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異常気象を追う

No.28

2009.04.08

吉野正敏

食糧自給率と異常気象

日本の食糧自給率

 日本の食糧自給率が極めて低いことは、最近、やっと問題として取り上げられるようになった。国内では高価なものを生産し、それを外国に売って金を儲け、 その金で自分が食べる食糧は外国から買えばよいというのは、あまりに単純な論理と言わざるを得ないが、実際に自給率の値をみれば、そのような政策をとって きた事がわかる。

(表1)日本の食糧自給率

穀物自給率*
(重量ベース)
総合食糧自給率
(供給熱量ベース)
総合食糧自給率
(生産額ベース)
1965-6955%67%89%
1970-74435781
1975-79365483
1980-84325379
1985-89305180
1990-94294575
1995-99284172
2000-04284070
2006(概算)273968

*)飼料用穀物を含む。

 (表1)を見れば、1960年代後半には穀物自給率は重量ベースで55%、供給熱量ベースで67%、生産額ベースで89%で、まだ、危機的状況ではな かったことがわかる。しかし、その後の低下傾向は激しく、1990年代には、それぞれ30%以下、50%以下、75%以下となり、低下の度合いはゆるく なっているが、まだ低下傾向を続けている。
 このような日本の事情を国際的に見れば(表2)のようになる。人口1億以上の国別に穀物自給率をみると、“これでよいのか”というのが実感である。

(表2)人口1億以上の国の穀物自給率(2003年)

人口(百万人)穀物自給率
中国1,292.3100%
インド1,062.298
米国290.9132
インドネシア214.389
ブラジル179.091
パキスタン147.7112
ロシア144.699
バングラデシュ134.695
日本127.728
ナイジェリア126.284
メキシコ104.264

資料は総務省「世界の統計2007」、農林水産省「平成17年度食糧自給率レポート」による。

 同じ自給率でも、人口が多い国では食糧危機に際して、人口の少ない国より問題が深刻になることは当然である。日本は人口が多く、自給率が極端に低いことが問題なのである。

1993年の日本の凶作

 平成の大凶作と呼ばれる1993年の冷害は、われわれの記憶にまだ新しい。地球温暖化が叫ばれているさなか、異常気象によるこの冷害はさまざまの課題を提起した。ここで少し述べてみたい。
 この年、北日本で特にひどかった。例えば、青森県のむつ市では7月の月平均気温は16.4℃で平年より3.1℃低かった。8月の月平均気温は19.1℃ で、2.6℃低かった。日照時間は平年の65-67%であった。これは、偏東風(やませ)が太平洋沿岸で特に強く、霧が海岸から内陸に入り込んだためであ る。青森県東部の下北、上北地方では収穫0のところさえあった。これに対し、青森県西部の日本海側では比較的よかった。1993年の冷夏による米作への被 害は青森県全体で772億円に達した。
 では1993年の日本の自給率はどうであったか。(表3)は1991年から1995年までの日本の自給率の変化と、比較のために2-3の国の自給率の変化を示す。

(表3)日本および諸外国における1993年前後の食糧自給率(供給熱量ベース)の推移

日本米国フランスドイツ英国
199146%124%145%92%77%
1992461381499176
1993371221339273
1994461321318874
1995431291318876

供給熱量総合食糧自給率とは、総供給熱量に占める国産供給熱量の割合(%)である。
(食料・農業・農村白書の参考統計表、平成20年版による)

 この(表3)に明らかなように1993年の落ち込みは甚だしく、日本は前年の約8割、米国が約9割で、欧米に比較してきわだっている。食糧には年度をま たがる備蓄があり、その年の異常気象がすぐその年の自給率にかかわらない部分もあるが、それを勘定に入れて、このような状態になったことは“ゆゆしきこ と”である。
 日本はコメが不足したら輸入すればよいと考えても、相手のある話だから、相手方も食糧が不足していれば売ってはくれない。1993年米国は122%で、1992、1994年の132%に比較して上記のように約9割に減少したが、それでもまだ100%以上である。
 食糧の安全保障の面から考えると、日本で異常低温による凶作の年、日本が食糧を輸入する相手方が豊作か凶作か無関係かが大問題である。もし、凶作である ならば、その原因は何か。これは異常気象発生の地域的な並行性・逆行性・無関係の問題である。そのような問題に答える十分な知識をわれわれは持っていな い。

1993年夏の米国の異常気象

 米国には“ビリオンドル災害”(Billion Dollar Disaster)と呼ばれる大災害がある。1993年の春3月は異常低温で、“世紀の低気圧”と名付けられた強い低気圧により東部の海岸諸州では竜巻・ 強風に見舞われ、豪雪は60-120cmの積雪となった。損害額は50-60億ドル、死者は約270人に達した。
 1993年夏には連日の豪雨で、中央部、中西部では洪水により210億ドルの被害、死者48人、また、南東部では熱波と干ばつのため農作物への被害は10億ドル、死者16人を数えた。
 1993年秋には、南カリフォルニアで乾燥・強風で林野火災のため10億円の被害が出た。
 このように、米国の春の低温は異常であったが、夏にはむしろ異常高温と干ばつで、それが秋まで連続した。ここで問題なのは、(表3)に見るような米国の 自給率の低下には、東部諸州の低温・強風、中央部・中西部の洪水、南部の高温・乾燥が関係しているものとすれば、日本の冷害より多種類であり、またその被 害額も大きい。言い換えれば、1993年の日本の異常気象は、北半球規模でみて、気象学的には共通するものではなかった。しかし、被害額はどちらも莫大で あった。リスクの面、安全保障の面からは、大きな課題である。
 2007年は夏のない年と米国では言われた。1993年と比較して、“それ以上だ”いや、“それ以下だ”とインターネットのやりとりが盛んであった。シアトルの空港気象台の観測値をまとめると、(表4)のとうりであった。

(表4)米国のシアトルにおける1993年と2007年の夏の日最高気温の月平均値と日最低気温の月平均値の比較

6月
最高 最低
7月
最高 最低
8月
最高 最低
9月
最高 最低
1993低  高低  低高  高高  低
2007高  低高  高低  低低  高

 この表を見れば、ほぼ同じ状態であったことがわかる。なお、ついでながら、1954年はこのどちらの年よりもすべて低温であった。
 ここで指摘しておきたいのは、もし、1993年と2007年とが、気温の観測値で同じであっても、そのインパクトは、より進んだ地球温暖化に順応した人間社会、動植物にとっては大きい。自給率の2007年のデータを解析してみる必要がある。


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