11℃以上、沖縄では18℃以上になります。一方、秋の彼岸は、秋の始まりなので春の彼岸と比べると、気温はまだかなり高いです。そして面白いことに、春の彼岸と秋の彼岸との気温差は、南北に細長い日本では高緯度の北海道で大きく、低緯度の九州で小さくなっています。北海道では14~15℃、東北地方で13~14℃、関東から中央日本で約13℃、九州で約12℃、沖縄では8~9℃です。これは、極地方ほど極夜(高緯度地方において、冬至をはさみ太陽が地平線上に出てこない期間。)と白夜(高緯度地方において、夏に真夜中でも薄明か、または日が沈まない現象。)のコントラストが大きく、冬と夏の気温差が大きいためです。つまり、北ほど春のスタートが遅れますので、春分の頃の気温には、北の地域ほど冬の名残が強いのです。春の彼岸のころは、南では「気温の春」を楽しみ、北では「光の春」を楽しむのです。

No.19

2004.3 Categories生活コラム・春

ひなまつり

平安時代の貴族のひなあそびと五穀豊穣の行事が結びついてでき、現在に至っています

3月3日はひなまつりですね。ひなの節句、桃の節句ともいわれ、春の開幕を告げる行事となっています。この日、女の子のいる家ではひな壇に緋毛氈を敷き、ひな人形やミニチュアの調度品を飾ってぼんぼりを灯し、ひなあられ、菱餅、白酒を供え、女の子の健やかな成長と幸せを祈ります。ひなまつりが現代のようにひな人形を飾る形に定着したのは比較的新しく、江戸時代に五節供の 1つに定められてからで、一般庶民の間で広まったのは明治以降のことといわれています。
しかし、3月最初の巳(み)の日、すなわち3月上巳(じょうし)の節供行事の歴史は旧く、中国古代、人々が水辺に出て禊(みそぎ)を行い、酒を飲んで災厄を払った行事に由来します。これが上代の日本に伝わり、平安時代にはひとがた(人形)で体を撫でて穢れ(けがれ)を移し、これを水に流して祓えとする風習になります。「曲水の宴」といって、宮中や公卿の邸宅で催された遊宴の1つで、邸内の小川に面して座り、上流から流れてくる酒盃が通過する前に詩歌を作り、同時に酒盃を飲み干して盃を流すというものです。現在でも九州の大宰府天満宮で3月の第1日曜日に行われています。この思想は、今日も鳥取県や和歌山県など多くの地方でみられる流しびなの行事に伝えられています。
一方、日本にも3月上巳に、野遊び、山遊び、磯遊び、浜下り等といって、その日は1日仕事を止めて、外で飲んだり食べたりして過ごす禊の風習がみられました。3月始めは、農耕生活にはとても大切な節目の日です。魔よけの霊力を持つといわれる桃の枝をもって、秋の実りを占い、五穀豊穣を祈りました。
このように、ひなの節供は、平安時代の貴族のひなあそびがこの上巳の風習と結びついてでき、ひな人形を飾り、ちらし寿司やはまぐりのお吸い物など、ひなの御馳走を皆で食べて遊ぶ風習が定着したといわれます。鎌倉・室町時代には武家の女児にも受け入れられ、急速に広がっていきました。人形は元来紙で作った簡素な物でしたが、室町時代、江戸時代と次第に豪華な飾るための人形が造られるようになり、現在に至っています。
なお、内裏雛の男雛と女雛の並び方は時代によって変化し、大正時代以降今日では男雛が向かって左、女雛が右となっていますが、京都では今でも女雛を左に飾ります。

No.8

2003.9 Categories春のコラム

蕎麦とお米~神様の贈り物~

民話や田の神信仰にみられるように、日本人にとって蕎麦とお米はやはり特別なものなのです

蕎麦(そば)の白い花は、真っ青な秋の空の下に映えます。中国、唐代の詩人、白居易も「蕎麦の白い花が月夜になると雪のように見える」と詠んでいます。春蒔きの夏蕎麦に対して、夏に種を蒔いて秋に収穫するのが秋蕎麦です。お米や小麦を栽培できないような悪条件の土地でも成育します。蕎麦には血管を強化するルチンが含まれ、また血漿コレステロールを低下させる効果もラットの実験で確かめられています。
日本人は蕎麦切り(麺)が大好きですが、蕎麦を麺にして食べるのは他に中国、韓国ぐらいです。ヨーロッパやロシアなどでは、粥(たとえばロシアのカーシャ)、水と練って薄焼き(チャパティやナン)、パンケーキなどにして食べます。ブリニも蕎麦粉を配合しますが、それだけでは作りにくいので小麦粉と混ぜて調理します。特に有名なのはクレープで、もともとフランスのブルターニュ地方の農民が食べていたものです。
蕎麦粉引きは単調で辛い労働でしたので、石臼を回しながら歌った多くの歌が残っています。お米の代わりに「そばがき」でも腹一杯食べたいという農民の悲しい歌もあります。蕎麦に関する民話も各地に残されていますが、その代表的なものに、蕎麦の茎が赤いのはなぜかを語ったものがあります。弘法大師あるいは神様が川を渡る時に他の穀類は嫌がったが、蕎麦が背負って冷たい川を渡り、そのために足が赤くなったといわれています。蕎麦が川の近辺で栽培され、めでたい席で食べられるのもこの民話に由来するようです。
お米も「稲荷神社」に象徴されるように、信仰の対象とされてきました。稲荷は「イネナリ」の転じたものと考えられ、京都伏見の稲荷神社を中心にして、稲の神として全国的に普及しました。水田耕作中心の日本では、古くから農耕に関する儀礼や祭りがあり、神と結びつけて信仰されてきました。つまり、耕作の始まる春に、山の神が田に下りてきて田の神となり、秋の収穫が終わると山に戻って山の神になるというのです。春祭りや秋祭りは、この神を迎えたり送ったりする農耕儀礼であったのです。
お米は小麦とならぶ世界の二大穀物で、その大部分は東南アジアで生産され、消費されています。日本では最近30年間減少の一途を辿っているとはいうものの、主食として少なくとも1日に1回は食べているのではないでしょうか。
日本人の好むお米はジャポニカ種であり、飯としたときにやや粘りのあるものですが、これは世界的には少数派です。全世界のお米の生産量の8割はインディカ種であり、その細長いお米をなるべく粘りを出さないように、パラパラに仕上げて食べる国が多いようです。フランスもその一つで、一粒一粒がくっつかないようなポロポロ状態を好むようです。日本人は、飯の適度な硬さと粘りけにこだわりがあります。
日本を含む東南アジアではお米はエネルギー源として重要ですが、ヨーロッパでは魚料理の付け合わせである野菜の一種くらいにみなされています。まさに食文化の大きな違いですね。


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