健康コラム
生活コラム・夏の記事一覧
No.25
2004.8 Categories生活コラム・夏
ゆかた
暑い夏は日本情緒を楽しもう
梅雨明けを待つかのように、7月・8月は花火のシーズンです。隅田川花火大会、東京湾大華火祭りなど、各地の水辺では花火大会がめじろおしです。花火大会といえば「浴衣(ゆかた)DE花火」などというキャッチコピーが出るほど、ここ数年若い女性を中心とした浴衣ファッションが流行し、最近ではすっかり定着したようです。浴衣の種類も白地に藍染めの古典的なものから、ゴルチエやベネトンといったカラフルなブランドもの、肩や脚を出した洋服とのボーダレス・デザインものまで多種多様です。また、女性ばかりではなくカップルで浴衣を楽しむ姿もちらほら見られるようになりました。日ごろ和服とは縁のない日本人ですが、夏の夕べ、一風呂浴びてさっぱりした素肌に浴衣、素足に下駄、団扇を片手に、日本情緒を楽しむのもいいですね。
浴衣の語源は湯帷子(ゆかたびら)です。鎌倉時代、身分の高い人が入浴するときに着ていた麻の白地の単衣を湯帷子といいました。庶民が浴衣を着るようになったのは室町時代以降で、この頃木綿が日本でも栽培・生産されるようになり、水はけは麻より劣るものの、麻より安価でやわらかい着心地の木綿の長着が、湯上りのくつろぎ衣として用いられるようになります。浴衣は手拭に対して身拭とも言われました。また、この頃、盆踊りが盛んになり、木綿や麻の揃浴衣(盆帷子)が流行しました。
現代でも祭りには揃いの浴衣を着ますが、この時代に端を発しているのですね。江戸時代後半になると、浴衣は貧しい庶民の普段着となると共に、絹の使用を制限されていた町人たちの表現意欲の向かうところとなり、絹物にはない大胆で粋な浴衣特有の図柄が創出されました。浴衣地は、吸湿・吸水性に富んだ木綿で汗を吸いやすく着心地のよいものですが、更にぱりっと糊を効かせて肌離れを良くし、これを素肌に着ると、袖口や胸元から入る風が皮膚表面を通り抜けます。帯も幅の狭い単の半幅や角帯、やわらかい兵児帯(へこおび)などで楽に着て、それでも暑いときは、襟を抜いたり、袖をたくし上げたり、団扇で風を起こして涼を取ります。浴衣姿には、冷房など無い時代に、蒸し暑い日本の夏をやり過ごしてきた庶民の衣生活の知恵が込められているようです。
No.6
2003.8 Categories生活コラム・夏
避暑~森の空気を意識する~
自然の大気を満喫し、健康増進という観点から避暑を改めて見直してみましょう
避暑というと、猛暑の都会を離れて高原の別荘に滞在するという、ステイタス感覚をくすぐるようなイメージがあります。そもそも避暑は、明治期に日本に滞在していた欧米人が、高温・多湿の夏に耐えられず、すごしやすい場所を探したことに端を発しています。
日本最初の高原避暑地である軽井沢は、明治中期にイギリス人宣教師ショーが移り住んで以来、発展したものです。軽井沢の夏はイギリスの気候に似て高温・多湿ではなく、ブナなどの落葉広葉樹林の植生も共通しています。軽井沢には、欧米人が慣れ親しんだ風景が広がっているのです。避暑地は、欧米人がなじんだ快適環境といえるでしょう。
では、彼らは避暑地でどのように過ごしてきたのでしょうか。欧米人にとって、避暑地での生活の中心は森にありました。森の中を歩きながら歓談し、気持ちを落ち着かせました。森は思索にふけったり体調を整えたりする場所だったわけです。避暑とは、屋外で自然の大気を満喫することだったのです。
森を歩く習慣は、日本では後に森林浴としても注目されることになります。しかし、そこでは樹木が発するフィトンチッドなる物質の効果ばかりが語題になりました。森の空気を意識し、程よい運動をしながら呼吸を整えリフレッシュをするという、本来の意図はあまり普及しませんでした。そのために、森を歩くという習慣を持たない日本人にとって、森を利用した避暑のあり方も、十分には定着してこなかったといえます。
ところで、大気を利用した休暇は、病気の治療と関連しています。ドイツでは、豊かな森や海岸に療養所が設けられ、長期滞在による治療が施されました。日本でも明治期には都市郊外や農村に療養所が作られ、大気を利用した治療が行われました。しかし、細菌学の発展とともに大気療法は影を潜め、治療の舞台は都会の病院に移っていきました。以後、身体にとっての大気の意味は、軽視されてしまうことになります。
避暑を、大気や植生などの身体に影響を与える環境を積極的に利用して、健康増進をはかるものと考えることによって、とかくイメージでとらえられやすい避暑を、改めて見直すことができるのではないでしょうか。
No.4
2003.8 Categories生活コラム・夏
梅干し
知っているようで知らない梅干し。少し詳しくみてみましょう。
今年は例年より梅雨明けが遅いですね。梅雨とは、語源大辞典(柳井令以知)によると、
夏至を中心に前後20日ずつの雨期、梅の実が熟する時期にあたるので梅雨という。物にカビが生えやすい時期なので微雨とも書く。
とあります。梅雨の語源であるウメはバラ科の花も実もある植物で、8世紀半ばに中国から渡ってきたと考えられています。主として鑑賞用の品種と、実を目的として栽培されている品種とがあり、実の大きさにより小粒種、中粒種、大粒種にわけられます。
ウメの実の成分は五訂食品成分表によると、水分90%で糖が少なく、有機酸が多いため酸味が強いとあります。有機酸の大部分はクエン酸で、リンゴ酸も比較的多く含まれています。クエン酸はよく疲労回復効果があるといわれていますね。
青いウメの実には青酸が含まれ有毒であるといわれます。これは、ウメの実の核にアミグダリンという青酸化合物が存在し、酵素によってマンデル酸ニトリルとグルコースになり、さらに別の酵素によってベンズアルデビドと青酸になります。これらは核の部分に多く、多量に食べると中毒(下痢など)を起こします。果肉の剖分にはそれほど多くありません。このベンズアルデヒドは梅干しや梅酒の芳香の元となっています。また、酸化されて安息香酸になると静菌作用があり、弁当の飯に入れるのも保存効果をねらった習慣のようです。
梅干しづくりにチャレンジ!
1.果肉の多い熟したウメを洗って一夜水に漬け、水気をふきとる。
2.容器に塩をふってウメを入れ、その上に塩を振って再びウメを並べる。これをくり返す。(塩の割合はウメの量に対し20~30%ですが、塩を少なくしたい場合は、消毒効果のある焼酎をかけるとよいでしょう。)
3.重石をして冷暗所に保管する。4~7日後にウメから水が出てくるが、これが梅酢です。
4.赤紫蘇(あかじそ)が市場に出回ってきたら葉をきれいに洗って塩でもみ、あくを除く。
5.水が上がったウメの上に赤紫蘇を広げ、今度は軽く重石をする。
6.土用の晴天の日を選んでウメと赤紫蘇を竹ざるに広げ、途中裏返しながら三日三晩の土用干しをする。
赤紫蘇の色はアントシアニン色素のシソニンの色です。アントシアニン色素はpHによって色調が変わり、酸性では鮮やかな赤い色となります。シソからとけ出した色素が梅酢のクエン酸による酸性の影響をうけて、シソもウメも赤く染まるのです。
梅干しは干すことで軟らかく仕上げますが、乾燥させることなく漬け込んだものは梅漬けとよばれます。特に小粒の未熟ウメを石灰、乳酸カルシウムなどのカルシウム塩を添加して硬く仕上げることもあり、カリカリ梅として市販されています。この場合、食塩濃度は初めから高濃度にするとシワがよるので、徐々に濃度を上げるという方法をとります。