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暮らしの中のバイオクリマ

No.11

2012.05.30

吉野正敏

夏の北国 ― 俳人のバイオクリマ

北国俳句歳時記

 私事になって恐縮だが、私は東京で生まれ、小学校以来東京で学生生活を経た。しかし、墓は石川県の金沢市にあるので、時々墓参りに行く。10日ほど前にも、日帰りで墓参りに行った。その帰り、小松空港で売店の本棚の隅に『北国俳句歳時記』(北国新聞社、2003)を見つけた。内容は603ページ、さらに索引が74ページもある大冊である。定価は8400円と安くはないし、目方もある。持ち帰るには、老人の身にはこたえる。欲しくはあるが、買うべきか、どうしようか、しばし悩んだが思いきって購入した。
 機内でページをめくっている間に、“買ってよかった”と強く感じた。刊行されて10年近くも経つが、どうしてあの本棚にこれがあったのか、地元出版社コーナーを持つ本の売店でもないのに。あれこれ、瞑想にふけった。
 とにかく、内容は素晴らしい。明治36年(1903年)以来、北国新聞の「北国俳壇」に掲載された約13万句から約1万5千句を選んで例句としてあげている。百年に渡る作品を収録したことにより、今日ではあまり見られなくなった風俗や風習を詠んだ句もある。
 俳句は、俳句そのものから情感を受け取り、鑑賞すればよいのであって、それを詠った俳人のバイオクリマまで解析するのは邪道だという説もあろうかとは思う。例えば、ロシアの偉大なる作曲家チャィコフスキーは慢性胃炎で苦しんでいたという。その事と、交響曲『悲壮』の音楽史上における価値判断とは無関係とするか、関係あるとするかは、意見の分かれるところであろう。日本では明治・大正・昭和初期の多くの文芸作家が貧困・病苦と闘いながら創作活動を行った。私の考えでは、作家の生活環境は創作された作品に反映・影響している。“ハングリー精神”は作家活動と関係あり、“ハングリー精神”の源にはバイオクリマが関連を保っていると思う。悪環境の効果がプラスかマイナスか、直線的が曲線的かなど、簡単ではない。また、逆に、過剰な作家活動がバイオクリマを悪化させる場合もあろう。それを分析するのは、評論に貢献する科学の役割であろう。
 私はあえて、俳人のバイオクリマについてそれを試みたい。今回は夏について述べる。

季節と季語

  日本人は季節を感じることが鋭く、季節観は細やかであると言われる。俳句の季語がその最たるものである。四季の変化を感じ取り、素早く反応するのは日本人の特徴だとされる。
 6月は夏の始まりである。1年を4季に分ける場合は6・7・8月を夏とする。温帯に住むわれわれは常識的にと言うか、これにあまり疑いを持たない。しかし、地球上どこでもそうではなく、熱帯では6月になって特に暑くなったりしないので、熱帯に住む人たちは季節の変化を感じない。
 高緯度地方では、冬と夏しかないと言っても過言ではなく、春と秋は短い。日本は細長い南北に延びる島国である。気候は、沖縄では亜熱帯気候である一方、北海道や本州の北日本の山地では亜寒帯気候である。四季の長さもかなり異なる。北国の夏はその点に特色があり、興味ある地方色を生み出す。
 季語にも当然北国の特色がある。もちろん中央日本・西南日本などと共通した季語がほとんどだが、同じ季語でも捉え方に差がある場合もある。以下に、その特色を考えたい。

北国における夏の季語の特色

   『北国俳句歳時記』の季語は、春・夏・秋・冬・新年に分けて、それぞれ時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の七分野に分類されている。夏の特徴を捉えるため、どの分野がどの季節に多いか(表1)にまとめた。

(表1)季語分野の季節別出現数*

 時候天文地理生活行事動物植物

353521854458137
2831161752378155
383712642944132
383518157364458
新年1682712745

*『北国俳句歳時記』により吉野作表

 生活の分野に分類される季語が夏に最多であろうとは、実は、私はこの表を作るまで想像していなかった。これほど明らかに北国の夏が生活に密着し、季語として豊富であることを知らなかった。北国だから冬も多いが、冬よりも夏が際立って多いことは、北国に暮らす人たちの夏のバイオクリマの重要性を物語っている。
 また、北国の夏には植物に関する季語が四季の内でもっとも多い。差は植物ほどではないが動物も夏に最も多い。生物の活動の季節がよく反映している。

「田打ち」と「代掻き」・「田植え」

   「田打ち」とは、「代掻き」の準備作業で、北国では雪が解け、気温が上がってくるとおこなう。田の土を起こして柔らかくし、肥料をまき、十分に柔らかくする。「田打ち」は春の季語である。その後、水を張り田の表面を掻きならす。これを「代掻き」という。「代掻き」は夏の季語であるところが重要である。そうして「田植え」を待つ。昔は人の手でおこなったので、牛馬の力を借りても大変な労動であった。

   遅れ居る梅に田打ちも遅れけり (藤沢木曜子、1975年5月16日、北国新聞)

 1975年の冬は典型的なラニーニャ年で、冬型気圧配置の出現頻度も多く、低温であった。春の到来が遅れ、梅の開花も遅れた。この情景を捉えた句である。
 ところが、「代掻き」・「田植え」は夏の季語である。昔は地域の人たち、親戚・家族が総出で、1枚ごとに一線に並んで苗を挿し、田植えをした。大変な作業であったが、にぎやかでもあり、稲作社会の大行事であった。田植え作業にも機械が次第に導入された。

   加賀平野機械田植えもまじりけり (奈良さとし、1972年7月4日、北国新聞)

 40年前ころの加賀平野の状況で、このころから田植え作業の機械化が急速に進んだ。また別の角度、すなわち、農民の側からの句として、

   療養の窓に吾が田の田植え見ゆ (河崎初雄、1957年11月18日、北国新聞)

 田植え行事に参加できない自分の健康状態の認識と、農民としての責任感・安堵感とが交錯し凝縮している。さらに、最近になると、

   機械にて一人ぼっちの田植えかな (中村俊雄、1994年6月23ひ、北国新聞)

 昔の事を考えると喜んでよいのか。孤独は現代の裏返しなのか。心の持ちようの転換も迫られる。バイオクリマの出番であろう。

 (写真1)(写真2)は今年の岩手県雫石町における春から夏への推移である。


(写真1)「田打ち」前の水田と駒ケ岳の雪形。(吉野撮影。禁転載)

(上)駒の頭と前脚のほんの1部が現れる。全体は2012年冬が豪雪で、3~4月まで低温であったので、積雪で真っ白。手前の水田は雪が解けたままの状態で「田打ち」まえ、背後の草地は緑になっていない。2012年4月21日。
(下)8日後、駒の胴体が明らかになる。草地は緑になり、手前の水田は「田打ち」(春の季語)は終わって、「代掻き」(夏の季語)をする直前。4月29日。


(写真2)機械作業の「代掻き」と「田植え」の済んだ水田。夏の季語になる風景。(吉野撮影。禁転載)
(上)機械でアッと思う間に「代掻き」は終わる。普通は3回行われる。
(下)「田植え」は完了。駒ヶ岳の駒の胴体は黒く明らかになる。2012年5月6日。

 2012年の冬は非常な豪雪で、しかも3月に至るまで低温であった。「田打ち」から「田植え」への変化は極めて明瞭であった。言いかえれば、春から夏への推移は1週間くらいの内におこなわれた。「田打ち」と山の残雪模様(雪形)によって春から夏へ、最近の労働環境の状態も理解できよう。このようなバイオクリマの観点からみた“季節現象の推移”については、雑誌『地球環境』(国際地球環境研究財団発行)の特集号(2012年5月刊行)を参照していただければ幸いである。


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