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お天気豆知識

梅雨と豪雨の記事一覧

No.103

2009.8 Categories梅雨とは

梅雨とは

 今年(2009年)も梅雨で雨模様のぐずついた天気が続きました。“洗濯物が乾かない”と悲鳴を上げている人もいたでしょう。(図1)は今年の7月11日の気象衛星ひまわりの赤外画像です。日本の南海上には雲のない地域が帯のように広がっています。ここは太平洋高気圧です。日本の上から東西に伸びる雲の帯があります。これが梅雨前線の雲の帯です。この日は九州には強い雨域がかかり(図2)、熊本県には大雨洪水警報や土砂災害警戒情報が出ました。(図1)の雲画像をさらに西の方を見ると、途中切れ目はありますが、その雲の帯がベンガル湾までつながっています。梅雨前線といってもこんなに長い雲の帯が関係することがあります。


(図1)赤外画像(2009年7月11日)(気象庁提供)

(図2)九州地方のレーダー画像(気象庁提供)

 次に日本各地とインドの東のベンガル湾にあるスリランカの首都コロンボの月ごとの降水量を見てみましょう。いずれも1971年から2000年までの30年間の平均値(平年値)です。冬に雪の多い日本海側の代表として新潟を見ると、当然のことながら寒い時期の降水量が他の季節より多くなっています。もう一度見直すと、7月と9月に他の月よりもやや多くなっています。同じような見方で東京、大阪、鹿児島を見てみると、6月か7月と9月に他の月よりも降水量が多くなっています。日本の季節は、春夏秋冬の4つに分けていますが、6月と7月をひとまとめにし、9月を単独にし、それぞれを雨期と考えると、六つの季節と考えてもよさそうですね。梅雨はその雨季の一つとしてみることもできませんか。
 (図1)の雲の帯はベンガル湾の方から延びていましたが、スリランカの首都コロンボの雨量(図3右下)を見てみましょう。5月と10月にピークがあります。最初の雨季は赤道に近い南の方が日本よりも早く始まり、2回目の雨季は南の方が遅くに来ています。こうしてみると日本の梅雨も毎年繰り返されている、地球規模の季節の変化の中にあると見ることもできます。


(図3)各地の月平均雨量(気象庁提供)

 今度は大気の立体的な様子から梅雨を見てみます。ジェット気流という言葉を聞いたことがあると思いますが、北半球は西から東に流れる二本のジェット気流があります。梅雨前線はその南側のジェット気流、亜熱帯ジェット気流と関係しています。日本の西にはユーラシア大陸があり、そこには標高が4千メートルから5千メートルのチベット高原が広がっています。チベット高原の南には8千メートル級のヒマラヤ山脈があります。これらを南北方向に見ると、北緯25度から北緯40度ないし45度に渡っています。日本列島で考えると、石垣島から北海道ぐらいまでの幅です。亜熱帯ジェット気流の軸は1万メートルぐらいの高さにありますが、チベット高原やヒマラヤ山脈の影響を受けます。季節が進むに連れて北上してきた亜熱帯ジェット気流はヒマラヤ山脈やチベット高原をなかなか越えられません。二本目の北側にあるジェット気流は蛇行していて日本付近で合流しています(図4)。しかも北側のものは蛇行して梅雨の片方の主役のオホーツク海高気圧を作ります。また、南回りのジェット気流の南には太平洋高気圧があります。このため、地上では太平洋高気圧とオホーツク海高気圧がぶつかり、その間に梅雨前線ができます。


(図4)梅雨期のジェット気流

(図5)盛夏期のジェット気流

 南のジェット気流はヒマラヤ山脈やチベット高原を越えて一気に北上し、分かれていたジェット気流が一つになると梅雨明けです(図5)。しかも亜熱帯ジェット気流は北海道の北に北上してしまいます。このため、北海道に梅雨がないと言われています。
 日本の四季の分類は、春は3月から5月、夏は6月から8月、秋は9月から11月、冬は12月から翌年2月となっています。しかし、ある日を境に急に天候が変わって冬から春になるというのではなく、“気がついたら春になっていた、秋になっていた”ですよね。でも、梅雨から夏に変わるときは特別で、ある日を境に強い日差しの夏になることがほとんどですね。年によっては、強い日差しの夏になっても、梅雨みたいに雨模様の天気に戻ることもあります。これが自然界と理解すべきでしょう。

No.55

2005.8 Categories梅雨前線と大雨

集中豪雨と積乱雲と雷

 集中豪雨とは、どのくらいの範囲に、何時間に何ミリ以上降った場合を集中豪雨と いうはっきりした定義はありませんが、「比較的短時間に狭い区域で多量に降る雨」のことを言うことは、別の項目(集中豪雨)で示しました。

 昭和57年7月23日から24日にかけて長崎県で発生した豪雨では最大1時間雨量で187mmが記録されており、3時間では366mmの雨量が記録されています。間一髪で電車の乗客が土石流の被害から逃れたという、平成5年8月6日から7日にかけて鹿児島県で発生した豪雨では1時間で64mm、3時間では145mmの雨量を記録しています。

 夏、日本付近の空気中では、断面積1cm3の気柱に約5gの水蒸気が含まれています。この水蒸気がすべて雨として降ったとしても、雨量は50mmです。集中豪雨と言われる雨を降らせるためには、いかにすごい量の水蒸気が必要かわかります。短い時間で強い雨を降らす雲は積乱雲ですが、集中豪雨が起こるには暖かく湿った空気の流入により、積乱雲群が特定の地域に次々と発生しなければなりません。

 なぜ暖かく湿った気流かというと、湿度100%の温度が違う同じ量の空気を考えた場合、(図1)からわかるように温度が高い空気の方が多量の水蒸気を含むことができ、多量の水滴を作ることができるからです。

1m3の空気が含める最大の水蒸気の重さと水蒸気の凝結
温度(℃)302520151050-5-10-15-20-25-30
水蒸気量(g)302317139753.42.41.61.10.70.5

(図1)水蒸気の凝結
(暖かい空気は水蒸気を多量に含むことができ、多量の水滴を作ることができる)

水蒸気が水滴に変わるとき(凝結)には、熱(潜熱)を放出します。放出された熱により水滴の周りの空気が暖められて軽くなり上昇します。たくさんの水滴ができると、放出される熱が多く、上昇気流も強くなり積乱雲はさらに上空へと発達します。最近の研究から、積乱雲が次々に作られて発達するのには、下層の暖かく湿った気流が常に流入するだけではなく、中層以上にある冷たくて乾いた空気の流入も重要であることがわかりました。

 気象衛星写真を見ると、集中豪雨が起こっているところでは、白く輝いた丸っこい雲の塊があります。普通テレビや新聞で眼にする気象衛星写真は赤外画像なので、「白く輝いた丸っこい雲の塊」は、高いところまで発達した積乱雲を意味します。集中豪雨は人参みたいなあるいは毛筆の筆先のような形をした雲が関係することもあります。そこには活動が活発な積乱雲があり、強い雨や、雷雨、突風などが起こっている場合があります。(図2)は2004年6月30日午前9時の赤外画像で、形はあまりよくありませんが赤い点線で囲まれた部分に毛筆の筆先のような形をした雲があります。この日は、静岡で激しい雨が降り(図3)、新幹線も止まりました。


(図2)2004年6月30日9時の赤外画像
(赤い点線で囲んだ雲が大雨を降らせた)

(図3)2004年6月30日の静岡の雨(気象庁提供資料を使用)

 積乱雲には雷がつきものです。夜中の雷には特に注意が必要です。過去の大雨の例でも夜中に雷が鳴っていたことは、「集中豪雨」でも示しました。夕立でも雷は鳴りますが、夕立の原因となる積乱雲は、地面が強い日射で暖められて発生したものです。このため、日が沈んでしまえば積乱雲が発達させるエネルギー源が絶たれ、発達した積乱雲もしぼんでしまいます。しかし、夜中に雷が鳴るときは、暖かく湿った空気が次々と流れ込んでくることによりできている積乱雲なので、その空気の流入が止まらない限り激しい雨は止みません。しかも、暖かく湿った空気はたくさんの水蒸気を含んでいるので、大雨を降らすことができます。各地の天気俚諺に、「朝の雷は大雨」、「朝雷に川越すな」、「朝雷が起これば雨続く、夜雷が起これば雨多し」というのもあります。 

 集中豪雨というと梅雨期に現れる活動の活発化した梅雨前線が頭に浮かびますが、低気圧や台風、太平洋高気圧の西の端を回り込んでくる南よりの暖かい湿った気流でも条件さえ揃えば積乱雲が次々と発生して発達し、強い雨が降り、集中豪雨となります。

No.53

2005.6 Categories梅雨前線と大雨

集中豪雨

 集中豪雨とは、比較的短時間に狭い区域で多量に降る雨のことを言います。しかし、どのくらいの範囲に、何時間に何ミリ以上降った場合を集中豪雨というのか、はっきりした定義はありません。 
「集中豪雨」という言葉が初めて登場したのは、次の新聞記事からです。 

「14日夜中から15日未明にかけ裏日本から南下した寒冷前線は激しい雷と豪雨を伴って京都・滋賀・奈良府県境にあたる木津川上流に集中豪雨を降らせ、同地方各地に死傷者、浸水、流失家屋など多大な被害をひき起こし………」
〔1953年(昭和28年)8月15日朝日新聞夕刊大阪本社版〕


 その後、「集中豪雨」という表現は1958年(昭和33年)7月1日島根県浜田市の大雨以来、広く一般に使われるようになりました。

 「集中豪雨」という言葉のきっかけとなった豪雨は、「南山城豪雨」あるいは「南山城水害」と言われています。総雨量で100mm以上降った範囲は、京都府南部の南山城から滋賀県南部と三重県西部の一部に渡り、大雨の中心となった京都府の和束付近では428mm降りました。しかし、気象台のある京都市や奈良市の中心部ではほとんど降っていません。しかも京都市内では、遠くで雷の音はしていましたが、星空が見えていたそうです。この豪雨により南山城周辺では各地で山崩れが発生しました。豪雨の中心の和束では、木津川支流の玉川上流にあった農業用の溜池の大正池が決壊し、山麓に位置する井手町では、天井川となっていた玉川の堤防が壊れ、105人の死者を出しています。この豪雨の時には、危険を知らせる役場の半鐘の音が聞こえないほどの激しい雨だったそうです。

 南山城豪雨でもそうでしたが、集中豪雨の時には雷の鳴ることがあります。平成15年(2003年)7月19日から20日にかけて九州南部で降った集中豪雨では、熊本県水俣市の山間部で特に激しい雨が降り、それによって発生した土石流により多くの人が亡くなりました。豪雨は20日未明に降っており、助かった人の話によると、雷の音がすごくて、怖くて外に出られなかったそうです。1994年9月6日夜半前から7日未明にかけて兵庫県西部か大阪府北部で降った豪雨では、豊中市を中心に浸水被害があり、伊丹空港では地下電源室が水没して、空港が丸1日使えなくなりました。このとき筆者は大阪府枚方市に住んでいましたが、枚方では被害が出るような雨が降りませんでした(図1)。でも雷は7日未明まで鳴っていて、「今夜の雷はしつこいな」と思ったのを覚えています。


(図1)豊中の集中豪雨の各地の雨量(気象庁提供データより)

 他の音が聞こえなくらいの激しい雨の音、雷を伴った激しい雨(特に夜中)は要注意といえます。(図1)は豊中集中豪雨の大阪府北部各地の時間雨量です。豊中では7日の1時から3時にかけて1時間に50mm以上の雨が降っています。(表1)からわかるように、1時間に50mm以上の雨が降ると雨の音がゴーゴーと鳴り、2時に観測された1時間90mmの雨では息苦しくなるような圧迫感があります。1時間に50mm以上の雨が降ると都市部では道路が川のようになり、山間部では土石流が起こりやすくなります。

(表1)雨の強さと降り方(気象庁パンフレット「この時の雨は何ミリ!?」を基に作成)

 梅雨期の雨は貴重な水資源となり、稲の成長には欠かせません。梅雨期に雨がほとんど降らず、そのまま暑い夏に入ってしまうと1994年のような大渇水となってしまいます。しかし、降り過ぎによる集中豪雨は困りものです。災害から身を守るには、自然がもたらすシグナルを見逃さず、早めの避難が必要と思います。

No.52

2005.5 Categories梅雨前線の構造

梅雨前線の記号は?

天気図で使われている前線の記号は、温暖前線寒冷前線停滞前線閉塞前線の4種類です。


(図1)2004年6月7日午前9時の地上天気図

の天気図は昨年(2004年)6月7日午前9時の地上天気図(速報値)です。この日、北陸、東北にも“梅雨入り”が発表され、梅雨がない北海道を除き日本全国で“梅雨”に入った状態となりました。

 天気図には気圧が等しいところを結んだ等圧線が描かれており、高気圧や低気圧、台風だけでなく前線も描かれています。4種類の前線の違いはその記号を見るとわかります。天気図を北から南(上から下)へと見ながら、それぞれの前線がどのような記号で表現されているか見ていきましょう。
 樺太の北に中心気圧が996hPhの低気圧があるのが分かるでしょうか。低気圧の中心からオホーツク海の中央付近にかけて線状の円弧が描かれていて、線に沿って北側(上側)に黒く塗りつぶされた半円と三角が交互に描かれています。このような記号で表された前線を“閉塞前線”と言います。閉塞前線に沿って南下する(下に進む)と二つに分かれた円弧状の線があります。分岐点からカムチャッカ半島の南端にかけて東側に伸びているものには、その線上の東側(右側)に黒く塗りつぶされた半円が描かれています。これは“温暖前線”です。一方、分岐点から西側(左側)に樺太南部を通ってウラジオストック付近に伸びている円弧状の線の東側(右側)には、黒く塗りつぶされた三角が描かれています。これが“寒冷前線”です。関東の東から東北南部を通って九州北部にかけても弧を描くような線があり、その線上の北側(上側)には黒く塗りつぶされた半円が描かれ、南側(下側)には黒く塗りつぶされた三角が描かれています。この記号で表現された前線は“停滞前線”と言います。黒く塗りつぶされた半円と三角が線状に交互に並んでいるところは閉塞前線と似ていますが、その向きが違っていますね。

 (図1)の天気図の日に「北海道を除き梅雨に入った」と書きました。当然日本付近には梅雨前線があるはずですが、どれが梅雨前線なのでしょう?
 この天気図では、日本付近にある停滞前線が梅雨前線です。

 私は中学校の時に理科で“お天気”のことを習い、テレビやラジオ、新聞に載っている天気や天気予報、天気図にも興味を持ち始めました。梅雨前線という言葉が耳に入り、梅雨前線はどんな記号だろうと思い、教科書や参考書を探しましたが、それを表す記号はありませんでした。教科書や参考書を何回も読み、「“梅雨前線”は梅雨期に日本付近から中国大陸にかけて停滞する前線の総称」だということがわかりました。 
つまり、温暖前線、寒冷前線、閉塞前線、停滞前線も梅雨期に日本付近から中国大陸に現れた場合は“梅雨前線”と呼ばれます。


(図2)2003年6月25日午前9時の地上天気図

 (図2)の天気図を見てください。2003年6月25日午前9時の地上天気図です。梅雨真っ盛りで、近畿から関東甲信地方の所々で雷を伴った強い雨が降り、近畿では浸水や落雷の被害も出ました。東海道付近に996hPaの低気圧があって中心から東西に伸びる前線があります。東に伸びるものは黒く塗りつぶされた半円が付いているから“温暖前線”です。西に伸びるものは黒く塗りつぶされた三角が付いているから“寒冷前線”です。この、温暖前線も寒冷前線も“梅雨前線”と呼ばれます。

No.41

2004.6 Categories梅雨前線の構造

梅雨前線と低気圧

 地域によって違いますが、6月から7月中旬は雨の季節、梅雨です。梅雨を少し違った方面から見ていきましょう。


(図1)ジェット気流

 北半球中緯度(日本がある緯度)の上空では偏西風帯となっており、空気が南北に蛇行しながら西から東に流れていて、その流れが最も強いところをジェット気流と言います。(図1)
ジェット気流は2本ないし3本あります。
  一番北にあるジェット気流を「寒帯前線ジェット気流」と言い、そのジェット気流の北側には冬の主役となる寒気があり、南側には春や秋の主役となる空気となっています。 寒帯前線ジェット気流が日本列島の真上や南に来ると日本は真冬となります。また、一番南にあるジェット気流を「亜熱帯ジェット気流」と言い、その北側には春や秋の主役となる空気があり、その南側には夏の主役となる暖気があります。亜熱帯ジェット気流が日本列島より北に行くと真夏となります。
これらのジェット気流は1年を通じてあり、春から夏にかけてと北半球では北上して行き、秋から冬には南下します。それぞれのジェット気流は地上の前線や前線帯が対応しています。
 梅雨前線は、一番南にある亜熱帯ジェット気流と関係していて、亜熱帯ジェット気流が日本付近に来ると梅雨となります。

 亜熱帯ジェット気流の速さは、北半球で一番北にある寒帯前線ジェット気流の速さと比べると遅くなっています。寒帯前線ジェット気流で強い風が吹くのは、このジェット気流に対応した地上の前線や前線帯を境にして接している空気の温度差が大きいためです。なぜ前線を境に接している空気の温度差が大きいと、ジェット気流の速さが大きいかの理由は、ここでは省略します。一方、亜熱帯ジェット気流では寒帯前線ジェット気流のような強い風は吹いていません。 このことは梅雨前線を境に接している空気の温度差が小さいことを意味しています。

 低気圧は前線上に発生しますが、秋から春にかけて日本付近を通過する低気圧の中心気圧が急に低くなる(低気圧の発達を意味する)のは、前線を境にして温度差の大きい空気が接しているからです。(図2)にはその例を示しました。


(図2)低気圧の発達例(2004年2月22日(左)と23日(右))

22日に日本海中部にある中心気圧が996hPaの低気圧が翌日の23日には北海道の東で中心気圧が968hPaに発達しています。しかし、梅雨前線上では低気圧のこの例のように中心気圧が急激に低くなることはなく、逆に中心気圧が高くなったり、消滅することもあります。これは、梅雨前線を境に接している空気の温度差があまりないからです。

 (図3)は昨年(2003年)7月に熊本県水俣市で土砂崩れが発生した時の天気図です。19日に日本海西部と朝鮮半島にそれぞれ1000hPa以下の低気圧がありますが、20日には前線だけが日本付近に進んできていますが、低気圧は消滅しています。


(図3)梅雨前線上の低気圧(2003年7月19日(左)と20日(右))

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