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お天気豆知識

春の記事一覧

No.98

2009.3 Categories

桜前線


(写真1)吉野の吉水神社からの桜(一目千本)

 桜餅、桜鱒、桜貝・・・。桜が付いた食べ物や生き物があります。奈良県吉野の吉水神社には、太閤さんが花見をした“一目千本”といわれる場所があります(写真1)。このような桜好きの日本人ですから、昔の日記にも桜に関した記述がありました。これらを調べることにより気候の変化が調べられています。現在でも生物気候観測のために、各気象台が標準木を決めて桜の開花日を観測しています。
 私事ですが、弟は東京都世田谷区内の小学校に入学しました。入学式の日は桜が満開で、記念写真は満開の桜の下でした。この年は、それまでの年よりも桜の満開が遅かったなという印象が残っています。後になっていろいろなデータを調べると、この年の春は寒かったことがわかりました。年によって桜の開花時期が違うことは皆さんも良くご存知と思います。

 各気象台で観測された開花日をもとに等値線を引くと、天気図の前線が移動していくように、その線が北上していくので桜前線という言葉で表現されています。(図1)は桜の開花の日の平年日を地図上に表した桜の開花日の等期日線図で、1971年から2000年の平年値です。この図によると、南西諸島を除く日本列島では、四国や九州の一部が一番先に咲き、日が進むに連れて北上していることがわかります。今まではテレビ、ラジオのニュースで、四国や九州で桜が咲いたという話題を聞いてから東京で桜が咲いたことが多かったと思います。


(図1)桜の開花日の等期日線図(1971年~2000年の平年値) (気象庁提供)
(表1)日本列島で最初の桜の開花日(1999年~2008年)
1999200020012002200320042005200620072008平年値
(1971
~2000年)
場所甲府熊本高知静岡
横浜
福岡
高知福岡宮崎高知東京名古屋
静岡
東京
高知
開花日3/183/243/213/153/183/173/283/153/203/223/23
(気象庁提供のデータによる)

 

 (表1)は1999年から2008年までの、南西諸島を除いた日本列島の桜の開花日で、各年に最初に桜の開花を観測した場所と日付です。もちろん、各気象台の観測値を基にしました。年によって多少の違いはありますが、ほとんど四国や九州で東京よりも先に桜が開花しています。しかし、2007年と2008年は四国や九州ではなく東京で先に桜が咲いてしまいました。2007年は“温暖化が始まっている”というデータも公表され、日本列島で一番先に東京で桜が開花したことは話題になりました。都市化の影響だとも言われもしました。

 ところで、桜の美しさは年によって違いがあります。ここ数年では昨年(2008年)の桜はえらく美しかったように思います。横浜の都筑区にある当社研究所周辺の桜の美しさも格別でした(写真2)。その時期の昼休みは連日、桜の下で昼食を取るグループがありましたし、カメラを持って桜見物をする人も数多く見かけました。


(写真2)桜に彩られた国土環境研究所(2008年)

 2008年4月20日、毎日新聞「時代の風」の中で、瀬戸内寂聴さんが「美しすぎる花のあとに」という見出しで書いています。その最初の部分です。

 今年の桜は例年にもまして輝くように美しく華やかだった。桜だけではない。京都の嵯峨野では至る所の家々の花々が美しく咲きほこっている。
 わが寂庵でも、花という花が遅れたり早すぎたりしながら椿も例年より、どの木にもびっくりするような大きな花がつき、いつまでも散ろうとしない。山桜もしだれ桜も、源平咲きの桃も、命のかぎりという意気込みで咲き続けていた。

 この年は桜の時期までにいろいろな事があったので、そのことを言うための前置きですが、この年の桜の美しさは京都でも格別な美しさだったといえるでしょう。なぜ昨年は桜の開花が早く美しかったかという、気候学的な位置づけは何年後あるいは何十年後にわかることと思います。
 ところで、昨年(2008年)の夏、横浜市北部では桜の木に毛虫(モンクロシャチホコ)が大発生し、丸坊主になった木もありました。その木の下は糞で赤く染まっていました。最近桜の木を見たところ、丸坊主にならなかった木はたくさんの太った芽が付いていていますが、丸坊主になった木には枝先にやせ細った芽が付いているだけでした。今年の桜はどのような咲き方になるのでしょう。

No.49

2005.2 Categories

冬から春への橋渡し

 大阪に住んでいたとき、毎年2月中旬になると奈良の東大寺二月堂で行われる「修二会(しゅにえ)」の「お松明」で使われる竹の奉納がTVのニュースで流れていました。また、3月2日には若狭の神宮寺(小浜市)で行なわれる「お水送り」もほぼ毎年ニュースで取り上げられていました。

 「修二会(しゅにえ)」は「お水取り」の名前で親しまれています。 この行法は僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、一般の人々に変わって苦行を行い、国家安泰等を東大寺二月堂の本尊、十一面観音に祈る祈願法要で、開行以来一度も欠かされることがありません。もともとは、旧暦の2月1日から14日まで行われていましたが、現在は太陽暦の3月1日から3月14日まで行われます。
「修二会」の準備(別火)は2月20日から始められ、3月1日から3月14日までいろいろな「行」が行われます。 この「行」の間、毎日夜10本の「お松明」あげられます。12日の真夜中すなわち13日の早朝三時頃に、二月堂の下にある閼伽井屋(若狭井戸)から御本尊に備えられる香水が汲み上げられます。 これが「お水取り」の名の由来で、12日夜には11本の「お松明」があげられます。また、この井戸の水は「お水送り」が行なわれる、若狭神宮寺にある「若狭鵜の瀬」と通じていて、「お香水」は10日間で二月堂の下にある閼伽井屋に届くと言われています。


(写真3)燃える「お松明」

(写真4)「お松明」から降り注ぐ火の粉

 観光案内などで「お水取り」というと二月堂の舞台に火の帯ができた写真が有名ですね。これは大きな「お松明」を持った僧が走り抜けるときの様子で、シャッターを長い時間開放にして撮影されています。何回か見に行きましたが、二月堂の舞台に通じている回廊を火の固まりが駆け上がって行き、やがて舞台の欄干越しに火の固まりが滑っていき、舞台の右と左の角では「お松明」がくるくる回され、火の粉が滝のように降り注ぎ、それは見事な物です。
(写真1)と(写真2)は出番を待つ「お松明」です。根から掘られた竹が使われていることがわかります。(写真3)は二月堂への回廊を駆け上がっていく火の付いた「お松明」です。(写真4)は「お松明」が二月堂舞台の南角でクルクル回された時の様子です。「お松明」が行なわれる時、二月堂周辺は身動きできないくらいのすごい人でした。私はいつも二月堂と三月堂の間にある山門にへばりついて、三脚を付けたカメラで写真を撮っていました。

 (図1)に示した、奈良の最高気温と最低気温の日毎の平年値を見てください。「修二会」の準備である「別火」が始まる前は最高気温の平年値が10℃以下で最低気温の平年値が氷点下です。「修二会」が終わると最高気温は12℃以上となり、最低気温は2℃以上となっています。平年値ですから年により日々により変動はありますが、始まる前は朝だと氷が張っている気温で、日中もコートなしで外に出られません。まだまだ冬です。終わってからは、朝はまだ寒いですが、日中はコートなしでも外を歩ける気温です。まさに、「お水取り」は冬から春への橋渡しとなる行事と言えそうですね。


(図1)奈良の最高気温と最低気温の平年値

No.38

2004.3 Categories

はねず踊り

 毎年3月になると桜の開花予想が出され、下旬には何処で桜が咲いたかが話題となり、北日本はともかく梅の花の話題は少なくなります。しかし、京都山科には遅咲きの梅の花の咲くお寺があり、それにあわせて少女達により「はねず踊り」が境内でおこなわれます。そのお寺は、山科小野の真言宗善通寺派曼荼羅寺隋心院門跡で、通称「隋心院」と呼ばれています。「はねず」とは古い言葉で薄紅色を意味し、梅も同じ名前で呼ばれていました。特に山科小野の隋心院の紅梅は古くからこの名前で親しまれていました。


(写真1)隋心院の梅

 昔、深草少将がこの地に住んでいた小野小町を慕うあまり、百夜通いの悲願を込めて通い続けたにもかかわらず、九十九日目の大雪の夜についに代わりの人を仕立てたのが運のつきで、少将にはもはや小町の姿を求めることは出来なくなりました。その後も小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい日々を過ごしたということです。「はねず踊り」は、隋心院に伝わる小野小町の伝説を主題にしたもので、いつから始まったかはさだかではありません。その後廃れましたが、古老の記憶を元に復活され、昭和48年から毎年3月下旬に地元の保存会により隋心院境内で行われています。

 「はねずおどり」と言う言葉が、何か春を迎える華やいだ気持ちを思わせ、筆者も枚方市に住んでいるときに見に行きました。当時はまだ京都市営地下鉄が山科方面に通じていなかったので、京阪電車で中書島から支線である宇治線に乗り換えて六地蔵まで行き、そこからバスで向かいました。 バスから降りるとまず梅園が目に入りました。梅園はよく手入れされており、八重の紅梅が咲き誇っていて(写真1)、中にはいると何とも言えず良い香りがしました。梅の花は、2月下旬から3月上旬にかけて咲く花よりも一回り大きく、色も濃いように感じました。


(写真2)はねず踊り

 「はねず踊り」の舞台は梅園のすぐそばに設けられていました。 踊り手は女子の小学生から高校生で、おしろいを塗り紅をさしていました。
左の写真(写真2)からわかるように、衣装も紅梅を思わせる紅色で、かぶった笠の上にも紅梅があしらわれており、いかにもこれから訪れる春の華やかさを思わせる彩りです。音曲はゆったりとしたテンポで、何とも言えずかわいいものでした。

  3月下旬といっても寒い日があります。筆者が訪れたのは1995年3月26日でした。天気は曇りから晴れに向かっていきましたが、京都地方気象台の観測によると、この日の最高気温は11.3℃で3月上旬の気温でした。当日もじっと座って見ているのには、薄手のコートを着ていても寒かったのを覚えています。見に行かれる方、天気の様子を見て寒さの対策も忘れないようにして下さい。

No.25

2003.5 Categories

メカブ

 岩手県三陸沿岸の春はワカメの収穫時期です。収穫されたワカメは、根っこに当たる部分を切り落とし、湯通ししてから筋を取り去り塩をまぶして、塩蔵ワカメとして出荷されます。この時期、浜に行くとあちこちでこの作業が行われています。

私は、独身時代の一時期、釜石市で自炊生活をしましたが、ここのワカメは柔らかくて美味しく、釜石駅の近くにある橋上市場に行くと、当時一袋200円から300円で売られており、常備菜として切らしたことがありませんでした。実家に帰るときは必ずこれをおみやげに買い、とても喜ばれました。
ところで、ワカメは茶色っぽい色で広げると大きな縦長の天狗の団扇のような形をしています。根元には両側に羽状の広がった肉厚のひだの部分があります。ここをメカブといい、胞子ができる堅い部分です。ちなみに、一般にワカメとして売られているのは葉っぱ(?)の部分です。
ワカメの収穫時期になると、釜石では細くきざんだメカブが売られており、独身時代にもよく買いました。メカブにさっと湯をかけると、色がきれいな緑色に変わります。これに醤油や酢醤油を適当にかけてからかき混ぜて粘りを出し、ご飯の上にかけて食べていました。さわやかな磯の香りが口いっぱいに広がり、これだけでご飯を何杯もお代わりできそうです。
この時期釜石市内のそば屋では、メカブをソバの上に載せたメカブソバがあり、これもよく食べました。「岩手の食」という本によると、細くきざんだメカブを大きめのさじで山盛り二盃ぐらいお椀に入れて熱いみそ汁を注ぎ、さらに赤ジソやきざんだネギを入れると風味が良くなると書いてありました。なぜ、メカブを煮ないで熱いみそ汁を注ぐかというと、メカブは煮すぎると渋みが出るからだそうです。
もちろん春には生のメカブも売られていますが、これを買うようになったのは結婚してからでした。海草はもともとぬるぬるしていますね。メカブも堅くてぬめりもあり、細く切るのは一苦労ですが、妻はメカブの味が気に入ったようで、出回るとよく買いもとめ大変な思いをしながらきざんでいました。土地の人は表面を少し乾かしてから切る人もいるそうです。逆に洗ってからではぬめりがひどくなり、切る苦労がさらに増してしまいます。
最近はスーパーで一年中細く切り湯通しされたメカブが小さなパックに入って売られており、我が家でもこれをよく買っています。メカブはあっさりした味なので、晩酌後のご飯のおかずには最適です。メカブは健康食品としての効能もあれこれあるようですが、その方は専門のホームページなどにまかせましょう。

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