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お天気豆知識

夏の記事一覧

No.83

2007.12 Categories

2007年の暑かった夏

 今年(2007年)の梅雨明けは各地とも平年より遅く、関東でも平年より10日以上遅い8月1日になりました。梅雨が明けてからは、最高気温が30℃を超える日が続き、35℃を超える日もあって、いつになく暑い夏のように感じました。これまでのいろいろな本や資料を見ると、日本の気温の最高値は1933年7月25日に山形県山形市で観測された40.8℃となっています。しかし、今年の8月16日には埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市でこの記録を塗り替える40.9℃が観測されました。(表1)には最高気温の観測史上の順位を載せていますが、今年は8月16日に観測史上の第6位となる40.4℃が埼玉県越谷市で観測され、第8位となる40.3℃が群馬県館林市で観測されています。16日がいかに暑かったかがわかります。

(表1)最高気温の観測史上の順位
順位都道府県観測所観測値
起日
1埼玉県熊谷 ∗40.92007年8月16日
1岐阜県多治見40.92007年8月16日
3山形県山形 ∗40.81933年7月25日
4和歌山県かつらぎ40.61994年8月8日
4静岡県天竜40.61994年8月4日
6埼玉県越谷40.42007年8月16日
6山梨県甲府 ∗40.42004年7月21日
8群馬県館林40.32007年8月16日
8群馬県上里見40.31998年7月4日
8愛知県愛西40.31994年8月5日
は気象台の観測値、それ以外はアメダスの観測値 

(図1)1933年7月25日の地上天気図 ※各図クリックで拡大

 (図1)は山形で40.8℃が観測された1933年7月25日の午前6時と午後6時の地上天気図です。当時の気圧は水銀柱の高さ(㎜Hg)であらわされています。天気図の右端に実線の脇に764とか762という数字があります。実線が等圧線で、その数字が気圧です。午前6時には台風が日本海西部にあり、午後6時には北海道南部の日本海側に台風があります。25日の日中に台風が日本海を通過し、日本の南海上に中心を持つ太平洋高気圧に緩やかに覆われています。

 (図2)は今年の8月16日9時の地上天気図です。左の地上天気図を見ると、中国地方西部に中心を持つ高気圧と、関東のはるか南南東海上に中心を持つ高気圧があります。次に(図2)右の500hPa天気図を見てください。実線は等高度線ですが、地上天気図の等圧線のように考えてください。山陰西部に“H”の記号は高気圧を意味しています。また、”5940“という数字が付いた閉じた実線がありますが、500hPaの気圧となる高さが5,940mという意味です。等高度線の間隔が広く、日本付近は高気圧に覆われています。図で示していませんが、これよりも高いところの300hPa(約9,600m)の天気図でも日本付近は高気圧となっています。つまり、圏界面付近まで高気圧となっていて、日本付近は背が高い太平洋高気圧に覆われていました。このように、圏界面近くまで高気圧となっているのが太平洋高気圧の特徴です。500hPa高度で太平洋高気圧の中心付近が5,940mになるのは、高気圧の勢力が強いことを意味しています。普通、太平洋高気圧の中心は日本の南海上にあるのですが、今年はなぜか日本の真上に来ていました。


地上天気図

500hPa天気図

(図2)2007年8月16日9時の天気図 (左:地上天気図、右:500hPa天気図)

(表2)1933年7月24日~26日の山形の最高気温と最低気温
地点日 付7月24日7月25日7月26日
山形最高気温(℃)36.740.831.8
最低気温(℃)23.322.322.5
(表3)2007年8月15日~17日の熊谷と多治見の最高気温と最低気温
地点日 付8月15日8月16日8月17日
熊谷最高気温(℃)39.440.938.4
最低気温(℃)26.128.825.0
多治見最高気温(℃)38.840.940.8
最低気温(℃)24.726.026.5

 1933年に山形で最高気温が観測された日の、中央気象台観測原簿をみると、山形では日中の湿度が30%台で、風速は1から2m/sでした。今年の場合、熊谷では日中の湿度は30%台でしたが、風は3から5m/sでした。多治見で湿度は観測されていないのでわかりませんが、風は山形の場合と同じ1から2m/sでした。(表2)の最低気温を見ると、山形が40.8℃を記録した前後の日は寝苦しい夜の目安になるかどうかの25℃以下になっています。しかし、(表3)のように熊谷も多治見も今年の8月16日の前後の日の最低気温は25℃近くか25℃以上になっています。しかも多治見では、翌日の最高気温も今までの日本記録と同じ40.8℃でした。もちろん、熊谷や多治見だけでなく周辺各地の最高気温も40℃を超えていました。日中のつらさは、どちらの場合も同じだったと思いますが、夜のことを考えると今年の方がきつかったでしょう。

 私も、三陸で生活をしていたときに、最高気温が37℃となった日に、冷房のない部屋で仕事をしたことがありますが、机が熱くて触ることができませんでした。でも夜は気温が下がり、ひんやりとして助かりました。最近の夏、東京や横浜など都市部では気温が25℃以上の日が多いですね。私が若いころの昭和50年代、世田谷に住んでいて通勤には小田急線を使っており、夜帰宅するおり新宿を出たころは熱い空気が窓から入ってきましたが、参宮橋を過ぎるとひんやりした空気が入ってきたのを覚えています。(図3)には東京住宅地である、府中のアメダスの最高気温と最低気温の記録で、今年の8月と1978年(昭和53年)の記録です。どちらも8月の最高気温の平均値は33℃で、最高気温は30℃以上の日はほぼ同数ですが、最低気温が25℃以下の日は、1978年の場合ほぼ毎日です。最近は、住宅地でも寝苦しいというか暮らしにくい日が多くなっているように思われます。



(図3)東京都府中市の8月の最高気温と最低気温

 天気図や気温データは気象庁提供のものを使用しました。

No.67

2006.8 Categories

夏のベタベタ

 夏、太平洋側の各地ではじっとしていても汗が出てきて体がベトベトしていますね。これは太平洋高気圧に覆われて湿度の高い空気に包まれているからです。湿度は相対湿度のことで、空気が含むことのできる水蒸気の量(飽和水蒸気圧)に対する空気が含んでいる水蒸気の量(水蒸気圧)との比です。 ふつう、パーセントで表します。湿度が高いということは、飽和水蒸気量と空気が含んでいる水蒸気量の差が小さく、空気に水蒸気を受け入れる余裕が少なくなっています。体は気温が高いと汗を出し、水が蒸発するときに熱を体から奪うことを利用して体温を下げ、体温を一定に保とうとします。しかし、湿度が高いと汗が蒸発しにくくなって水が体の表面に残ってベタベタし、不快感が増します。
 受け入れる側の空気中の余裕ですが、気温が低くなると飽和水蒸気量も小さくなり、同じ湿度の場合、低い気温では受け入れられる水分の量も小さくなります。しかし、梅雨や夏以外に雨が降って湿度が高くても体がベトベトしないのは、気温が低いので体が体温を下げようとする要求がなく、汗を出さないためです。逆に、気温が低くなるとトイレの回数が多くなることを経験されたと思いますが、これは体の中の水分が汗となって出ないからです。
 冬から春へと季節が進み日中の気温も高くなり、5月には東京でも日中の気温が30℃を超える日がありますが、不快感はなく日陰に入るとひんやりします。これは空気に含まれている水蒸気量と飽和水蒸気量の差が大きいから、つまり乾燥しているからです。その一例として、2004年5月11日の気温と湿度を見てみましょう。この日は(図1)、前日に日本海を通過した低気圧に向かって吹き込んだ暖気が残っていて、山越え気流となって関東地方に吹き込みました。このため、東京は晴天となり最高気温が30℃を超え、日中の湿度は30%~40%と乾燥していました(図2)。その日の私の日記を見てみると、横浜市都筑区のことですが、「朝から気温が高く、日中も暑かったが空気が乾燥しているので、過ごしやすかった。」と書いてありました。


(図1)2004年5月11日地上天気図

(図2)東京の気温と湿度(2004年5月11日)

 夏に太平洋高気圧に南から覆われるような日は、太平洋側ではベタベタしますが、信州や日本海側ではわりとさらっとしています。これも湿度に差があるからです。 一例として、昨年(2005年)8月20日の東京と松本の気温と湿度を比べてみましょう。 天気図(図3)を見ると、関東の南東海上に太平洋高気圧の中心があり、気圧の峰が日本の南海上にあって、太平洋高気圧に南から覆われています。その日の松本と東京の気温と湿度のグラフ(図4)をみると、どちらも日中の気温は30℃を越えていますが、東京の日中の湿度は50~60%ですが、松本の湿度は40~50%と約10%低くなっています。


(図3)2005年8月20日地上天気図

(図4)東京と松本の気温と湿度(2005年8月20日)

 電車に冷房のなかった昔、涼しさは電車の天井にある扇風機と窓からの風が頼りでした。夏に信州を旅行していて碓氷峠を越えて関東に入ったとたん、むっとした空気が入ってきて急に体がべたついた感じがしました。これも湿度に違いがあるからです。
 快適さにはほどよい風も関係しています。風がないと皮膚の周りの空気が飽和(湿度100%)になってしまい、汗が蒸発できません。しかし、風があると水分を含む余裕のある空気が皮膚の周りに来るので、汗が蒸発でき体温が下がります。私が子供の頃、夏に家族で知人宅に行くと、その家の奥さん、あるいはおばあさんがゆっくりした手の動きで団扇で風を送ってくれていましたが、とても心地よい風でした。やはり子供の頃の経験ですが、銭湯に行くと、脱衣場の天井に大きな羽を持った扇風機があって、ゆっくりとした回転で空気をかき混ぜていました。その風は強いものではなく、特に夏の風呂上りの体にはとても心地よいものでした。

No.66

2006.7 Categories

祇園祭


(写真2)組み立て中の函谷鉾

 祇園祭の中で有名なのは、毎年7月17日に行われる山鉾の巡行ですね。長刀鉾を先頭に32機の山や鉾が京都市街の中心部を巡行します。四条河原町や河原町御池の交差点では方向転換に道路に竹を敷いて行われ、これは最大の見せ場ともいえ、さまざまな観光案内書に紹介されています。
 祇園祭は八坂神社の大祭で、7月いっぱいさまざまな行事が行われることを、大阪に住んで初めて知りました。7月に入ると、京都市議会の議場で巡行の順番を決めるくじ取りが行われたとか、巡行の先頭の長刀鉾の正面に乗り、注連縄を切る稚児が誰になったという記事が新聞に載ったり、テレビやラジオのニュースで紹介されます。


(写真1)職人さんが組み立て中の鉾や山

 山や鉾は各町内の倉庫に保管されていて、10日から各辻々では鉾立が始まります。山や鉾それぞれの倉庫から各パーツが出されて職人さんにより組み立てられます。 釘は使われず組み上げた山や鉾の要所要所はくさびや、荒縄を巻き付けて固定されます(写真1)。驚いたのは、巻き付けられた荒縄の幾何学模様の美しさでした(写真2)。組あがるとタペストリーで隠れて目には触れませんが、とにかく見事な物です。


(写真3)役行者山の御神体

(写真4)鯉山の見送り(背面)の一部(重要文化財)
図柄は紀元前1200年頃のトロイ戦争を題
材としたギリシャ詩人ホメロスの叙事詩
「イーリアス」中の重要な場面。もとは1
枚の織物として作られたが、大小9枚に分
断されそれぞれが鯉山の飾りとなってい
る。16世紀中期に現在のベルギー、ブル
ッセルで製作され、17世紀に支倉常長が
ローマ法王パウロ5世から伊達政宗への贈
り物として持ち帰った5枚のタペストリー
の1枚。(財団法人鯉山保存会のパンフレットの概略)

 鉾や山はそれぞれご神体(写真3)であり、巡行前日16日の宵山ではそのご神体を間近で見ることができます。山や鉾を飾るタペストリーは江戸時代あるいはそれ以前に輸入された物もあり、まさに一級の美術品といえるでしょう。それをうまく取り入れた京都の人々には感心します。また、山や鉾の周辺の各辻では、それぞれの家で家宝ともいえる屏風や絵画等を玄関や窓辺に置き生け花を添えたりなどして道行く人に見せ、町全体がまさに美術館です。山や鉾の所では、子供たちが独特の節回しで粽などを売っています。昔は宵山だけだったそうですが、近年は15日が宵々山、14日が宵々々山といい、やはり町中が美術館となります。
 山鉾巡行を見に行ったことがありませんが、宵々々山、宵々山、宵山のどれかには毎年行っていました。日中は比較的すいてゆっくりと見ることができます。日が傾くと、鉾の名をしるした高張提灯に火が入り、囃子方による祇園囃子が奏でられ、情緒ある雰囲気となります。そのかわり人出は多くなり、四条烏丸一帯は車両通行止めで、人の動きも規制されて一方通行となり、身動きができなくなるくらいの混雑です。これらが、週末と重なると更に人出が多くなります。
 この時期は梅雨末期で湿度も高く、真夏以上の蒸し暑さを感じます。おまけにすごい人出ですから汗びっしょり。我が家では、基本的に真夏といえどもクーラーを使うのは夜寝るときだけです。なぜか、毎年クーラーの使いはじめが、祇園祭から帰った日の夜からでした。
 初めて宵山行ったときのことですが、「この蒸し暑い中で粽を売って腐らないのかな」と心配になり、危うく聞くところでした。しかし、この粽は厄除けのお守りで、その界隈の商店の奥をのぞくと粽が祭られていて、毎年取り替えられます。

No.42

2004.7 Categories

マンボウの刺身

 若い頃に、三陸の釜石に住んだことがあります。三陸の夏は関東よりも短く、釜石の8月の月平均最高気温は26.9℃で東京の30.8℃よりも4℃ほど低いですが、年によっては35℃を越える日もあります。そんなわけで夏には何かさっぱりしたものを食べたくなります。昼の定食を食べさせてくれるところで、マンボウの刺身を酢味噌で何回か食べたことがありました。癖の無いさっぱりとした味で、口当たりが良かったのを覚えています。釜石では「マンボザメ」と呼ばれており、好まれて食べられているようでした。


 皆さん、「マンボウ」という魚は知っていますよね。砲弾、ピストルの弾を横から見たような形をしています。尖った方の先っぽに口があり、そのすぐ近くに目があります。幅の広いほうにはヒレがついています。その生態はまだ良くわかっていないようです。子供の頃、図鑑にクラゲが餌だと書いてあったのを記憶していましたが、主な食べ物はクラゲだとか。そのせいでしょうか、マンボウの肉は白くて水っぽく、ブヨブヨして、白いコンニャクをもっと水っぽくしたような感じです。こんな肉ですから、料理をするときに包丁は使えず、切り分けるときには手で千切るそうです。

 三陸各地でマンボウを食べますがこれを専門とした漁をしているわけではなく、たまたま網に入ったときに魚屋で売られます。もちろん、あの白くブヨブヨした肉が店先に並びます。マンボウは大量に取れませんし、肉が柔らかいので地元で消費されてしまいます。釜石の市場に行くと、半分に割られて肉を取られ、硬い皮だけの哀れな姿を見たことがありました。
 マンボウを食用にするところは三陸以外にもあります。ジオグラフィック・ジャパンの2002年11月号の記事には、千葉県の鴨川付近で食用にしていると書いてありました。写真は、静岡県の焼津付近の漁港に定置網にかかったマンボウが水揚げされたものです。ほとんどが地元の漁師さんたちで食べられてしまい、たまに店で売られることもあるそうです。インターネットで調べてみると、そのほかの地域でも食用にしているところがありました。
 私がマンボウの刺身を食べることができたのは、独身の時だけでした。結婚してから魚屋(もちろん釜石)で売られていたマンボウを見つけ、「買おう」と女房に言いましたが、初めてその肉を見た女房には、“得体の知れないもの”と見えたようで、「ダメ!」とあっさり却下されてしまいました。

No.29

2003.6 Categories

みなづきを食べると思い出す暑さ

 京都の和菓子屋さんでは夏になると「みなづき」が売られます。6月の別名の水無月にちなむ「みなづき」は、6月30日水無月祓の神事にちなんで食べられるそうです。台は白外郎(しろういろう)で氷を表し、三角に切ってあります。小片でも氷を口にすると夏やせしないといわれているのでこれにちなんでいます。台の上には小豆を散らしてありますが、これは悪魔払いの意であると伝えられています。
あるいは、6月1日に京都の北・氷室から貯蔵しておいた氷を宮中に奉納する習わしがあったことから、その氷片にあこがれた町の人々が、氷の形に模して白外郎で三角の土台を作ったともいわれており、小豆は魔よけの意が込められているそうです。最近では、黒砂糖を混ぜた茶色のものや抹茶を混ぜた深緑色のものも作られます。写真は普通(?)のみなづきと黒砂糖を混ぜたみなづきです。
みなづきを初めて見たのは、大阪に越した翌年(1993年)、京都北野天満宮から上七軒、千本釈迦堂付近を歩き、その近くの和菓子屋に入ったときでした。そこで何を買ったか覚えていませんが、とにかく暑かったので、何か冷たいものを求めたと思います。
ところが、近所の人がその店を訪れ、みなづきを買って行きました。今までの感覚だと、「暑いときは氷やアイスクリームなど何か冷たい物」あるいは「水羊羹」でした。「この暑いのによくあのようなグニャグニャしたものを食べる気になるな。」と思って見ていましたが、何か気になった和菓子でした。
みなづきを初めて食べたのは、1994年6月26日でした。この日は昼から宇治にある三室戸寺に午後から紫陽花(アジサイ)を見に行きました。太平洋高気圧に午後から覆われ、三室戸で電車を降りたら、頭がクラクラするような暑さでした。駅前の和菓子屋さんでみなづきと缶入りのお茶を買い、丘の中腹にある三室戸寺まで歩きました。駅から寺までは緩やかな上り坂で、距離にして約1km、徒歩約20分です。太陽がやたらとまぶしくて暑く、えらく疲れたことを覚えています。
お寺に着き、本堂の近くで買ってきたお茶を飲み、みなづきを食べて生き返りました。みなづきは薄甘でしつこい甘さでなく、これほど美味しいものと初めて知り、京都の暑さに合った和菓子だとつくづく感じました。それから夏になると、みなづきをよく買うようになりました。これを食べて元気が出たので、宇治まで歩き宇治川を挟んで平等院のほぼ対岸にある興聖寺まで歩き、京阪の宇治駅まで戻って帰りました。
(図1)はこの年の6月下旬の京都と宇治に近い京田辺のアメダスの日最高気温グラフで、(図2)は6月26日のやはり京都と京田辺の気温の変化です。(図1)からわかるように、25日までは日最高気温が30℃以下の日が続いています。たしかに26日の午前中までは過ごしやすかったです。気温を見ると、12時まで30℃以下でが、13時から30℃を越えています。何時に家を出たか忘れましたが、ちょうどこの頃から歩き始めたのだろうと思います。


(図1)1994年6月下旬の日最高気温のグラフ

(図2)1994年6月26日の気温の変化

1994年の梅雨は雨が少なく、6月16日に岩船寺に紫陽花(アジサイ)を見に行きましたが、天気も良く紫陽花はかさかさした感じでした。三室戸寺は山門をくぐってから本堂に行くまでの斜面にたくさんの紫陽花が植えられていますが、ここでも少ない雨が災いしあまりきれいに咲いておらず、干からびた感じの花もありました。
1994年はこのあとどんな天候だったか覚えているでしょうか。近畿地方では7月10日に例年よりも約1週間早く梅雨明けとなり、夏は連日のように最高気温が35℃を越える晴天となり、京都では最高気温が39.8℃になった日もありました。もちろん雨はほとんど降りません。このため、日本一大きな湖で関西の重要な水瓶である琵琶湖の水はどんどん減り、基準とする水位よりも約120cmも低い水位となり取水制限も行われました。日本各地も水不足で、四国では早明浦ダムで湖底が現れたのもご記憶にある方もいるかと思います。

No.2

2002.8 Categories

夏と日本の伝統家屋

 毎日暑い日が続きます。「最高気温が人間の体温に近い35~36℃」というニュースや天気予報を聞くと、よけいに暑く感じます。日本で気象観測が開始されてからの最高気温は、1933年7月25日山形市での40.8℃でしたから、これから比べるとまだましといえるでしょう。

ところで、江戸時代の川柳にこのようなものがあります。

      寝ていても団扇(うちわ)の動く親心
      (渡辺信一郎著「江戸川柳」岩波書店より)

乳を飲んで寝込んだ赤子に添い寝している母親もウトウトとし、それでも赤子にたかる虫を寄せ付けないようにと、手にした団扇だけは扇ぎ揺らせているという光景で、赤子に対する母親の気遣いの様子が描かれています。それとともに、赤子に風を送り涼しくしているとも考えられます。

現代のように電気がなく、冷房設備が無かった頃は、涼をとるのには風が重要な役割をなしていました。人間は、「1mの風が吹くと、気温より1度寒く感じる」といわれています。夏の暑い盛りでも風をうまく取り入れれば、涼しく過ごせることは想像できます。


菅沼にて吉野正敏撮影(1974年10月13日)

花岡利昌著「伝統民家の生態学」(海青社)には、岐阜県の飛騨高山市内にある吹き抜け櫓(やぐら)を持つ伝統民家での気温や風の調査結果が載っています。岐阜県高山市は飛騨盆地の中央にあり、日最高気温の平均値は8月が最高で30.1℃、1月が最低で3.0℃です。年間の気温較差は27.1℃となり、夏の暑さと冬の寒さはかなりきびしいことがわかります。
民家には、夏の暑さを緩和するために吹き抜け櫓を生かして各部屋とも空気が流れやすい構造となっています。測定が行われた日は、高山測候所の観測記録によると、天気は晴れで、日中の最高気温は30.5℃、湿度は68~79%と蒸し暑い日でした。日中の戸外の平均気温は28.6℃ですが、室内の平均気温は26.5℃となっており、暑さが緩和されているとしています。
叫内米子氏の調査によると、気流と気温の体感に及ぼす効果の実験によれば、気温25℃で快適とする風速は0.4~1.0m/s、30℃では0.6~1.0m/sの範囲にあるという結果になっています。この日の室内での風の測定値は、快適とする範囲におさまる結果となっていました。
話は変わりますが、能登半島北部内陸にある中谷家(石川県柳田村)を訪れたときのことです。中谷家は江戸時代能登にあった天領の1つ、柳田の黒川村を任された庄屋です。堀と塀と庄屋門がある豪農のお屋敷で、朱と黒の漆で塗り分けられた総漆塗りの土蔵が有名です。母屋は江戸時代前期に建てられました。風通しの良い構造となっていて、囲炉裏のある部屋は高い天井となっていました。
ちなみに、輪島測候所のデータによると、日平均最高気温は8月が最も高く29.3℃、2月が最も低く5.9℃です。データからみて高山ほどではありませんが、冬は寒さの厳しい地域です。江戸時代の暖房といえば火鉢やコタツですから、案内して下さった方に「寒くなかったのですか。」とお尋ねしたところ、「日本の夏は暑く皮まで脱ぐわけにいかないが、冬は寒ければ着ればよい。」との答えが返ってきました。まさにおっしゃられるとおりです。夏は暑いものなのです。度の過ぎた暑さはかないませんが、「寒さの夏はおろおろ歩き……(宮澤賢治 雨ニモマケズの一説)」よりいいでしょう。

※高山と輪島の気象データは気象庁作成の平年値を使用しました。

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