お天気豆知識
台風の記事一覧
No.99
2009.4 Categories台風あれこれ
上陸台風なしの2008年
昨年(2008年)は、日本列島(北海道、本州、四国、九州)に上陸した台風はありませんでした。日本列島に台風が上陸しないということは、珍しいといえば珍しいのですが、今までに無かったわけではありません。
前の上陸台風なしの年は、前世紀最後の年の2000年です。現在は発行されていませんが、“気象”という雑誌の2001年2月号の記事の「2000年 日本の天候・台風」を見ると、見出しに“14年ぶりの上陸台風なし”と書いてありました。サブの見出しには、“台風の発生が少なかったが日本への接近台風は多い”となっています。
気象庁で台風の統計を取るようになったのは1951年(昭和26年)からです。それによると、台風が上陸しなかった年は、1984年、1986年、2000年と昨年(2008年)の4回です。58年間で4回ですから、珍しいといえば珍しいですね。(表1)は台風が上陸しなかった年の発生数です。台風が上陸しなかった年だけ見ると、今世紀のケースは発生数が前世紀のケースよりも少なくなっています。
(表1)台風の発生数(台風が上陸しなかった年) |
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(気象庁提供のデータによる) |
台風の上陸が無かった前回(2000年)と今回(2008年)の台風経路図(図1と図2)を見比べてください。上陸なしですから、日本列島の上に台風が通った跡(線)がありません。しかし、前回と今回で違いがあるのがわかりますか。前回は日本列島の近くの東側と西側を北上しています。今回も東側と西側を北上していますが、その数は少なく、日本列島から離れたところを北上しています。また、ほとんどの台風が日本列島の南を通っています。
(図1)2000年の台風経路図
(図2)2008年の台風経路図
(図は気象庁提供のデータで作成しました)
2000年と2008年はどのような天候だったか夏を中心に比べてみましょう。
2000年の夏は1994年以来の暑い夏でした。1994年というと、夏季は雨が少なく、四国の早明浦ダムの水がなくなってダムの底が見えました。また、琵琶湖の水位が1m以下になって、湖水に優雅な姿を映していた浮身堂の下まで歩いていけました。
話を2000年に戻しますが、この年の梅雨明けはおおむね平年並みでした。梅雨明け後の盛夏期はほぼ太平洋高気圧におおわれ、晴れて暑い日が多く、7月下旬以降「高温に関する気象情報」が各地で発表されています。でも、太平洋高気圧の勢力が安定しないで、上空に寒気が流れ込んだり、南から大雨のもとになる暖かく湿った気流が入りやすくなって、各地で雷雨や局地的な大雨が多発しました。9月後半から太平洋高気圧の勢力が再び強まり、いつもの年より暑い秋になりました。
昨年(2008年)の夏は皆さんも覚えていると思いますが、やたらと雷雨や局地的な大雨の多い年でした。2000年と同じですね。梅雨明けは西日本や東日本では平年よりも早かったのですが、北日本で遅くなりました。西日本では梅雨明け後、暑い日が続きました。しかし、太平洋高気圧が安定せず、7月下旬から9月初めにかけて上空に寒気が入りやすくなり、南から暖かく湿った気流も入りやすくなりました。その後、高気圧に覆われる日が多かったのですが、9月下旬にはシベリヤから強い寒気が流れ込み、北日本を中心に西高東低の等圧線が縦縞模様になる冬型のような気圧配置になりました。
いくら大きな力を持った台風でも、上空の流れに逆らうことはできませんし、上空まで高気圧になっている地域に突っ込むことはできません。また、冷たい空気が広く覆っている地域に台風が入ると、たちまち衰えてその姿を変えてしまいます。台風が上陸なしの年でも、日本への台風の接近の仕方や天候の違いがあるなんて面白いと思いませんか。
No.92
2008.9 Categories台風の構造
台風の構造
日本の南の方に台風が現れたとき、気象衛星画像を見ると左巻きの渦巻きの大きな雲の塊があります。(図1)はその例で、台湾の東に左巻きの渦巻きの大きな雲の塊があります。これは2007年の台風12号(WIPHA)の気象衛星ひまわりの雲画像(赤外画像)で、中心は西表島のすぐ東にあります。このときの台風の中心気圧は930hPa前後でした。その中心には雲がない黒い部分もあります。皆さんも知っていることですが、これが台風の「眼」です。(図2)は同じ時刻のレーダー画像です。台風の中心、つまり「眼」の部分は雨が降っていません。「眼」の周りには強い雨域があるだけでなく、「眼」に向かって巻き込むような帯状の雨域がいくつか並んでいます。それら中には強く雨が降っている部分もあります。これを“スパイラルバンド”と言います。
(図1)2007年9月18日7時00分の赤外画像
(台風12号)
(図2)2007年9月18日7時のレーダー画像
(台風12号)
(図3)は発達した台風の断面図です。眼の周りにはとても背の高い発達した積乱雲があり、それが壁のように円形に連なっていて、“眼の壁雲”と言っています。(図1)で示した台風12号では17km近くもありました。その外側にある積乱雲は、スパイラルバンドに対応する積乱雲で、眼の壁を作っている積乱雲ほどの高さはありません。(図3)では、外側の積乱雲はひとつしかありませんが、実際には何列か並びます。
(図3)発達した台風の断面図
皆さんも経験があると思いますが、台風の中心が接近してくると、もわっとしたような空気に包まれます。台風の中心に向かってとても暖かくて湿った空気が吹き込んでいるからです。吹き込んできた空気は中心付近で上昇気流となり、高さが10kmを越すような積乱雲の壁、眼の壁雲を作ります。(図2)のレーダーからもわかるように、そこでは非常に強い雨が降ります。もちろん非常に強い風も吹かせます。上昇した空気は成層圏に達して右回りの渦(高気圧性の渦)を作るようにして周囲に吹き出します。一部は中心付近で下降気流を作ります。そのため、中心付近では雲がなく、晴天域ができ風も弱くなります。
1996年の8月に沖縄本島を東から西へと通過した台風12号は大きな眼を持っていて動きが遅く、沖縄本島が眼の中に10時間入ったことがありました。台風の眼が通過したのが日中で、今まで強かった雨や風が弱まり、青空が見えてせみも鳴きだしました。台風に慣れている沖縄の人たちにとって、このように長時間に渡って眼の中に入ることは初めてのことだったようで、気象台には台風が過ぎ去ったのではないかとの問い合わせがあったそうです。台風の眼の中だと何度説明しても信じてもらえなかった場面もあったとか。もちろん、台風が西に移動するにつれて嵐が始まりました。
台風による雨は台風の中心付近やスパイラルバンドによる雨だけではありません。(図4)は2007年9月上旬に台風9号が伊豆半島の南にあるとき(左)と伊豆半島南部に上陸したとき(右)のレーダー画像です。どちらのレーダー画像からもわかるように、強い雨が降っているのは関東西部の山岳地帯で、平野部では強い雨が降っていません。台風が上陸する前から関東西部の山岳地帯で雨が、しかも強い雨が降っています。
(図4)2007年台風9号のレーダー画像(2007年9月6日)
台風9号は太平洋高気圧の西側を北に進んだため、関東地方には台風が上陸する前から、南から南東の方向から暖かく湿った空気が流れ込んでいました。それが関東西部の山岳地帯にぶつかってこの方面に大雨を降らせました。このため、関東地方の大きな川、利根川、荒川、多摩川、相模川、酒匂川では流れる水の量がとても多くなり、氾濫したところや橋が壊れたところもありました。
多摩川でも多量の水が流れ、台風が伊豆半島南部に上陸した翌日の9月7日には川の水かさが増し(水位がとても高くなり)、二子玉川付近では洪水を防ぐために土嚢も積まれました。(写真1)と(写真2)は9月8日に二子玉川で写したものです。(写真1)には区の名前が書かれた杭に草が引っかかっています。(写真2)は川遊びなどの注意を書いた看板に流れてきた草や木が引っかかっています。ユーモラスな写真ですが、この高さまで川の水位が上がったことを示しています。
(写真1・写真2)2007年台風9号の多摩川の洪水の跡(9月8日二子玉川)
気圧配置によっては、台風の中心から離れたところでも大雨が降り、大雨が降ったところから流れ出る川は多量の水が流れ、氾濫することもあります。台風が接近したときは気象情報だけでなく河川の水位の情報にも注意してください。
※気象衛星画像、レーダー画像は気象庁提供のものを使用しました。
No.68
2006.9 Categories台風あれこれ
終戦と台風
“楽しみにしていた遠足や運動会が雨で中止になった”とか、“旅行に行ったけれど台風で交通機関が麻痺して大変だった”という経験は、少なからず持っていることでしょう。お天気は人間が決めたスケジュールに合わせて変化してくれず、自然の都合しだいなのでなかなかうまくいきませんね。
(図1)終戦後最初に上陸した台風の経路図
昭和20年8月15日、太平洋戦争は終わりましたが、戦災で日本は各地で大変なことになっていました。お天気の方で少しは手加減してくれるかと思うと、そのようなことはありませんでした。終戦後の最初の台風(図1)は、豆台風でしたが終戦の日の約1週間後、ラジオで天気予報が再開された翌日の8月23日未明に房総半島に上陸して関東地方を北西方向に通過しています。気象観測は空襲で破壊されていない気象官署で行われていました。しかし、海上の観測は皆無です。現在でも海上の気象観測は航行中の船の観測が頼りですが、当時は航行する船舶はほとんどありませんでした。さらに通信回線も完全に復旧しておらず、離島からの情報は入ってきませんでした。このため、台風が接近していることがわからず、まさに不意打ちだったようです。
(図2)枕崎台風の経路図
終戦の月の翌月の9月には大きな台風が西日本を通過しています。柳田邦夫著「空白の天気図」の元になっている枕崎台風です。枕崎台風は9月11日頃にマリアナ付近で発生し、17日の朝、奄美大島の名瀬付近を通過し、17日14時に九州南部に上陸しました。その後、豊後水道、周防灘を経て瀬戸内海に入って広島県を通り、18日2時頃に豊岡付近から日本海に出ました。東北地方北部を通って18日の午後には太平洋側に抜けています(図2)。
台風が上陸した九州南部にある枕崎測候所では最低気圧687.5㎜(916.6hPa)で、当時としては第1室戸台風のときに室戸で観測された684㎜(911.9hPa)に次ぐ記録でした。しかも690㎜(約920hPa)以下の気圧が20分以上も続き、最大風速は40m/sで瞬間最大風速は62.7m/sでした。枕崎台風はいかに強烈な台風だったかがわかります。しかし、通信回線が復旧していなかったため、これらの観測データは中央気象台や他の地域に伝わっていません。観測データを送れなかったのは枕崎だけではなく、その当時の天気図(図3)からわかるように、台風の進行につれて観測記録が送れなかった地域が広がっています。
(図3)枕崎台風通過時の天気図 (気象庁提供)
(表1)枕崎台風による西日本の死傷者・行方
不明者 (気象要覧による)
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今では様々な高さの天気図が東京の気象庁で作られ、それらや防災上の注意点は各気象台に送られています。当時も天気図は中央気象台(現気象庁)で作成され、各気象台には天気図の概要や防災上の情報も送られていました。広島の気象台の職員は中央気象台からの情報や広島の観測データで台風の接近はわかっており、防災に対する情報も出されています。しかし、広島は通信網や報道機関の機能も完全に復旧してなく、この台風に対する防災情報は一般市民に伝わっていませんでした。
広島県では土石流や河川の氾濫で広島市や呉市周辺で被害がひどく、大野村(現在廿日市市大野町)では丸石川で大規模な土石流が発生して原爆にあった市民を治療していた大野陸軍病院を直撃し、180名近くの人が亡くなりました。広島市内でも市内を流れる太田川が氾濫し、原爆の被災地を水浸しにしました。月ごとの気象や地震のことが書かれた気象要覧(中央気象台発行)には、「近畿以西の各地で甚大な被害があった」とあります。(表1)は枕崎台風による西日本の府県ごとの死傷者・行方不明者数です。広島県では枕崎台風による死傷者・行方不明者数が3,066人と他府県に比べて遥かに多く、全国合計の被害者数の半分を占めています。
現在では、気象衛星やレーダーにより、時々刻々台風の動きをつかむことができ、通信網も整備されました。防災情報はテレビやラジオでも伝えられ、1つの台風で死者・行方不明者が数百人になることはありません。携帯電話やインターネットでもそれらの情報や台風の動きを見ることができます。改めて防災情報の重要性やありがたさ、平和のありがたさを感じます。
No.56
2005.9 Categories台風あれこれ
台風は温泉が好き?
昨年(2004年)は台風が10個も上陸し、台風の統計を取り始めた昭和26年以降、最大の上陸数でした。また、南西諸島や小笠原など、島嶼(とうしょ)部も含んだ日本への接近数は19個(平年10.8個)で昭和35年(1960年)、昭和41年(1966年)の記録と並び、歴代最多でした。上陸した10個の台風はそれぞれに違った顔をしており、上陸地点も違っていました。
(図)1990年の台風 第19号、第20号、第21号、
第28号の経路図
○は午前9時の台風中心位置、点線部分は台風が熱
帯低気圧又は温帯低気圧になっていることを示す。
台風の歴史の中には「そんなまさか」というような珍しいこともあります。そのひとつの例が1990年(平成2年)にありました。台風経路図を見てください。19号、20号、21号と紀伊半島南西部に上陸しています。上陸地点は、19号と20号が和歌山県白浜町、21号が和歌山県田辺市、白浜町のすぐ北です。白浜町は白浜温泉で有名ですが、まさか台風は温泉が好きだったわけではないでしょうが。
この年の夏は中国大陸から太平洋に及ぶ長大な高気圧(亜熱帯高気圧)の帯が日本の上空に居座り、各地で猛暑が続きました。雨が少なかった関西では琵琶湖の水位がどんどん下がり、9月に入ると渇水が懸念されていました。しかし、9月中旬から停滞していた秋雨前線を台風19号が刺激して降らせた雨で、渇水の心配はなくなりました。一方降りすぎたところもあり、兵庫県北部では大雨で昨年(2004年)氾濫した円山川が氾濫しています。
上陸した日は、19号が9月19日20時過ぎ、20号が9月30日9時30分頃、21号が10月8日10時30分頃でした。8日ないし10日ごとに台風が上陸しています。19号は上陸したとき大型で強い勢力でしたが、20号は小型で並の勢力で、21号は中型で並の勢力でした。19号はもちろんですが、20号も21号も近畿地方に多量の雨を降らせ、河川は増水し、たくさんの水がダムに流れ込みました。ダムには発電所があり、電力会社の社員が入ってくる水量に合わせて発電に使う放流量を調節するところもあります。しかし、発電に使う水よりたくさんの水が入ってくると、ダム本体のゲートを空けて放流を行います。このような時は、ダムを管理している役所の職員が直接ゲートを操作して放流量を調節するようになり、職員が交代で泊り込むようになります。このように、次から次へと台風が来ると、ダムに流入する水の量がなかなか減らず、職員は休みが取れません。当時の記録を見ると、若い独身の職員が「洗濯ができず着る肌着なくなった。」と、悲鳴を上げていました。
1990年の台風の記録にはおまけがあります。台風28号が11月30日に紀伊半島南部に上陸しました。この記録が、台風の上陸として最も遅いものとなっています。
また1990年の8月から9月にかけて、台風の複雑な動きのメカニズムを解き明かすために、日本の南海上を中心とし台風特別実験のための特別観測が行われました。この観測には、日本を始め、中国、韓国、フィリピンなどアジアの10ヶ国が参加し、アメリカ、ソビエト(現ロシア)が独自に観測船等を派遣していました。高層観測は6時間毎(通常12時間間隔)に行われ、台風をとりまく形で展開した観測船により海上気象や高層気象観測、航空機による観測など、普段では得られない豊富で精密な観測データが得られました。観測対象となった台風は7つあり、19号台風もその一つで最大規模のものでした。台風19号の解析結果は翌1991年にNHKで1時間半の番組として放映されています。その番組では台風の構造や発達のメカニズムがグラフィックを使って判りやすく表現されており、とても興味深い番組でした。これらの解析結果は、その後の台風予報に活用されていることは言うまでもありません。
No.44
2004.9 Categories台風の動き
台風の動き方
今年(2004年)は台風18号が各地に大きな被害を出しました。9月20日現在で台風が20個発生し、そのうち7個が上陸しました。台風の上陸数の平年値は2.6個で、台風の統計を取り始めた1951年(昭和26年)以降の上陸数の最大値は1993年(平成5年)の6個です。今年は9月中旬で今までの最大値を越えてしまいました。今年の台風は日本に接近してからの台風の動きがはっきりせず、いろいろと予定を立てられないでイライラした人が多かったかと思います。でも台風は、それなりの仕組みによって動いています。
私は子供の頃、世田谷に住んでいました。近くの田んぼの中を小さな川が流れており、2つの川が合流している所がありました。そこで川を見ていると、絶えず渦が出来ては流され消えていました。台風は大気中にできた渦の一種ですから、川の中の渦と同じように大きな規模の空気の流れには逆らえません。
日本付近の緯度帯の上空は西よりの風(偏西風)が吹いており、台風がここに来ると東よりに進みます。台風が背の高い太平洋高気圧の南側にあるときは、上空で吹いている東よりの風に流されて西に進みます。
(図1)一般流の中の台風
(図1)のように上空の流れがはっきりしたところに台風が来ると台風はその流れに流されます。上空の流れを一般流と言っており、ふつう5500m位の高さの風です。一般流の流れが早ければ台風の移動速度は早くなり、洞爺丸台風や1991年の19号台風(厳島神社や弘前のりんごに被害を与えた)のように移動速度が時速100kmぐらいとなることもあります。
台風は赤道付近の熱い空気を北に運んで、地球のエネルギーバランスを保とうとしているため、基本的には北に行こうとします。このため一般流が無い、あるいは弱いところに台風が入ると、地球の自転の影響を受けて、(図2)のように台風はゆっくりした速度で北西ないし北北西に進みます。
(図2)一般流が無いところでの台風
日本の夏の主役は背が高い太平洋高気圧です。もう一方の主役は中国大陸から東に張り出してくる背の高いチベット高気圧で、両高気圧ががっちりと肩を組んで日本付近や日本の南に背の高い気圧の峰を作ることがあります。台風はもともと北に進もうとする性質があると言いましたが、背の高い太平洋高気圧や両高気圧によって出来た強い気圧の峰を突っ切って北上することができません。このような時は台風の動きが遅くなり、(図3)のように一度南に南に向かってから、両高気圧が離れるのを待ってから北に進もうとします。こんな台風の経路を図にするとループを描いており、迷走台風などと言うこともあります。
(図3)気圧の峰に突っ込んだ時の台風
2つ以上の台風が接近したりすると、お互いに干渉し合って台風は複雑な動きをします。
台風の動きを分析すると、3つないし4つの性質がありますが、個々の台風の動きを予報するとなると、これ以外にもさまざまな要素が影響しあってなかなか大変です。台風の予報は数値予報を基に行なわれており、日本だけでなくアメリカやイギリスでも独自の数値予報モデルで行なわれています。しかし、3日とか4日先の予報は意見の分かれることがあるようです。
(注)台風の上陸とは、台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合を言います。台風の中心が、小さい島や半島を横切って短時間で再び海上に出る場合は上陸と言いません。
No.30
2003.8 Categories台風あれこれ
台風は給水車
ほぼ10年ほど前になりますが、1994年(平成6年)の夏のことを覚えていますか。今年とは逆で梅雨期間は短く、おまけに雨がほとんど降りませんでした。さらに、梅雨が明けてからは猛暑続きで雨があまり降らず、降ったとしても局地的な雨でした。
各地のダムは貯水量がどんどん減り、特にショッキングだったのは、四国の早明浦ダムが空っぽになり、ダム湖の湖底が現れたことです。連日新聞やテレビで報道されていたので、記憶に残っていることでしょう。前の年の1993年夏は長雨続きとなり米があまり取れず、1994年は米騒動(?)で始まりましたからあまりの違いに驚かされます。
月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 |
1994年 | 129.5 | 105.0 | 41.0 | 37.0 | 320.5 | 29.5 |
平年値 | 151.5 | 204.5 | 200.5 | 121.8 | 194.7 | 111.7 |
平年比(%) | 85.4 | 51.3 | 20.4 | 30.3 | 164.6 | 26.4 |
日本で最も広く、関西の重要な水瓶である琵琶湖でもこの年にはどんどん水位が下がりました。(表1)は琵琶湖畔にある彦根地方気象台の毎月の雨量データです。6~8月にかけて平年よりも雨量が少ないことがわかります。 このため、8月末には琵琶湖の水位は基準とする水位よりも1mも低くなりました。9月は320.5mmの雨量となっていますが、そのほとんどは9月中旬の大雨と下旬に近畿地方東部を北に進んだ台風26号による大雨で、それまでは暑い晴天が続いたため、9月16日には基準とする水位より約1.2m低くなっています。ところで、琵琶湖の基準水位となる高さは大阪城の天守閣の高さです。
(写真1)は琵琶湖南部の西岸、堅田にある「浮御堂」の1994年9月10日の写真です。通常は(写真2)のように湖水の上にあるのですが、この年は(写真1)のようになってしまい、琵琶湖の底を歩くことができました。写真で、「浮御堂」のすぐ右の台座の上に白いポールが立っています。これは琵琶湖の水位を見るための物ですが、用をなさなくなりました。琵琶湖では漁業も行われており、水位が低くなったために漁港から船を出せなくなったところもあると聞いています。
腹(写真1) 浮御堂(1994年9月10日撮影)
湖底が見えている状態
(写真2) 浮御堂(2003年7月5日撮影)
通常の状態
もちろん、8月に入ってから琵琶湖を含め、淀川本流や淀川に流入する桂川や木津川からの取水量は制限されました。幸いなことに、一般家庭の水道には大きな影響はありませんでした。琵琶湖の水位が基準とする水位より1.5m以上低くなると、関係する水道では給水制限になるといわれています。また、あまり琵琶湖の水位が低くなると、面積が広いだけに回復させるのは大変です。琵琶湖の水を利用しているのは人間だけでなく、宇治川や淀川に住んでいるさまざまな生物にとっても必要なのでその量も考えなくてはならず、淀川の流れを管理する部門では大変苦労をしたようです。
(図1)からわかるように、琵琶湖の水位は9月中旬の大雨である程度まであがり、下旬には台風26号の大雨でこの時期の琵琶湖の制限水位近くまで回復しました。その後、淀川水系では取水制限も解除されたと聞いています。一方、早明浦ダムを利用していた香川用水は、台風29号の雨により、11月14日に給水制限が解除されています。雨が少なく渇水になったときには、とにかく雨が降るのを待つしかありません。台風は雨だけでなく風や波、高潮などでさまざまな災害をもたらします。しかし水不足のときにはこのように台風は大きな給水車になるのです。
(図1) 琵琶湖の水位変化(1994年7~10月)
No.5
2002.9 Categories台風あれこれ
台風の特異日
(図1)台風と秋雨前線
台風シーズンは9月と世間一般でいわれていますが、台風の発生数、日本への上陸数は8月が最も多くなっています。 9月に日本へ来襲する台風は、8月に比べると勢力が強く、また日本列島には秋雨前線があり、台風の東側と太平洋高気圧の間では南から暖かく湿った空気が前線の活動を活発化させて大雨を降らせる(図1参照)など、台風による被害が大きいことが多いからでしょう。
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気象庁編「気象ガイドブック」(2002)より |
気象庁は特に大きな被害をもたらした気象現象や地震に対しては特別な名前(バックナンバー「台風の名前」参照)をつけています。
その中で、名前をつけられた台風を(表1)に示しましたが、すべて9月です。このことからも、9月が台風シーズンといわれているのでしょう。
気象、お天気には特異日というものがあります。その理由は解明されていませんが、なぜかその日には特定の気象現象が起きやすくなっています。例えば、11月3日は晴天の特異日として有名です。9月は立春の日から数えて210日目の二百十日、220日目の二百二十日が台風の厄日といわれていますが、大型台風が来襲しやすい特異日は9月17日頃と26日頃です。
9月17日頃は1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1948年(昭和23年)のアイオン台風、1961年(昭和36年)の第2室戸台風、26日頃は1954年(昭和29年)の洞爺丸台風、1958年(昭和33年)の狩野川台風、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風などです。いずれも災害史に残る名だたる台風ばかりです。
平成に入ってからは、特異日のひとつである9月17日には、上陸こそしませんでしたが戦後最大級の台風12号が1995年(平成7年)9月17日に八丈島付近を通過しています。もうひとつの特異日である9月27日には、1991年(平成3年)9月27日に台風19号が佐世保市に上陸し、28日にかけて足早に日本海を北東に進み(洞爺丸台風と似たコース)ました。この台風により、厳島神社が被害(創建以来初めてといわれている)を受け、青森県は収穫間近のリンゴが多量に落下するという被害が出ています。
1991年(平成3年)の台風19号が来たときは、筆者は石川県志賀町(能登半島中部西海岸)で海岸からやや入った所にある鉄筋コンクリート5階建てのアパートの4階に住んでいました。台風の規模からして、ただならぬことになると思いました。27日午後に聞いたNHKラジオの台風19号に対する気象情報では「最大級に警戒をして下さい。」と言っていたことが印象的でした。
確かに台風が通過した27日の夜はものすごい風で、サッシの窓が風圧で曲がっていたように感じ、窓が割れるのではないかと怖くなりました。同じアパートの別の部屋ではガラスの割れる音も聞こえました。ベランダに置いてあった物が飛んだのでしょう。幸い我が家ではこの台風に備え、ベランダにあったすべての物を室内に入れたため窓が割れることはありませんでした。また、外を見ると、近くにある交差点を通過する車が、風下方向に流されていました。
(写真1)台風19号の風の影響 →<拡大画像>
翌朝、すっかり風は収まりましたが、交差点の信号機はライトの部分が曲がっていました(写真1)。サッシとサッシの間からは砂が室内に入り、車の中にも砂が入っていました。道は飛んできた瓦が砕けて散らばっていましたし、あるお寺では釣り鐘堂が潰れたとも聞きました。釣り鐘堂は壁がない構造で屋根の断面を考えると飛行機の翼の様なので、風で浮き上がり一時的に風が弱まったときに地面に落ちたのでしょう。
強い風の恐ろしさをまざまざと見せつけられた思いです。残念だったことは、砺波平野で火事が起こり、強い風によりかなり広い範囲まで火の粉が降り注ぎ、人家が散在している農村地帯で16棟が焼けてしまったことです。
No.4
2002.9 Categories台風とは
台風の名前
(図1)2002年7月9日18時
今年は7月上旬の台風6号による大雨や、それによる洪水により各地で被害が出ました。(図1)は台風6号が日本に接近したときのひまわり雲画像です。
気象庁は北西太平洋域の台風については「熱帯低気圧に関する地域特別センター(RSMC Tokyo-Typhoon Center)」として、その予報・解析などの国際的な情報の作成・発信を行っています。毎年発生した台風の順番に西暦年号の下2桁を合わせて、台風番号としています。台風0206号は、2002年に発生した6番目の台風のことで、我々が目にするのは下2桁の部分で台風6号と呼んでいます。
戦後、日本では1953年(昭和28年)までは台風には女性名が使われており、台風番号は使われていませんでした。カスリン台風とかジェーン台風など、当時を知る人はいろいろな思いがあることでしょう。カスリン台風は1947年(昭和22年)に利根川流域に大洪水を引き起こしましたし、ジェーン台風は1950年(昭和25年)に大阪湾周辺に高潮被害をもたらしています。
なぜ台風に女性名を使ったかというと、当時台風の観測では海軍や空軍が飛行機で台風の中に入り、台風の中心から観測機器を投下して台風の観測をするという荒っぽい仕事をしていました。遊び心から奥さんや恋人の名前を台風に付けて、親しみを込めて呼んだことが始まりといわれています。女性名で熱帯低気圧を呼ぶ方式は、アメリカでも1950年から正式に採用されました。
気象庁は北西太平洋域に対する予報センターですから、気象庁がつけた台風番号が世界で通用していましたが、グアム島にあるアメリカの海軍と空軍の「合同台風警報センター(JTWC)」でつけられた名前も使っていました。名前には女性名と男性名の一覧表があり、順番に女性名と男性名が交互に使われています。男性名と女性名を使いだしたのは1979年(昭和54年)からで、それまでは女性名だけでした。それは、女性名だけをつけるのは男女平等に反するとの指摘が当時あったからです。
今年の台風6号は台風番号の他に「Chataan」と書いてあります。アルファベットの名前はアジアになじみのある呼び名を台風の呼び名にということで、アジア地域の国々が候補に出した名前から「ESCP/WMO台風委員会」で決めたリストに従って付けられたものです。ちなみに、「Chataan(ツァターン)」とはアメリカが選出した名前で、「雨」という意味です。台風の名前の一覧は別表に示します。
2000年からは新しい台風名のリストに従って名前がつけられていますが、過去の台風では、「洞爺丸台風」、「狩野川台風」、「伊勢湾台風」、「第2室戸台風」など特別な名前をつけられた台風があります。これは、日本に顕著な災害をもたらした台風や地震などの「顕著異常現象」に対して、気象庁長官が命名を行う制度によるものです。
1997年(昭和52年)9月の「沖永良部台風」以降、このような特別な名前を付けられた台風はありません。しかし、今でも台風が来るたびに様々な被害は出ています。(表1)に過去の主な台風による被害を示しました。災害規模や人的被害が昭和のころに比べはるかに少なくなっています。
台風名 または 台風番号 | 死者・ 行方 不明者 (人) | 負傷 (人) | 住家 半壊 など (棟) | 建物 浸水 (棟) | 耕地 流失 など (ha) | 船舶 (隻) | 上陸・ 最接近 年月日 |
室戸台風 | 3036 | 14994 | 92740 | 401157 | 不詳 | 27594 | 1934年(昭和9年) 9月21日 |
枕崎台風 | 3756 | 2452 | 89839 | 273888 | 128403 | 不詳 | 1945年(昭和20年) 9月17日 |
伊勢湾台風 | 5098 | 38921 | 833965 | 363611 | 210859 | 7576 | 1959年(昭和34年) 9月26日 |
平成2年 第19号 | 40 | 131 | 16541 | 18183 | 41954 | 413 | 1990年(平成2年) 9月27日 |
平成3年 第19号 | 62 | 1499 | 170447 | 22965 | 362 | 930 | 1991年(平成3年) 9月27日 |
平成5年 第13号 | 48 | 266 | 1892 | 10447 | 7905 | 66 | 1993年(平成5年) 9月3日 |
気象庁編「気象ガイドブック」(2002)より
これは予報技術の進歩、堤防やダムなどの災害防止施設の充実、レーダー、アメダス、ひまわり画像のようなリアルタイムに得られる気象情報などが、災害防止のために有効に利用されるようになったからです。これらの技術は「災害を未然に防ぎたい」という思いから、多くの人々による努力の積み重ねで作られたもので、現在もさらなる技術向上のための研究開発が行われています。
No.3
2002.8 Categories台風とは
台風
<台風とは>
日本付近では台風とは、西太平洋(東経180度[日付変更線]より西側の太平洋で、南シナ海等の付属海を含む)より西にある熱帯低気圧のうち、中心付近の最大風速が17.2m/s 以上になったものをいいます。熱帯低気圧(台風)は低気圧の一種ですが、温帯低気圧とはその発生機構や構造などが全く違っています。(表1)に熱帯低気圧(台風)と温帯低気圧との比較を示しました。
表1) 熱帯低気圧(台風)と温帯低気圧との比較 |
熱帯低気圧(台風) | 温帯低気圧 | |
---|---|---|
発生域 | 熱帯 | 温帯 |
構造・等圧線 | 円形で中心ほど混んでいる | 歪んでおり、等圧線の間隔はほぼ一定 |
前線 | 原則として前線がない | 前線がある |
風 | 中心付近が特に強い | 暴風の区域は広いが、最大風速は台風ほどでない |
雨 | 中心付近 | 前線付近 |
眼 | ある | ない |
エネルギー源 | 水蒸気が凝結(雲粒になる)ときに放出するエネルギー(潜熱エネルギー)が重要 | 大部分がぶつかりあう気団同士の温度差 |
天気図 | 1993年9月3日9時 | 1994年2月12日9時 |
<台風の発生域>
熱帯低気圧(台風)が発生する地域は熱帯の海上であり、発生数が多い季節は夏から秋にかけてであることはよく知られています。しかし、熱帯の海上ならどこでも発生するわけではありません。(図1)には1952年から1971年の20年間で熱帯低気圧が発生した地点を示してあります。(図1)からわかるように、熱帯の海上で限られた地域に発生しています。台風を含む熱帯低気圧が発生するには、26~27℃以上の海面温度が必要だといわれています。
ところで、(図1)からわかるように赤道上で熱帯低気圧が発生していません。これには理由がありますが、今回その説明は省略します。
(図1)熱帯低気圧の発生地点,1952~1971年の20年間(グレイ,1975)
<台風の一生>
台風の発達過程を模式化して(1)~(4)に示しました。
(1)発生期
何かのきっかけにより熱帯の海上にできた弱い低圧部に、次々と積乱雲ができてきます。積乱雲ができるときに発生する熱エネルギー(水蒸気が水滴になるとき、つまり雲粒ができるときには、熱エネルギーを出す)によって域内の上空の温度が上がり、四方八方に空気が流れ出すため強い上昇気流ができます。このため、低気圧性回転(北半球では反時計回り)が起こり、下層で気圧が低くなります。
(2)発達期
低いところでは低気圧性の回転が始まり、周囲からのたくさんの湿った空気が流れ込み、上昇気流も強まってきます。上空での流出する空気の量も増え、上空の中心部では空気が下降を始めます(台風の眼の形成の始まり)。
雲の中では盛んに雲粒ができ、そのさい放出される熱エネルギーによって内部の加熱がより増加し、上昇気流の速度もいっそう強まります。下層の中心部では、気圧が急激に低下してきます。上層の中心部で始まった下降気流は下層まで達して、台風の眼が形成されます。台風に巻き込む螺旋状(スパイラル状)の積乱雲列ができ、そこでは強い雨が降っています。
から発達した例
(図2-1)1979年10月19日9時
(図2-2) 1979年10月20日9時
(3)最盛期
中心付近は気圧がとても低くなり、台風の眼が形成されています。周囲には広い範囲で暴風雨域が形成されています。9月、10月にはこのような状態の台風が日本に来るため、上陸・接近すると各地に大きな被害が出やすくなります。
(4)衰弱期
台風は上陸すると、陸地により摩擦を受けます。また台風が緯度の高い地域に入ると、海水温が低いため海上からのエネルギーの補給がなくなります。このため、台風の「眼」はなくなり、きれいな螺旋状の雲の形はくずれ、中心付近の風速が弱まり、弱い熱帯低気圧へと変わっていきます。台風が緯度の高い地域に入った場合、周囲の温度が低いため前線ができて、温帯低気圧に変わることもあります。しかし、台風域内は温度が高いため、周囲との温度差が大きいときには、温帯低気圧となってから逆に発達する(中心気圧が低くなる)場合もあります(図2)。
台風の発生期から最盛期までの様子をまとめると、(図3)に示したようなフロー図になります。海水温度が高い熱帯域で発生した台風は、海水温度が高い地域にいる間、自らの力で発達していくようなものです。台風が海水温度が低い地域に上陸すると、フロー図中[6]にある台風のエネルギー源である「下層の湿った暖気」がなくなるため、台風は衰弱していきます。
(図3)台風の発生期から最盛期までの様子