暮らしの中のバイオクリマ
No.0
2012.01.11
吉野正敏
新年にあたって
はじめに
連続エッセイ『温暖化と生きる』は昨年12月に51回目をもって一応終了した。今年1月からは『暮らしの中のバイオクリマ』と題して書きたい。読者の方々から、これまでと同様、貴重なご意見をいただければ幸いである。
暮らしとは何か
暮らしとは何か。。。。難しい定義をここで述べるつもりはない。しかし、2011年3月11日、東日本大震災が起こって、人びとの暮らしが、直接の被災地ではもちろんのこと、遠いところの人びとも心を痛め、救援活動をしたり、さまざまの面で平常でない事態となった。
暮らしとは、日常の生活であって、平凡ではあっても平和な毎日の繰り返し、その連続である。生まれてから死ぬまでの生活のありようである。かつて、第2次大戦の末期頃、私はまだ20歳前であったが、当時の先生のひとりが、「平和な暮らしとはどんな暮らしですか」という学生の問いに、「“明日の朝まで俺は確かに生きている”と思って寝られる生活だ」と答えた。今、思うに、これは名回答である。当時東京は毎晩のように空襲があり、焼夷弾で焼け死ぬかもしれない、爆弾で吹き飛ばされるかもしれない、明日の朝のことはわからないという状況であった。暮れも正月も無かった。このような状況下で夜床に入るのは日常の暮らしと言えない。
余震は9ヶ月たって少なくなってきたようではあるが、仮住まいの生活、避難先の生活、失った家族を思いながらの生活は、寒さの折から大変であろう。これを歴史的な時間スケールでみれば、日本人の暮らしの一様相とはいえようが、このような震災の経験をしない人のほうが圧倒的に多い。
このエッセイでは、“平常な暮らし”の他に、自然災害に起因する“異常事態のもとでの暮らし”も取り上げたいと考えている。ごく普通の人間社会の中での暮らし、民俗行事としての暮らし、病気や健康と暮らし、住まいと暮らしなど、可能な限り多方面の分野から見た人びとの暮らしを考えてみたい。
バイオクリマとは何か
次に、「バイオクリマとは何か」少しふれておきたい。われわれはバイオクリマ研究会を母体として活動している。今さら、バイオクリマの定義をここでするのは筆者としては気が進まないが、バイオクリマという語は世の中ではまだまだ市民権を得ているとは言えない。このエッセイの初めての読者のためにも、ここでおさらいをしておく。
バイオとは生物のことである。例えば、バイオロジー(Biology)とは生物学、バイオスフェア(Biosphere)とは生物圏のことである。生物とは植物・動物でもちろん人間も含まれている。クリマとはクライメイト(Climate、英語)、クリマ(Climat、フランス語)、クリマ(Klima、ドイツ語)のことである。日本語では気候と訳す。
気候と気象を混同する人が多いが、気候とは1年を周期とする長い期間の大気現象である。半年、1年、2年、数年、数十年、歴史時代・考古時代、地質時代のような長い期間の大気現象である。地球温暖化などは気候現象の代表的なものである。季節も代表的な気候現象で、寒冬か暖冬かなども気候の問題である。一方、気象は短時間の大気現象である。1時間、1日などの大気現象で、天気(狭義では、晴れ、曇りなど、空の状態をいう。広義では気温・気圧などあらゆる要素を含む)と同じである。今日・明日などの大気現象は気象・天気である。気象と気候の中間(5日から半月位)の大気現象を天候と言う。
しかし、その境は必ずしも明確ではない。バイオクリマ研究会の研究者・関係者・会員などの実質的な母体は日本生気象学会で、ここがバイオクリマ(生気候)研究の日本における中心である。具体的にいうと、例えば熱中症は夏の高温・多湿の気象状態のときに発生し、今日、バイオクリマの最大の問題である。はなはだ、ややっこしい。気象病・季節病・気候病とはっきり区別できればよいのだが。
お正月料理
お正月には、“お雑煮か、ぜんざいか”、あるいは、“餅は四角か、丸いか”など、食物文化の話題は民俗学の課題でもある。魚は焼くか、佃煮か。肉は牛か、豚か、鳥か。野菜は何を欠かせないか、など、日本各地でさまざまな風習があり、また家庭によっても差がある。「冷蔵庫のない時代の保存食の一形態よ」では済まされないのが正月料理のバイオクリマの見方である。
なぜ、黒豆なのか、ハス(蓮根)なのか、くわいなのか。正月に際して、“一年の計”とする単なる語呂合わせではなく、語呂を合わせた“諺”として、食品栄養を通じた健康維持、地方生産物の消費拡大などの目的を達した結果と言いたい。通婚圏が全国的に拡大してきて、家族(両親)の出身地が複雑になってきても、そうして、食品の流通が全国的になり、また、生活スタイルが変化してきたとは言え、正月料理になお地方色があることは、やはりバイオクリマの重要性を示す好例である。