スマートフォンサイトを見る

異常気象時代のサバイバル

No.47

2015.12.28

吉野正敏

火山噴出物と気象・気候 ― 研究の歴史 ―

火山の国、日本のサバイバル

 日本は地震の国であり、津波の国である。毎年の被害額も大きい。さらに火山の国である。日本人の心の古さとであり、世界の人びとの文化遺産でもある富士山さえ、超一級の火山である。火山爆発・噴火により灰・煙・水蒸気は空高く天を焦がす。火山体には円形であれ、線状であれ、火口が出来る。火口から地上に出たマグマは噴出物となって空中に飛び出すか、火口付近の地面を火砕流・溶岩流・土石流となって流れ下る。これに襲われると、人も動植物もサバイバルの限界を守ることは不可能である。
 今回はこれらの現象のうち、気象・気候、すなわち大気中の諸過程にかかわる現象に触れたい。特に、18世紀末頃から20世紀前半、および、ごく最近の例を若干紹介したい。

火山の大噴火と気象の変化:浅間山の例

 日本では江戸時代後半、世界的な“小氷期”の時代であった。コメの作柄はもちろんその他の農作物の収量は減少した。天明3年(1783年)と天保7年(1836年)(実際には天保4~9年)、収穫皆無というような非常に深刻な食料不足に見舞われた。浅間山が大爆発した天明3年(1783年)7月(新暦)は晩冬以降の低温が続き、雨の多い春・初夏であった。そこへ、浅間山の爆発が重なったのである。火山灰は7月6日には江戸や銚子にまで達した。江戸では、7日、日中でも灯火をつけなければならないほど暗く、火山灰は、野外ではもちろんのこと、家々の部屋の中でも厚く積もったという。日本では全国的に低温と降灰のため大凶作であった。
 天明・天保の頃、東北地方の惨状は目を覆うほどであったことが知られている。餓死者の肉を食べなければ生存できない状況は、まさにサバイバルの限界を超えた状態と言わざるをえない。

熱帯成層圏の風:19世紀末の観測

 成層圏や上部対流圏の高層気象を捉えるには、測器を付けた気球を飛ばして観測しなければならない。その方法が開発されていなかった時代、すなわち、19世紀末頃までは、火山の爆発によって大気中に放出される噴出物、煙・灰・雲などの目で見える現象で、風の動きを推定した。噴煙の動きは上空高い大気層における風の動きのよい指標であった。
 赤道を挟む熱帯の高層大気の流れを知ることは、地球を取り巻く大気の大循環の立体構造・東西方向や南北方向の循環を知るために必要であった。1883年、東インド諸島のクラカトア火山(6°6‘S, 105°25’E)が大爆発した。その直後から、“色が着いた太陽が見えた”とか、“太陽の周りにリングが着いて見えた”などの報告が寄せられた。低緯度の世界各地からの、それらの報告を集め分析した結果、噴火による細塵(最近の知識ではエーロゾル)は約25kmの上空を東から西に向かって流れ、地球を2周したことがわかった。気象学者たちは低緯度の成層圏では東風が吹いていると思い込んだ。
 しかし、1908年中央アフリカではファン・ベルソンが、また、ジャワのバタビアではファン・ベンメルンが1909年に成層圏の約20km上空では西風が吹いていることを観測によって捉えた。その後、20世紀前半(1959年頃)まで熱帯では10hPa面に中心にもつクラカタウ東風と、その少し下の50hPa面に中心をもつベルソン西風との二つの風系の層があるとされていた。
 1940年代後半、次第に組織的な観測が行なわれるようになり、火山噴出物の動向を指標にしなくてもよくなってきた。

火山の噴煙による日射量の減衰

 火山の噴出物によって、太陽から地上に降り注ぐ日射量が減衰するいわゆる日傘効果があるだろうとは、誰でも想像するだろう。アメリカ合衆国の自然史研究の名門であるスミソニアン研究所のアボットらは、アラスカのカトマイ山の1912年6月6~7日の噴火後の観測値と1880年来の観測値とを比較して、次のような事実を1913年に報告した。すなわち、1912年の噴火の影響はまず視程の減少に現われ、次いで日射量の約10%減少に現われた。
 19世紀後半(1882~1900年)の太陽放射強度(日射量)の年々変化と火山の大爆発との関係を(図1)に示す。この図は20世紀前半の研究結果をまとめたものである。


(図1)19世紀末(1882年~1900年)における日射強度の年々変動(Wexler, 1952原図を翻訳)

 上記の1883年のクラカトア火山の爆発の影響が1885年まで大きく影響していることが(図1)からもよくわかる。しかし、この(図1)に示される細かい波すべてが火山噴出物に対応しているわけではもちろんない。特に1893年から1900年までは大きな火山爆発が無かったが、日射強度の変化の小さい波がある。その減少のピークについては、さらに詳しい研究結果を待つ他ない。

地球温暖化時代の火山噴出物の影響

 地球温暖化が明らかな最近の状況を少し述べておきたい。(図2)は1985年から2007年までの年々の気温変化と火山の大爆発の関係を示す。大爆発を起した火山名とその噴出物が大気圏に放出された期間(年)と、噴煙が到達した高度を記入してある。


(図2)1985年~2007年における北半球平均の気温偏差の年々変動と火山大爆発(吉野編集)

 この期間ではフィリピンのピナツボ火山の大爆発があった。その被害は、直後に来襲した台風による豪雨と重なり、非常に深刻な状況を起したことは、人びとがまだよく記憶している。大気中に放出された噴出物は高度20kmにまで達した。気温偏差のマイナスのピークは1992年、1993年、1994年にみられ、ピナツボ火山の噴出物の日傘効果の影響とみられる。特に1993年が最も強い影響が発生し、さらに約1年半後にも、ほとんど同じくらいの日傘効果が現われたことも注目に値する。

あとがき

 今回は日傘効果の化学的な過程を含む詳しい説明や、人間活動への影響については触れない。前者については、雑誌「地球環境」(2016年初め刊行)に執筆予定である。後者については、[石 弘之(2012):歴史を変えた火山噴火、刀水書房、181ページ]に詳しく述べられている。


異常気象時代のサバイバル

archivesアーカイブ

健康気象アドバイザー認定講座

お天気レシピ

PC用サイトを見る

Contactお問合せ

スマートフォンサイトを見る

ページ上部へ
Page
Top

Menu