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異常気象を追う

No.13

2008.09.10

吉野正敏

都市のヒートアイランドと異常高温

ヒートアイランド

 都市に人口が集まり、中心部には高層建築物が建ち並び、自動車・電車などの交通機関からの排熱、冷暖房設備からの排熱、コンクリートやアスファルトで地 表面が覆われることによる熱の蓄積、地表面が人口建造物で覆われるために風が弱まり上空の冷たい空気との混合が弱まる。これらの理由の結果として、都市の 中心部は郊外に比べて気温が高くなる。この気温が高いところは等温線図上では閉曲線となり、地形図上の地形になぞらえると島のように見えるので、都市の中 心部の高温なところをヒートアイランド(熱の島)と呼ぶようになった。この現象はかなり昔から知られており、19世紀末ころまでは都市温度とよばれてい た。たとえば、1784年、ドイツのマンハイムで、ドイラー(E.F.Deurer)は都市の内部と郊外の気温を比較して、都市の内部の高温を気象観測値 で指摘した。19世紀には、ロンドン・パリ、その他、ヨーロッパの多くの都市で市内の高温な現象が報告された。
 20世紀前半には総合的な記述が書物にも見られるようになり、観測・調査・研究が進んだ。20世紀後半になってさらに実証的・記述的な研究に加えて、モデルによる風洞実験・数値実験が進歩した。最近では、ヒートアイランドを中心テーマにした学会もある。
 しかしながら、これまで、少なくとも1980年代までは、ヒートアイランドが明瞭になるのは、欧米・アジア・アフリカなどの地域を問わず、風の穏やかな 晴れた夜間の気温(特に明け方の日最低気温)の分布図上であり、季節的には秋から冬にかけた季節であると強調されてきた。夜間の時間が長く、移動性高気圧 に覆われる頻度が高く、人工発熱量が多いのは冬であるというのがその理由である。もちろん、日中(日最高気温)にも、また春・夏でも都心は高温だが、市内 外の温度差は秋・冬に大きく、夜間(日最低気温)が大きいというのが、専門家の中での認識であった。したがって、1980-1990年代までは、ヒートア イランドは異常気象と呼ぶような現象ではなく、劇的な被害をもたらす現象ではなかった。
 ところが、最近、夏に異常高温が観測されるようになった。このエッセイ[11]に 異常気象としての都市の異常高温について述べたが、その原因の一つに都市のヒートアイランドがあげられている。そして、当然のことながら、これは日中の最 高気温として特に顕著である。つまり、ヒートアイランドの特徴である秋から冬にかけた季節における日最低気温の現象とは対照的に、夏の日最高気温の現象に 注目されるようになった。そして異常気象の一端を担うようになった。

年最高気温の経年変化

 これまで書いてきたように、異常高温の出現の長期変化傾向に関係するのは、(1)地球温暖化、(2)それにともなう大規模な大気循環場の変化、(3)地 域的な気圧配置型の変化や活動、(4)局地気流型、(5)ヒートアイランドの形成、などの気象・気候条件である。それに、人間活動や地表状態の変化であ る。
 日本では、関東平野のほぼ中央に位置する埼玉県の熊谷・川口、群馬県の南東部およびその周辺である。中京では、名古屋市とその周辺、岐阜県南部の大垣・ 多治見などである。2007年8月16日には熊谷・多治見ではともに40.9℃を記録した。日本ヒートアイランド学会の第3回全国学会(2008年8月 22-24日)で発表された多治見市のヒートアイランドに関する吉田信夫の研究には多治見南消防署、アメダス、岐阜地方気象台における1961-2007 年の期間の年最高気温の経年変化を示す図があり、これによると以下のことがよみとれる。すなわち、1961-1981年はほぼ横ばいで34-37℃の間を 変動した。1982年ころから変動が大きくなり33-39℃、特に1994年以降は34-40℃で最高の極値が40℃に達した。上述のように2007年に は40.9℃を観測した。いいかえれば、1994年ころから年々の変動幅が大きくなりまた、全体の上昇傾向が明らかになった。これは都市のヒートアイラン ドと異常高温の現象としてきわめて重要な新しい事実である。しかも、人間活動や社会状況の変化、地表状態の最近の変化、それに対する対策を含めて考える と、変動幅はさらに大きくなり、全体の上昇傾向は延長され、その結果はさらに深刻化すると思われる。最高気温の極値も更新されると予想される。

ヒートアイランド形成の歴史

 ヒートアイランドの歴史は古く、古代にまでさかのぼる。もちろん、温度計が発明される以前は何℃かという記録はないが、現在、われわれが持っている知識 を総合すると、古代都市ではすでにヒートアイランドは形成されていたということはほぼ間違いない。たとえば、古代中国の唐(AD618-907)の都、長 安は人口が百万を超えていたと言われているので、ヒートアイランドが形成されていたことが推定できる。古代都市・中世都市では、人口が集中し、大気汚染が 深刻になり、大火が多くなり、伝染病が頻発した。これらは記載があり、史実によって明らかである。この環境変化とヒートアイランドの形成とは原因がほぼ同 じなので、平行して起こったと考えてよいだろう。
 (表1)は都市の発展と都市気候・都市温度・ヒートアイランドの形成について、古代都市・中世都市・近代都市の時代の流れに沿って時代区分をしながら、まとめたものである。古代都市では主として都市内の建造物の集合による温度環境変化が認識された。

(表1)都市の発展と都市気候・都市温度・ヒートアイランドの形成の歴史(吉野,2008による)

 中世都市はその初期には古代都市と同じだが温度環境変化がより深刻化し、市内が郊外より高温であるという都市温度現象が明らかになった。中世都市の末 期、17-18世紀には、大火・伝染病がよく発生し、ヒートアイランドが顕在化した。例えば、都市の内部は雪や霜が少ないなどの記述がヨーロッパにある。 近代都市では都市温度が観測値によって確認され、気圧配置別・天気別に把握されるようになった。20世紀後半になって、それまで都市温度とよばれていた現 象はヒートアイランドと呼ばれるようになり、3次元構造が観測され、また、モデルによる数値実験、風洞実験による研究が進んだ。20世紀末になって、地球 温暖化と平行して夏の日最高気温の極値が更新されるようになった。これにはヒートアイランドが一つの要因となっている場合が多く、新しい環境問題にかかわ るようになった。夏の異常高温形成に及ぼすヒートアイランドの影響の考察は、欠くことができなくなった。


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