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お天気豆知識

臨時掲載の記事一覧

No.118

2015.6 Categories臨時掲載

峰の頂を覆った雲(フェーン雲・風枕?)

 今年(2015年)の元旦は冬型の気圧配置となり気圧の谷が通過したため、関東地方での沿岸部を中心に日中は雪やみぞれが降り、うっすらと雪化粧された地域もありました。私は、埼玉の実家で元旦を迎え、家族で富士山を見に行こうと車で河口湖に向かいました。圏央道から八王子ジャンクションを経て河口湖に向かいましたが、八王子ジャンクションの手前から大月ジャンクション付近までは、小雪が降る中を走るようになりました。河口湖大橋の脇の駐車場に車を止め、橋の上から富士山の写真を撮るつもりでしたが、あいにくと富士山は雲に覆われて見ることができませんでした。しかし、河口湖インターを降りて少し走ると、河口湖の北側に連なる山々の頂が(写真1)のように雲に覆われていて、滝雲が出ているのかなと思いました。


(写真1)河口湖町役場付近から(2015年1月1日13時17分)

 (写真2)は河口湖大橋の上から撮影した写真を合成したもので、(写真3)はその一部です。この日の河口湖は北寄りの風が強く、湖面は波立って風花が舞っていました。これらの雲を目にした時は滝雲と思っていましたが、「山と雲、富士山と雲」で取り上げた滝雲のように、山の斜面にへばりつくような雲ではありません。(写真3)では谷間が白っぽくなっていますが、雲が斜面にへばりつくようになっているのではなく、降る雪のためと考えました。


(写真2)河口湖大橋から見た河口湖北側の峰を覆う雲(2015年1月1日13時30分頃)

(写真3)河口湖大橋から北西方向(2015年1月1日13時30分頃)

 その後、河口湖町の西隣の鳴沢村にある「なるさわ道の駅」に向かい、一休みして来た道を戻り、河口湖インターから埼玉の実家に戻りました。午後3時過ぎに河口湖インターを通過しましたが、これらの雲の確認を怠ってしまいました。
 後日、知り合いの横浜国立大学准教授(気象学)にこれらの写真をお送りしたところ、「広戸風(岡山県の局地風)が吹く時の雲に似ている」と指摘を受けました。また、当社バイオウエザーサービスのコラム、「異常気象時代のサバイバル」を執筆されている、吉野正敏先生(筑波大学名誉教授)にこの写真をお見せしたところ、フェーン雲、日本で言う風枕に似ていると指摘を受け、「風下の雲がどうなっているか見たかったな。風が強いと条件がそろえば、このような雲は出るのかな。」と言われました。この雲を見た時、山岳波動と関係する雲という認識がなかったので、風下方向の雲まで意識していませんでした。広戸風が吹く時や六甲おろしが吹く時に風下にロール状の雲が発生することが報告されています(佐藤謙,1988、横田寛・中島肇,1992)。
 これらの指摘を受け、視点を変えてあれこれ探してみると、津山市のホームページに掲載されている、広戸風が吹くときに那岐連山の頂を覆う雲(風枕)に似ていました。また、アドリア海沿岸で「ボラ」と呼ばれる強い風が吹く時に、クロアチアとボスニア・ヘツェゴビナやスロベニア国境の山々の頂を覆う雲と似ていました(M.Yosino,1976;他)。
 河口湖のすぐ近くにはアメダスがあります。(図1)はアメダス河口湖の2015年1月1日の10分アメダスの風向と風速です。


(図1)アメダス河口湖の風向と風速(2015年1月1日)
折れ線グラフは風速、矢印は風が吹いていく方向を表す。

折れ線グラフが風速で、矢印が風向です。矢印の方向は風が吹いていく方向を表しています。つまり、矢印の反対の向きが風向になります。日中の状況に注目すると、13時から15時過ぎに北寄りの風が強まっていることがわかります。山を越えた気流が山腹・山麓に吹き下りる現象を「おろし風」と呼んでいて、時には被害を伴う強風を発生させることがあります(斉藤和雄,1994;他)。広戸風はその例です。冬型の気圧配置のため、関東甲信は北寄りの風が吹きやすい状態でした。河口湖周辺で1日の午後に吹いた風の強まりは「おろし風」と似た現象だったのかもしれません。今回の風速は10m/s以下ですから、被害を発生させるようなことはありません。
 おろし風が吹きやすい地形の特徴として、斜面は風上側で緩やかで風下側で急になっていて、風下側に湾や湖が存在している場合も多いと言われています(吉野正敏,1986)。図は省略しますが、今回の雲が掛った峰の北側、つまり風上側は徐々に高度が低くなっています。一連の写真からわかるように、風下側は傾斜が急で麓には河口湖があります。更に吉野先生は同じ書物で、おろし風が吹く時に、(写真1)から(写真3)のような雲が山頂を覆うと、風下の斜面上部では雨や雪がパラパラと降る場合があるとしています。
 これらのことから、一連の写真の雲は、「風枕」あるいは「フェーン雲」と同じ種類の雲であると考えました。吉野先生のご指摘のように、条件がそろえば各地でこのような形状の雲が現れているのかもしれません。

<参考文献>
Masatoshi Yoshino 他,1976:Local Wind Bora,University of Tokyo Press,289pp.
斉藤和雄,1994:山越え気流について(おろし風を中心として),天気,41,731-750.
佐藤 謙,1988:広戸風(岡山県の局地風)に伴うロール雲,天気,35,497-499.
横田寛・中島肇,1992:六甲おろしに伴う風下側のロール雲,天気,39,469-471.
吉野正敏,1986:新版小気候,地人書館,298pp.

(アメダスデータは気象庁提供)

No.117

2014.7 Categories臨時掲載

平成26年6月の雷雨

 平成26年の梅雨は、6月5日までに東北北部まで梅雨に入ったとみられると気象庁から発表がありました(速報値による)。しかし、梅雨入り後の関東の雨の降り方はいつもと違いました。関東各地の6月の雨量は平年より多く、関東各地では雷を伴った局地的に激しい雨の降る日が多くなりました。栃木県の宇都宮では、6月の平均雷日数は3.2日ですが、今年は11日となっています。宇都宮の雷日数は8月がもっとも多くその平年値は6.4日ですから、今年の6月はいかに雷の日が多かったかが分かります。
 私の職場は、横浜市都筑区にありますが、やはり6月はシトシト降る雨の日は少なかったという印象です。(写真1)は6月13日午後12時半ごろ、横浜市都筑区で撮影した雄大積雲(雷雲の仲間)です。写真の赤い矢印が北方向なので、雲はほぼ南西から北東方向に広がっています。


(写真1)雷雲からの雨(平成26年6月13日12時31分 横浜市都筑区早渕にて)
中央の白い建物(赤い矢印)は北方向

写真の右上は青空でその付近の雲は白く輝いていますが、雲の底は黒くなっていることから、かなり厚い雲であることが分かります。地面から雲の底まで黒っぽくなっている部分はこの雲からの雨です。この雲を撮影した時は雷鳴が聞こえました。都筑区周辺でもこの雲の一部の通過により弱いながらも雨が降りました。
 (図1)はこの写真を撮影した時刻ごろのレーダー画像です。


(図1)レーダー画像(平成26年6月13日12時30分)

東京都の中央付近に50mm/h以上の降雨強度を持ち、ほぼ南西から北東方向に広がる雨域があります。(写真1)の雲から降っている雨域はこの雨域に相当します。レーダー画像を連続して見ていくと、この雨域は13日の11時頃奥多摩に現れて東南東に進み、神奈川県境付近を東進し午後1時半過ぎには東京湾に出て消滅しました。雷雲の通過した地域は一時的に雷を伴って強い雨が降ったことでしょう。
 (図2)はこの写真が撮影された時刻に近い、13日12時の地上天気図です。


(図2)平成26年6月13日12時の地上天気図

北海道付近に中心気圧が988hPaの発達した低気圧があります。真冬にこれだけ発達した低気圧があると、日本付近の等圧線間隔が狭くなり、関東でも北寄りの強い風が吹きますが、この天気図では等圧線の間隔が広いため、そのようなことにはなりませんでした。等圧線の様子から関東付近は気圧の谷になっているのがお分かりいただけるでしょう。ところが、梅雨の主役の梅雨前線は、日本の南海上にあります。(写真1)の雷雲は、この気圧の谷と関係していたと見ていいでしょう。
 次に(図3)の500hPa天気図を見てみましょう。


(図3)平成26年6月13日9時の500hPa天気図

この天気図は冬に「上空に強い寒気が入って、日本海側では大雪・・・」という解説がある時に使われる天気図です。
 津軽海峡のすぐ西に低気圧があって、それを中心に等高度線(実線)がほぼ円形に取り巻いています。関東地方はこの渦の中に入っているように見えませんか?専門的に言うと、偏西風の南北方向の蛇行が何らかの原因で大きくなり、このような状況になってしまいました。
 破線は等温線で、日本付近にある、-6℃、-9℃、-12℃、-15℃を彩色してあります。本州付近で等温線が南の方(画面の下方向)に垂れ下がっていて、-9℃の等温線は関東の南にあります。これは、日本の上空に寒気が入っていることになります。つまり、上空に寒気が入り地上との温度差が大きくなって雷雲ができました。
 もう少し堅苦しい話にお付き合いください。
 高層天気図を作るための観測は、関東平野ではつくば研究学園都市にある館野の高層気象台で1日2回、日本時間で9時と21時に行われています。館野の500hPaの6月の毎日 9時のデータを見てみましょう。(図4)です。


(図4)平成26年6月の毎日9時の館野の500hPaの気温と平年値

赤い実線は毎日の気温で青い実線は平年値です。(写真1)の雲を撮影した6月13日は平年よりも低い-12.6℃でした。これは、10月の平年値に匹敵します。この日以降、月末までほとんどの日が平年よりも低くなっています。いかに関東平野の上空に寒気が入った日が多く、大気の状態が不安定になりやすかった日が多かったかが分かります。これは、500hPa天気図のところで述べた上空の偏西風の蛇行の影響によるものです。
 6月最後の日曜日の29日、昼頃は青空に白い積雲(綿雲)が沢山浮かんでいました。しかし、夕方は都心で激しい雷雨となり、渋谷区では小田急線の下を通る道路、いわゆるアンダーパスに雨水が流れ込み、数台の車が水没しています。幸いにも死者は出ませんでした。写真は撮影しませんでしたが、このときの雲は午後4時過ぎに横浜市青葉区で見ました。空全体が黒に近いこげ茶色の雲で覆われ、雲の底には黒っぽい千切れ雲があり、いかにも不気味な空で、雷鳴も聞こえました。雲の奥の方は黒っぽい壁のようになっていて、強い雨が降っていたことがうかがわれました。
 (図5)は29日16時15分のレーダー画像です。


(図5)レーダー画像(平成26年6月29日16時15分)

都内に80mm/h以上の強度を伴った雨域があります。雲の奥の黒っぽい壁はこの雨域に対応していたのでしょう。(図6)の29日15時の地上天気図を見ると、関東の東海上と秋田沖に低気圧があって、関東付近はこれら二つの低気圧を含む気圧の谷になっています。


(図6)平成26年6月29日15時の地上天気図

梅雨前線は日本の南海上から奄美諸島にあります。レーダー画像にある雨域は、梅雨前線と関係の無いことが分かります。(図7)の500hPa天気図は日本海に低気圧があって、等高度線がその低気圧を中心にするように袋状になっています。


(図7)平成26年6月29日9時の500hPa天気図

破線で表される等温線は日本付近で谷状になっていて、日本海に中心を持つ-12℃の冷たい空気の塊があります。等高度線が袋状に南に垂れ下がっていることは、偏西風が南北に大きく蛇行していることを意味していて、そのため、日本列島の上空には寒気が入りやすくなっています。そのため、関東でも雷雨となりました。
 このように、今年の6月は大陸から寒気が流れ込み、関東地方では雷雨が発生しやすい気象状況の日が多くなりました。

(レーダー画像、天気図は気象庁提供)

No.116

2012.6 Categories臨時掲載

動くに動けない台風

 今年(2013年)は九州から関東甲信の梅雨入りは例年よりも早く、5月末までには「梅雨入りしたとみられる」と気象庁から発表がありました。しかし、各地とも雨は少なく、水不足が懸念される状態なってしまいました。関東地方の水瓶の一つである、群馬県北部にある矢木沢ダムの貯水量は減少していきました。そのような状況の中、6月6日にフィリピンの東の太平洋上で発生した熱帯低気圧が発達し、日本時間の8日21時に台風第3号となって北上し始めました。


(図1)2013年6月11日21時の地上天気図

 (図1)は台風が日本列島にかなり接近した6月11日21時の天気図です。紀伊半島の南東海上から東に伸びている前線は梅雨前線です。台風が暖かく湿った気流を送り込み、前線の活動が活発化して雨・・・・。しかし、台風は翌12日になると動きが遅くなって弱まりだし、13日午前3時には熱帯低気圧になり、午前9時には温帯低気圧となって伊豆諸島付近で停滞しました。前線に近い伊豆諸島では大雨になりましたが、関東の雨の中心は南部で水瓶のある群馬県北部ではほとんど降りませんでした。
 (図2)は、(図1)の地上天気図と同じ時刻の6月11日21時の500hPa天気図です。紀伊半島の南海上の北緯30度線上にあるLの記号が台風です。そのすぐ脇にWの記号がありますが、これは暖気の極値があることを意味しています。台風の中心付近は発達した積乱雲があり、水蒸気が次々と水滴に変わり、その際に放出される熱量(潜熱)によるもので、台風の特徴の一つです。


(図2)2013年6月11日21時の500hPa天気図

 500hPa天気図で実線は等高度線です。間隔が狭いところは強い風が吹いています。それを捜すと、サハリン北部から黄海北部にかけて太実線で描かれている5,700mの等高度線付近で、偏西風帯に対応しています。日本列島付近と台風があるその南海上にはほとんど等高度線がありません。しかも、北海道のすぐ東には高気圧を示すHの記号があり、日本列島上は気圧の尾根になっています。台風の南側も気圧の尾根になっています。


(図3)台風第3号の経路図 速報値を元に作成(台風期間のみ表示)
○は9時、●は3時、15時、21時の位置 白丸の脇の数字は日付と中心気圧

 台風は急に速度を早めることがあると言われていますが、これは偏西風帯に台風が入ったときのことです。(図2)の天気図のように台風が高気圧や気圧の峰に囲まれてしまうと動こうにも動くことが出来ません。このため、(図3)の台風経路図からもわかるように、順調に北上した台風は北緯30度線に達する頃から動きが遅くなってしまいました。


(図4)2013年6月1日~10日の平均海面水温

 (図4)を見てください。これは今年の6月1日から10日までの海面水温の平均値です。台風が発生するのは海面水温が26℃ないし27℃以上といわれています。また、台風のエネルギーは暖かい海面上から蒸発する水蒸気です。(図4)からもわかるように、紀伊半島沖から東の海上は海面水温が24℃以下になっています。このため、北上しながら順調に発達してきた台風ですが、海面からのエネルギーの供給が少なくなり、日本列島に近づいてから衰えてしまいました。
 (図2)に戻りますが、点線は等温線で-3℃を赤い点線で示しました。この気温は、500hPaとしては高い気温です。この等温線で囲まれた西日本やそれに近い北陸では、その後数日30℃以上の真夏日が続きました。今年もこれから梅雨末期の大雨シーズンに入ります。台風シーズンもこれからです。これらがもたらす雨は水不足を一気に解消してくれますが、降り過ぎて災害が起らないことを願うのみです。
 気象庁では災害、大きな災害に対処するため8月末から今までの「警報」だけでなく、「特別警報」を発表することになっています。これが発表されたならば、重大な災害は起りうる可能性が非常に高いことを意味していると理解してください。しかし、「特別警報が出ていないからまだ安心」とは思わないでください。「警報」も重大な状況が起りうることには変わりありません。
(2013年6月20日記)

(天気図、気象衛星画像は気象庁提供)

No.115

2012.5 Categories臨時掲載

連休最後の日の竜巻・突風(上空の寒気)

 今年(2012年)の連休は、5月1日と2日に休みを取ると9連休となる久々の大型連休でした。前半はまあまあの天気でしたが、後半は3日から4日にかけて各地で大雨となり、震災の被災地にも被害が出てしまいました。更に連休最後の6日は、突風が吹いたり竜巻が発生したりで、栃木県南東部や茨城県つくば市北部を中心に多くの家屋が被害を受け死傷者も出てしまいました。
 6日夕方のテレビやラジオの解説を聞いていると、「上空の寒気」という言葉が出ていました。上空の寒気は主に500hPa天気図で判断しています。
 よく眼にする天気図は地上天気図なので、そちらから見て行きましょう。つくば市北部では6日13時頃に竜巻が通過しています。


(図1)5月6日12時の地上天気図

 (図1)はその時刻に最も近い5月6日12時の地上天気図です。日本海南部に1002hPaの低気圧があり、東北東に進んでいます。その低気圧の南の等圧線を見ると、南側に袋状に垂れ下がっていて、関東地方は等圧線の間隔がその南側よりも広くなっています。このように、低気圧の南側で等圧線の間隔が広いところには、小さな低気圧が隠れています。


(図2)5月6日の500hPa天気図(右:9時、左:21時) ↑クリックで拡大

 (図2)が5月6日9時と21時の500hPa天気図です。約5,500mの高さの天気図です。実線は気圧が500hPaになっている高さを結んだ線で、等高度線と言います。点線は500hPa高度の等温線です。矢羽は風向風速を表しています。9時、21時の天気図のどちらもロシア沿海州に低気圧があり、等高度線は袋状に南に垂れ下がっています。等温線も南に垂れ下がっています。日本海は9時の天気図を見ると-24℃以下の寒気に覆われていて、21時の天気図では-21℃以下の寒気に覆われています。これが上空の寒気の正体です。細かい説明は省略しますが、2枚の500hPa天気図を見比べると、12時前後に関東地方を気圧の谷が通過していることが推定できます。
 竜巻が発生した13時前後にひまわり画像とレーダー画像にどのようなものが表れていたのでしょう。
 (図3)は5月6日13時のひまわり可視画像です。関西から東はほとんど雲に覆われていて、関東から北に白く輝く丸みを帯びた雲の塊があります。このような形状の雲は発達した積乱雲によるものです。赤い矢印で示した、白く輝くほぼ円形の雲の下が茨城県から栃木県です。


(図3)ひまわり可視画像(5月6日13時)

(図4)レーダー画像(5月6日13時)

 (図4)は5月6日13時のレーダー画像です。霞ヶ浦の北を時間雨量強度80㎜以上を持った強い雨域が通過中です。この雨域は西方向から進んできました。また、この雨域の北にも強い雨域があります。これらは、(図3)の中で矢印で示した丸みを帯びた白く輝く雲の塊の下になり、垂直方向に発達した積乱雲であることを意味しています。発達した積乱雲は強い雨を降らせるだけでなく、竜巻を発生させたり突風を吹かせたりする力を持っています。
 筆者は横浜市青葉区在住です。この日、青葉区では午後3時過ぎに急に黒い雲に覆われ空が暗くなって風が強くなり、雹交じりの雨が降り雷鳴もありました。ラジオでAMのNHK第一を聞いていたところ、ガリガリという音も入っていました。レーダー画像から強い雨域が近づいてくるのが分かり、風も強まっていたので、ベランダの飛びそうなものをあわてて片付けました。幸いにも、強い雨や雹はすぐに止み、被害はありませんでした。外を見ると傘を待たず濡れて歩いている人も見えました。(写真1)は降り始めの時です。空一面黒い雲で覆われていて、降水が筋状なって見えています。このような空になったら雨宿りしたり、時には安全な場所に避難してください。


(写真1)5月6日15時過ぎの空(横浜市青葉区にて:筆者撮影)

 気象庁のリーフレット「竜巻から身を守る~竜巻注意情報~」に載っている「発達した積乱雲の近づく兆し」を掲載します。

 ・真っ黒い雲が近づき、周囲が急に暗くなる。
 ・雷鳴が聞こえたり、雷光が見えたりする。
 ・ヒヤッとした冷たい風が吹き出す。
 ・大粒の雨や「ひょう」が降り出す。

 


  今回の災害で亡くなられた方にお悔やみを申し上げるとともに、怪我した方、被災された方に心からお見舞い申し上げます。

(天気図、気象衛星画像は気象庁提供)

No.114

2012.4 Categories臨時掲載

低気圧(温帯低気圧)と台風

 今年(2012年)は4月に入ったとたん、嵐が来ました。3日は日本列島各地で20m/sを越すとても強い風が吹き、各地で交通混乱が起きて死傷者も出 てしまいました。特に首都圏では強い風のピークが退社時間と重なる予報のため、社員に早めの退社を促した企業もありました。翌日4日も北日本では暴風雪に なっている地域があります。3日から4日の天気予報解説では、「台風並みに発達した低気圧」という言葉が何回も使われていました。また、気象庁は低気圧が 通過する前日に暴風や高波に対する注意喚起を促す会見を行っています。台風ではよくあることですが、低気圧の嵐では異例のことです。
 今回の嵐をもたらした低気圧は専門的に言うと、“温帯低気圧”です。“温帯低気圧”も“台風”も広い意味で、低気圧の仲間です。温帯低気圧と台風の違いはどうなっているのでしょう。
 (図1)(左)は4月3日、(右)は4月4日の地上天気図です。3日は日本海西部に中心気圧が986hPaの低気圧があり、4日はオホーツク海に中心気 圧952hPaの低気圧があります。どちらも中心気圧が低く、「台風並みに発達した」と言われる所以です。低気圧を取り巻く等圧線の形は歪んでいて、中心 を通る前線があります。等圧線の間隔の狭い地域が広範囲に渡っています。地図の等圧線を地図の等高線のように見ると、間隔が狭く、急斜面に対応しているこ とが分かります。つまり、強い風が吹きその範囲が広範囲に渡ることが分かります。


(図1)低気圧(温帯低気圧)の天気図

 (図2)は台風の天気図です。昨年(2011年)9月21日に東海地方に上陸した台風15号です。夕方、台風が関東地方に最も接近したため、強風で電車が止まり帰宅の足が乱れたので、覚えていると思います。天気図を見ると、台風中心付近の等圧線は同心円で、その間隔はとても狭くなっています。ただし、等圧線間隔の狭い地域は(図1)の温帯低気圧に比べて広範囲に渡っていません。強い風の吹く範囲は、温帯低気圧よりも狭いことを意味しています。日本列島に前線がありますが、台風の中心を通っていません。ここでは天気図を示していませんが、台風がもっと南にあるときは前線を伴っていません。


(図2)台風の天気図

 ひまわり画像で温帯低気圧と台風の違いを見てみましょう。(図3)左が今回の低気圧のひまわり画像で、低気圧の中心は日本海西部にあります。右が台風15号の画像で、台風の中心は九州の南にあります。温帯低気圧の雲域は広い範囲に渡っていますが、その形を言葉で表すことはできません。強いて言うならば、雲域の北の縁が丸くなっていて、薄い雲域になっています。一方、台風は中心を取り巻くほぼ円形状の白く輝く雲域があり、その回りに螺旋状の白く輝く雲域があります。これらは背の高い積乱雲で、その下では非常に激しい雨が降っています。大きな特徴は、台風の雲域には中心に雲のない「眼」があることです。温帯低気圧の雲域には、一般的に眼がありません。


(図3)温帯低気圧(左)と台風(右)のひまわり画像

 温帯低気圧と台風の故郷はどこでしょう。台風は熱帯の海上です。温帯低気圧は、その名が示すとおり、中緯度帯、つまり温帯です。
 故郷の違いは、温帯低気圧と台風の発達する原因の違いにも現れています。“温帯”では季節によって、暖かい空気と冷たい空気が交互に訪れます。温帯低気圧は温度が違う空気がぶつかりあるところに発生し、その温度差が大きければ大きいほど急激に発達(中心気圧が低くなる)します。温度差が違う空気の境界に前線があります。今回も3日は北海道で雨が降り4日は吹雪になっていることから、このことが実感できると思います。台風は、暖かい海上から水蒸気が蒸発し、上昇して再び水蒸気に戻る(凝結)するときに発生する熱(潜熱)がエネルギー源です。(図2)をもう一度見てください。20日(図2左)の台風15号の中心気圧は960hPaですが、21日には950hPaに発達しています。普通、陸地に近づくと台風は衰えますが、台風15号は逆でした。本州沿岸には黒潮が流れていて、そこから水蒸気の補給を受けて発達しました。このことからも、台風発達のエネルギー源は“海上からの水蒸気”であることが分かります。
 いずれにせよ、発達した温帯低気圧や台風が接近通過するときは陸上では強い風が吹き、強い雨が降ります。海上でも強い風が吹き、高波、高潮が起きます。このような時は地元気象台から発表される気象情報に充分ご注意ください。
 低気圧と台風の違いの表が、お天気豆知識の“台風”に掲載していますので、併せてご覧ください。

No.54

2005.7 Categories臨時掲載

北上がる、南下がる


(図1)京都市市街地図
(国土地理院20万分の1地図より)

 京都の街は東西南北で碁盤の目のようになっており(図1)、住所を表すのにも東西南北が使われます。たとえば、祇園祭の山鉾巡行で必ず先頭となる「長刀鉾」の場所は、「下京区四条通東洞院西入ル」となります。その昔、京都御所が碁盤の目になっている街の北に位置しているので、北に行くときには「上がる」、南に行くときは「下がる」となります。

 京都を訪れたある日、京阪五条駅の近くの街なかにある店で買い物をし、京都駅行きのバス停を訪ねました。店員さんは五条河原町のバス停を教えてくれましたが、そのとき「河原町五条の交差点を北に上がって……」と言っていました。東西南北がしっかりと体に付いていて、さすがに京都だなと思いました。この説明では、店からバス停に行くためには、五条大橋を渡って五条通り沿いに行き、河原町五条の交差点を右に曲がることになります。

 東西南北を使った場所の現し方は、タクシーの運転手さんも使っていました。10年ほど前、初めて1人で京都地方気象台に行ったときのことです。その前に車で気象台には数人で行きましたが、運転手さんは道をよく知っている人でした。車は京都の街の西の方にある広い通りを走り、ある交差点を右に曲がった所に気象台はありました。印象に残ったことは、その広い通りの正面に「大」の字が見え、交差点には右側から二本の道路が入っていたことです(図2参照)。


(図2)京都地方気象台への案内図(京都地方気象台ホームページより)

 数ヵ月後、今度は一人で気象台に行くことになり、京阪四条付近からタクシーを拾いました。運転手さんに、「京都地方気象台まで。」と告げましたが、運転手さんは場所を知りませんでした。私も住所を控えてなかったので、初めて気象台に行ったときの事を思い出し、「広い通りの正面の大文字焼きの「大」が見える通りで、信号機のある交差点に2本の道が右から入っているところを右に曲がったところ。」と言いました。運転手さんは大体わかったようですが、運転しながら質問してきました。「大文字は道路の北にあった、南にあった」と聞かれたので、「北にあった。」と答えました。運転手さんは「それは左大文字で堀川通りだ。」と言っていました。次は「二本の道路は、東側にあった、それとも西側にあった。」と聞かれたので、「東側にあった。」と答えました。すると運転手さん、「太子道」だなと。そして、「その交差点から東に行くの、西に行くの。」と聞かれたので、「東に。」と答え、さらに「南側の道、北側の道。」と聞かれたので、「南側の道。」と答えました。運転手さんはようやく場所が完全に特定できたようで、「うちの会社のすぐ近くだ。気象台がすぐそばにあったとは知らなかった。」と言い、細い裏道をすいすいと走り、気象台の前まで来てしまいました。私はてっきり堀川通りから太子道の交差点を通るものと思っていたので、びっくりです。

 運転手さんとのやり取りで、左大文字があることを初めて知りましたし、太子道の交差点は京都ではよく知られた特徴ある交差点であることもわかりました。私は仕事の都合上、若いころはほぼ毎日天気図の記入をしており、東西南北の感覚が身に付いていたのが役立ったようです。
 引っ越して最初の年、古都の年末年始を味わいたいとやって来た両親を、日本一大きい除夜の鐘を見せに知恩院に行きました。その帰り京阪三条に向かうとき、暗い中を平気で歩いたのであきれられてしまいました。その後10年近く枚方に住み、京都はよく訪れましたが、東西南北の感覚は常に役立ちました。

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