異常気象時代のサバイバル
No.26
2015.01.07
吉野正敏
雷さまの住むところ
雷の季節
30年~40年前まで、関東以西の太平洋側に住む者は、雷の季節は疑う余地もなく夏であった。『雷が鳴ると梅雨が明ける』と言うことわざがある。気象学の教科書は『北太平洋高気圧が強くなってきて、梅雨前線は北に押し上げられる。その時上空にまだ寒気があれば強い上昇気流を生じ積乱雲を発生させ雷雲となる。いわゆる界雷である。梅雨前線の少し南側では、午前中から強い日差しで地面付近の気温が上がり、上昇気流が発達する。そして午後には積乱雲を発達させ雷雲となる。いわゆる熱雷である』と説明する。実際に各地に住んでいる人は自分のところの雷が界雷だか熱雷だかわからないことが多い。しかし、教科書的な分類はできなくても、翌日からは北太平洋高気圧に覆われて真夏となる。雷が鳴るのは確かにサインなのである。
近年、この雷が強くなって、強い雨を伴って洪水を起したりする。落雷で停電が起こり、生活・交通などにもいろいろ支障をもたらす。そして、真夏になって、熱雷の頻度は増し、強さもひどくなってきたように感じる。梅雨前線が真夏に生き返り、強大になったかのようである。これが主として、日本列島の関東地方以西の太平洋側に住む人の感じである。
ところが、日本列島における雷日数の月別の分布図を見ると、本州の日本海側では冬にも雷の発生が多いことが明らかである。これは昔の教科書にあまり書いてなかったためか、他の地域の人は知らなかった。しかし、東北・中部・近畿・中国の諸地方の日本海側に住む人たちは冬に雷が多いことをよく知っていた。冬になって雷が鳴ると『雪起し』と呼び、間もなく雪が降ることを予期した。秋田付近で冬よくとれる美味な魚のハタハタを、国字では魚へんに雷と書く。これも土地の人の感覚とよく合う。気候学が捉える以前に土地の人たちは冬の雷を捉えていた。
神話時代の雷
では、雷の季節を日本人はいつ頃から認識したのであろうか。古事記の中にはこれに直接答える材料は書いてない。そこで、神話学を頼って状況判断するよりほかない。
日本神話のイザナミ・イザナギの陰陽二神は雷雲のことであるという(原田、1978)。その発生場所は北九州のオノゴロ島(雷山)が最初で、話の推移から、日射が強く高温である夏と考えた。この雷神は北九州の伊都国に始まり、九州中央の阿蘇に至り、再び北部九州の奴国に戻った。すなわち、筑紫・豊・肥など、現在の宮崎県・長崎県を除く九州のほぼ全域を対象としている。そうして、この神話の構成から、大陸との関係が強かったと考えられる。日本列島の日本海側の冬の雷には関わりはなかったとしてよかろう。
歴史時代になって風神・雷神の像や絵が中国から渡ってくる。この雷神の源はガンダーラといわれ、中国の経由地を含めて、暖候季の雷であることは間違いない。
雷日数の時代的変化
日本人の生活にかかわる雷の発生が、最近の地球温暖化によって変化してきたかどうか調べてみた。上に述べたように、梅雨前線活動が強くなり、また盛夏にも梅雨のような気圧配置になって、強い雷がよく発生するようになったことはすでに指摘されている。また、関東平野や西南日本の盆地では盛夏の強い日射により強い熱雷の発生が指摘されている。日本海沿岸の冬の雷も回数は増え強くなってきたようである。昔は一発雷といって、“ドン。。。。”と鳴るだけであった。ところが、最近は、“ドロドロドロ。。。。ドン。。ドン。。”と、明らかに雷活動が活発化していることが指摘されている。
(表1)は10年ごとに区切った年雷日数の変化である。特に日本海沿岸の状況を見るために九州の福岡から松江・新潟・秋田を選んだ。太平洋岸として東京を選んだ。
(表1)10年ごとの年雷日数の変化、1931-2010年 |
10年の期間 | 福岡 | 松江 | 新潟 | 秋田 | 東京 |
1931-1940年 | 17.3日/年 | - 日/年 | 78.7日/年 | 99.0日/年 | 10.4日/年 |
1941-1950 | 21.1 | 48.0 | 78.7 | 106.3 | 10.1 |
1951-1960 | 16.7 | 35.2 | 66.8 | 93.8 | 8.4 |
1961-1970 | 24.5 | 45.8 | 77.6 | 102.0 | 9.6 |
1971-1980 | 17.5 | 42.8 | 67.6 | 94.2 | 9.6 |
1981-1990 | 20.1 | 42.4 | 71.4 | 98.1 | 11.0 |
1991-2000 | 13.6 | 37.2 | 72.9 | 99.5 | 16.2 |
2001-2010 | 19.8 | 38.7 | 66.7 | 98.5 | 14.6 |
(2011-2014) | 16.0 | 52.8 | 80.3 | 107.8 | 19.5 |
(各年の値は気象庁による) |
この表からわかることは以下のとおりである。
(1) | 日本海側では南の福岡から北上するに従って日数は増加し、秋田が最多である。この局地性は、北上した暖流の海面水温と、大陸からの冬の季節風の気温との差が、秋田付近が最大なためである。言い換えれば、本州の日本海側における年間の雷日数には冬の影響が明瞭である。 |
(2) | 日本海側に比較して太平洋側の東京では非常に少ない。東京は秋田の1/5~1/10である。 |
(3) | 10年平均の変動でみてもかなり時代による変動は大きい。特に、2011年から2014年までの4年間の平均は、福岡以外、過去にみたことのない増加である。不気味としか言いようがない。ただし、近年、観測方法・あるいは雷日数の定義が変更されたかも知れないので、確認する必要がある。 |
雷日数の変動幅
(表1)は10年ごとの平均値だから個々の年にはさらに大小の変動がある。そこで、雷日数の多かった10年と少なかった10年を選び、それぞれの平均値を示したのが(表2)である。
(表2)(A)年雷日数が多かった年を上位から10選び出し、その平均を求めた値と (B)年雷日数が少なかった年を下位から10選び出し、その平均を求めた値 |
福岡 | 松江 | 新潟 | 秋田 | 東京 | |
(A) | 26.0日/年 | 59.4日/年 | 87.3日/年 | 112.6日/年 | 12.6日/年 |
(B) | 10.8 | 27.1 | 54.8 | 82.8 | 12.5 |
(A)は、1945、1947、1957、1963、1984、1996、2000、2005、2006、2012年 (B) は、1941、1955、1959、1979、1982、1989、1990、1992、1998、2007年 |
この表からわかることは、
(1) | 東京では大きな差がない。 |
(2) | 日本海側では、AとBとの差はほぼ30日である。 |
(3) | 福岡は約15日多い。 |
(4) | Aに分類される年は半数が1996年以降である。これに対し、Bは9回までが20世紀中である。 |
(5) | (表1)に示した2011-2014年平均の値は、Aの値にほぼ匹敵する。従って、この4年間、過去80年間の大きな年の状態が毎年発生していることになる。 |
今後さらにAとBの年の気候状態を月別に検討すべきである。次の機会にその検討の結果を2、3紹介したい。
[文献]
原田大六(1978):雷雲の神話、三一書房、374ページ。