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お天気豆知識

その他の記事一覧

No.113

2010.6 Categoriesその他

絵画にみる気候変化(連載を終わるにあたって)

 2002年からお天気豆知識を書き始めて9年目になり、100号を超えてしまいました。このように長く書き続けることができるとは思ってもみませんでした。さすがに話の種がなくなってしまい、今回で「お天気豆知識」の連載を終了いたします。長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。このような機会を与えてくださった社にも感謝しています。「お天気豆知識」は気象の研究者が書いた教科書、解説書に比べて内容不足です。これは私の勉強不足で書くことができませんでした。
 これらを書くために、海外の物も含め、いろいろな本や文献を読むことができました。海外のものといっても、私の言語能力の都合上、英語圏の資料です。おかげさまで、西洋人と日本人の文化の違い、視点の違いみたいなものを感ずることができました。例えば、“飛行雲”についていろいろな考察がなされていることには驚かされました。
 これから書くことも、「目から鱗」の世界です。地球温暖化に関係してこれからの気候がどうなるかに関心が集まっていますが、地球の歴史を探るため、いつの時代が寒かったあるいは暖かかったなどの昔の気候、古気候についても感心がもたれています。古気候の調査には木の年輪、厚く堆積した氷や海底の堆積物のコアなどが使われます。しかし、補助的表現の一つとして、絵画、風景画が使われていたのには驚きました。それは、イギリスのテームズ川がロンドンブリッジあたりで凍ったようすや、その凍った川の上で行なわれている“市”の様子が描かれた風景画です。アブラハム・ホンティウス(Abraham Hondius)が1676年に描いたもの、トーマス・ウイク(Thomas Wyke)が1683年から1684年にかけて描いたもの、リューク・セレネル(Luke Clenell)が1814年に描いたものが紹介されています。つまり、17世紀後半や19世紀前半は今よりも寒かったことになります。
 日本では昔の気候の調査に、諏訪湖が結氷して湖を貫く氷の裂け目が盛り上がった御身渡りの記録や、古い日記に書かれたお花見の時期の違いが使われています。江戸時代の天保6年(1835年)と天保12年から13年(1841~42年)に出版された「北越雪譜」も当時の気候を読み解く資料の一つといえるでしょう。この本は越後の国塩沢(現在の新潟県魚沼市)を中心とした冬の生活が描かれていますが、現在と比べると雪に埋もれた期間が長いようです。冬には新潟県松之山付近から長岡あたりで信濃川に入る渋海川の緩やかな流れの部分が凍るとありました。“渡口(わたしば)などは斧にて氷を砕きて渡せども、終には氷厚くなりて力およびがたく、船は陸に在りて人々氷の上を渉(わた)る。”という記述です。きちんと調べていませんが、現在は渋海川は凍っていないと思います。また、天保5年(1833年)から天保10年(1839年)は天保の大飢饉といわれているので、日本が今よりも寒い時期の雪国の様子といえるでしょう。
 最後になりますが、今までに使った主な参考図書や文献を紹介いたします。また何かおもしろい話題が見つかりましたら紹介させていただきます。


<参考文献(アルファべット順)>

・阿部直正(1939):富士山の雲形分類,気象集誌,Vol.17,163-181
 ・赤津邦夫(1988):クニッピング「日本滞在記より」,気象No376,4-8
 ・Alan Sealls(2004):The Hole Story, Weatherwise(Sep/Oct 2004),68-69
 ・荒川正一(1999):ランドサットが捉えた富士山の吊るし雲,東京家政大学研究紀要第39集(2),121-126
 ・荒川正一(2000):局地風のいろいろ,成山堂書店
 ・C.David Whiteman(2000):Mountain Metorology,Oxford University Press
 ・C.Donald Ahrens(2003):Meteorology Today 7nd Edition,Thomson
 ・Carmen J.Nappo(2002):Atmospheric Gravity Waves,Academic Press
 ・D.E.Pedgley(2003):Luke Howard and his cloud,Weather Vol.58,51-55
 ・David Whipple(2006):Contrail contortions,Weather Vol.61,207-208
 ・David K.Lynch、Kenneth Sasen、David O'C.Starr、Craeme Stephens(2002):Cirrus,Oxford University Press
 ・Dennis Wheeler,Gaston Dmaree(2005):The weather of the Wateloo campaign 16 to 18 June 1815:did it change the course of history?,Weather Vol.60,159-164
 ・Duncan C.Blanchard(1998):The Snowflake Man(A Biography of Wilson A.Bentley),The McDonald & Woodward Publishing Company
 ・Frances J.Pouncy(2003):A history of cloud codes and symbols,Weather Vol.58,69-80
 ・古沢典夫他(1984):聞き書 岩手の食事,農山漁村文化協会
 ・淵田美津雄、中田整一(2007):真珠湾攻撃総隊長の回想(淵田美津雄自叙伝),講談社
 ・藤田哲也(1973):たつまき(渦の驚異)上,共立出版
 ・岸保勘三郎、田中正之、時岡達志(1982):大気の大循環(大気科学講座4),東京大学出版会
 ・Gavine Pretor-Pinney(2006):The The Cloudspotter’s Guide,A Perigee Book
 ・Graeme L.Stepher(2003) :The Useful Pursuit of Shadows,American Scientist Vol.91,442-449
 ・花岡利昌(1991):伝統民家の生態学,海青社
 ・半田 孝、正木 明(1989):中層雲にあいた円形の穴,天気Vol.36,35-38
 ・平塚和夫(1992):気圧単位の変遷について,気象No427,4-9
 ・Hobbs,P.V(1985):Holes in cloud,Weatherwise,38,254-258
 ・Howard B.Bluestein(1999):Tornado Alley,Oxford University Press
 ・J.F.P.Galvin(2003):Observing the sky-how do we recognize clouds?,Weather Vol.58,55-62
 ・James A.Screen & A.Robert MacKenzie(2004):Aircraft condensation trails and cirrus,Weather Vol.59,116-121
 ・John M.Wallace & Peter V.Hobbs(2006):Atmospheric Science 2nd Edition,Academic Press
 ・篝 益男(1965):信州の天気のことわざ,古今書院
 ・Kennenth G.Libbrecht(2007):The Formation of Snow Crystals,American Scientist, Vol.95,52-59
 ・Kerrty A.Emanuel(1994):Atmospheric Convection,Oxford University Press
 ・木田重雄(1994):いまさら流体力学?,丸善書店
 ・気象庁(1975):気象庁百年史
 ・気象庁広報室(1987):クニッピングの曾孫(気象長官を表敬訪問),気象No366,30
 ・気象衛星センター(1993):「ひまわり」で見る四季の気象,大蔵省印刷局
 ・気象衛星センター(2000):気象衛星画像の利用と解析,(財)気象業務支援センター
 ・Klaus-Peter Hoinka、Manuel de Castro、Reinhold Steinacker(2008):Artist depiction of mountain wave clouds(fohn clouds above lnnsbruck),Weather Vol63,94-97
 ・小林禎作(1968):雪華図説考,築地書館
 ・近藤純正(1987):身近な気象の科学(熱エネルギーの流れ),東京大学出版会
 ・L.T.Matveev(1984):Cloud Dynamics,D.Reidel Publishing Company
 ・M.Riikonen、L.Cowley、M.Schroeder、M.Pekkola、T.Ohman、C.Hinz(2007):Lowitz arcs,Weather Vol.62,252-256
 ・増田善信(1989):異常暈(ハロー)も空からの手紙,Vol.36,39、54
 ・Matveev,L.T.(1984):Cloud Dynamics,D.Reidel Publising Company
 ・宮澤清治(1994):ことばの始まり『集中豪雨』,気象No447,43
 ・宮澤清治(2004):天気図と気象の本,国際地学協会
 ・水野 量、福田矩彦(1993):過冷却雲へのシーディング実験で見られた光学現象,天気Vol.40,カラーページ
 ・水野 量(1994):尾流雲と乳房雲,天気Vol.41,カラーページ
 ・水野 量(1995):「尾流雲」の由来を知る 吉武藻素二元気象庁長官からの手紙,天気Vol.41,16
 ・水野 量(2000):雲と雨の気象学(応用気象シリーズ3),朝倉書店
 ・村上多喜雄(2003):モンスーン概論,気象研究ノート204,1-26
 ・村松照男(2005):天気の100の不思議、東京書店
 ・中村 繁(1988):明日の天気がわかる本,新星出版
 ・中谷宇吉郎(1937):霜柱の研究について,岩波書店(中谷宇吉郎全集 第2巻),161-168
 ・新野 宏(1987):流れの安定性について,天気 Vol.34,671-684
 ・二宮洸三、秋山孝子(1979):極東における梅雨前線帯,気象研究ノート138,1-29
 ・新田次郎、山本三郎(1969):雲(その生態と天気予報),山と渓谷社
 ・饒村 曜(1986):台風物語,(財)日本気象協会
 ・饒村 曜(1993):続・台風物語,(財)日本気象協会
 ・小倉義光(1994):お天気の科学(気象災害から身を守るために),森北出版
 ・小倉義光(1997):メソ気象の基礎理論,東京大学出版会
 ・小倉義光(2002):一般気象学〔第2版〕,東京大学出版会
 ・岡林一夫、中島 肇(1987):京都お天気歳時記,かもがわ出版
 ・大井正一、山本三郎、曲田光夫(1974):富士山の雲と大気の成層状態、気象研究ノートVol.118,39-35
 ・松井 健、小川 肇(1989):日本の風土,平凡社
 ・大西晴夫(1949):台風の科学,日本放送出版協会
 ・大谷東平、斎藤将一(1966):天気予報と天気図,法政大学出版会
 ・Peter V.Hobbs(1985):Hole in Clouds,Weatherwisw(Oct 1985),254-258
 ・Phil Jones( 2008):Historical climatology-a state of the art review,Weather Vol63,181-185
 ・R.S.Scorer(1949):Theory of wave in the lee of mountain,Quart.J.R.Met.Soc., Vol.75, 41-56
 ・R.S.Scorer(1978):Environmental Aerodynamics,Halsted Press
 ・Richard Scorer(1972):Clouds of The World,Lothian Publising Co Ltd.
 ・Robert A.Houze, Jr(1993):Cloud Dynamics,Academic Press
 ・Robert Greenler(1980):Rainbows, Haloes, and Glories,Cambridge University Press
 ・斎藤直輔(1982):天気図の歴史,東京堂出版
 ・Sean Potter(2007):December 7,1941:The Attack on Pearl Harbor,Weatherwise(Nov/Dec 2007),18-19
 ・柴田清孝(2001):光の気象学(応用気象シリーズ1),朝倉書店
 ・Simon B.Vosper & Douglas J.Parker(2002):Some perspectives on wave clouds,Weather Vol.57,3-8
 ・志崎大策(2002):富士山測候所物語,成山堂書店
 ・Stanly David Gedzelman(2003):A Cloud, by any other name…,Weatherwise 2003(Nov/Dc),24-28
 ・Storm Dunlop(2004):Weather,HaperCollinsPublishers
 ・住 明正、村上多喜雄(1984):モンスーンをめぐる諸問題(モンスーンの変動に及ぼすチベット高原の影響),気象研究ノート149
 ・Susan Hegedus(2007):Dreaming of a White Christmas,Weathrewise 2007(Nov/Dec),52-53
 ・鈴木牧之,岡田武松校訂(2008):北越雪譜,岩波書店
 ・Sverre Petterssen(1969) :Introduction to Meteorology 3nd Edition,McGRAW-HILI
 ・高橋喜平(1980):雪と氷の造形,朝日新聞社
 ・高橋喜平(1992):雪の文様,北海道大学図書刊行会
 ・高橋忠司(1999):過剰虹,天気 Vol.46,3-4
 ・ティアナ・ティース(2002):マンボウ,ナショナル・ジオグラフィク2002-11,132-137
 ・植野隆壽(1950):富士山雲の研究(其2),気象研究時報 Vol.2,1-9
 ・W. A. Bentley(1962):Snow Crystals,Dover
 ・W.J.Humphreys(1964):Physics of The Air,Dover
 ・和田光明、中村則之(2000):成熟期の積乱雲,天気,Vol.47,3-4
 ・和田光明、伍井 稔(2003):多層のレンズ状雲,天気,Vol.50,3-4
 ・和田光明、小池克征(2005):巻積雲に出来た穴,天気,Vol.52,3-4
 ・William R.Cotton、Richard A.Anthers(1989):Storm and Cloud Dynamics,Academic Press
 ・山本三郎(1967):登山者のための気象学,山と渓谷社
 ・吉崎正憲、加藤輝之(2007):豪雨と豪雪の気象学(応用気象シリーズ4),朝倉書店
 ・湯山 生(1972):富士山にかかる笠雲と吊るし雲の統計調査,研究時報 Vol.24,414―420
 ・湯山 生(1974):富士山の雲,気象研究ノート Vol.118,23―38
 ・Zbigniew Sorbjan(1996):Hands-On Meteorology,American Meteorological Society

No.105

2009.10 Categoriesその他

積乱雲を作ってみよう

 夏の午後や夕方、ムクムクと空高くそびえたつ入道雲、積乱雲。この雲が成長するようすを実験で観察してみましょう。家庭にある道具、材料で簡単にできます。準備するものは、牛乳、水、ストロー、ガラスコップ、ローソク、ガラスコップを乗せる台です。もちろん、ビーカーやコーヒーサーバーを使ってもかまいません。

 実験の手順です。(図1)
 ①コップに水を入れて台の上に置きます。台は下からローソクでコップの底をあぶれるような台です
 ②コップの水が静まったら、冷たい牛乳をストローでコップの底に注ぎます。
 ・ストローで牛乳を吸い上げるときは、味が感ずるまで吸い上げ、吸い口側をすぐ指で蓋をします。少しぐらいなら飲んでもいいでしょう。
 ・ストロー水を入れたコップの縁に沿って入れ、底に着いたら吸い口側の蓋をした指を離し、静かにストローを引き上げます。
 ③コップの中は上が水で底のほうに牛乳がたまっています。牛乳の厚さは2cmぐらいにします。
 ④ローソクに火をつけ、コップの底を暖めてください。台がなければ、手で持ったまま暖めてください。


(図1)準備するものと実験の手順
Zbigniew Sorbjan(1996)の方法を改良。

さあどうなるでしょう。

 底のほうから白い柱がスーッと伸び、水面に着くと両側に広がります(図2)。白い柱が伸びているときは(図2)(右)の手前の発達中の積乱雲みたいですね。白い柱が両側に広がった様子は、(図2)(右)奥にあるカナトコ雲と似ていませんか。積乱雲も対流圏内では上に向かって成長しますが、大気がとても安定している成層圏との境の圏界面にぶつかると両側に広がってカナトコ雲を作ります。


(図2)実験で作った積乱雲と実際の積乱雲

 コップの中でなぜ白い柱ができたのでしょう。下から暖めたので、水面と温度差ができ、温まった牛乳が上昇して白い柱ができました。積乱雲は地面に近いところの空気と上空の温度差が大きくなると発生発達します。夕立は夏に地面が太陽で熱せられ、上空と下層の温度差が大きくなって発生した積乱雲の雷雨です。このような雷雨の積乱雲は夕暮れになるとしぼんでしまい、雷雨も止みます。
 積乱雲が発生発達するのは日射の影響だけではありません。下層に温かく湿った空気が流れ込んで上昇するときも、積乱雲が発生発達します。このようなときは時間帯に関係なく積乱雲が発生発達して強い雨が降ります。しかも、雨の素になる下層の水蒸気が同じ地域に流れ込むと、次々と積乱雲が発生して同じところに襲いかかり豪雨になります。もちろん激しい雷を伴っています。
 このため夜中や午前中に雷が鳴って強い雨が降っているときは災害になるような大雨のこともあります。夜中に土石流を起こすような集中豪雨があったときは、「雨の音と雷の音がすごかった」と付近の人たちが言っています。「集中豪雨」の言葉が生まれた京都府南部の山城地域の豪雨のとき、遠く離れた京都市内でも雷鳴が聞こえたそうです。1994年9月上旬に伊丹空港ビルの電気室が水没して空港が使えなくなった大阪府豊中市の豪雨のとき、私は枚方市北部に住んでいましたが、夜遅くまで激しい雷が鳴っていました。
 昨年(2008年)の夏は全国各地でやたらと雷雨が多く、悲しい事故も起きました。いつもなら北海道の北にあるジェット気流がなぜか大きく蛇行して日本の上を流れました。このため、上空に寒気が入って上空と下層の温度差が大きくなり、おまけに下層には暖かく湿った気流が入りやすくなりました。このため積乱雲が発達しやすくなり、大雨を降らせやすい雷雨があちこちで発生しました。
 天気予報の解説で、「暖かく湿った空気が入って・・・」とか「上空に寒気が入って・・・」と言ったときには積乱雲が発達しやすくなります。大雨に注意してください。冬に「上空に強い寒気が入って・・・」と言っていたら、大雪に注意してください。

No.102

2009.7 Categoriesその他

フェーン現象

 空気の塊が上昇すると膨張するので気温が下がります。逆に下降すると圧縮され気温が上がります。空気が圧縮されると気温が上がることは、自転車のタイヤに手押しポンプで空気を入れると、ポンプが熱くなることを経験したと思います。水蒸気を含んでいる空気の塊が水滴を作りながら上昇するときは、温度が100m上昇するごとに約0.65度低くなります。水蒸気を含む量の少ない乾燥した空気の塊が上昇するときは、温度が100m上昇するごとに1℃低くなります。
 気温20℃の空気の塊が水滴(雲粒)を作りながら山の斜面を上昇し、2,000mの山を越え反対側に行ったときの温度の変化を見てみましょう。(図1)を見ながら読んでください。


(図1)フェーン現象の説明

空気の塊の温度は100m上昇するごとに0.65℃下がるので、標高2,000mの山頂に着いたときの温度は20℃-0.65℃×20=7.0℃となります。空気が山の斜面を降りるとき、空気は圧縮されます。タイヤに空気を入れるとポンプが熱くなることからわかるように、圧縮された空気の塊の気温は上がります。100mごとに1℃高くなるので、7.0℃+1℃×20=27℃になります。山の風上側よりも7℃も気温が高くなりました。しかも、水蒸気は山の斜面を上昇するときに雲粒になってしまったので、空気は乾燥しています。


(図2)春先、日本海側が季節はずれの暖か
さになった日の天気図(2009年3月18日9時)

 日本海側を低気圧や台風が通過すると、このようなわけで日本海側では太平洋側よりも気温が高くなり乾燥します。フェーン現象と呼んでいます。今年(2009年)も3月18日から19日にかけて南から高気圧に覆われて、山越えの暖かい気流が日本海側に入り込みました。18日(図2)の金沢の最高気温は23.6℃、新潟では22.6℃、東京では20.7℃と日本海側の方が高くなりました。しかも、金沢、新潟とも最小湿度がそれぞれ16%、14%と低く、日最大風速が10m/sとなりました。


(図3)鳥取市大火の天気図
(昭和27年4月17日午前9時:気象庁提供)

 こんなときに火事が起こったら大変です。古い話ですが昭和27年(1952年)4月17日に山陰の鳥取県で大火事がありました。理科年表によるとこの火事で5,228個の住宅が焼け、死者も2名出ています。(図3)がそのときの天気図です。高気圧が南から日本列島をおおっていて、日本海に発達した低気圧があり、南から暖かい空気が日本海側に入りやすい状態になっています。気象庁のホームページで調べると、鳥取県の境の最高気温は26.1℃、島根県浜田の最高気温は25.5℃でした。4月なのに初夏の気温ですね。湿度もおそらく低かったことでしょう。
 昭和58年(1983年)4月24日~28日にかけて東北の太平洋側各地を中心に山林火災がありました。岩手県久慈市が特にひどかったです。当時、私は釜石市に住んでいて、すぐ北にある大槌町でもこの間に山林火災があり、火は市街地のすぐ近くまで燃え広がりました。鎮火のあと行きましたが、市街地にある住宅地のすぐ背後の山が真っ黒になっていたのを覚えています。天気図は省略しますが、日本列島は南から高気圧におおわれていて、北海道の北を低気圧が発達しながら通過しています。東北地方の風は西よりです。大槌町の北にある宮古測候所の観測値を見ると、4月25日には最高気温が28.4℃と真夏並みで最小湿度は16%でした。
 フェーン現象とはもともとヨーロッパの現象です。ヨーロッパ、アルプスの北にあるドイツ南部ババリア地方のベネディクトではこんなことが起こりました。1704年1月28日、2,000人のチロル軍がベネディクト修道院を攻めようとして、コーチェル湖の北に来ていました(図4)。当時、修道院の西側には沼地帯が広がっていました。この頃のヨーロッパは今より寒く、その湖や沼地は全部凍っていました。チロル軍はそこを渡って攻めようとしていたのです。ところが、この日にフェーン現象が起こりコーチェル湖の南にある谷間から強く暖かい南風が吹いて気温が上がり、沼地帯の氷が3時間から4時間後に解けてしまい、ベネディクト修道院は助かりました。


(図4)ベネディクト修道院周辺の地図

 この修道院の西方約40㎞にある丘(989m)の上で古くから気象観測が続けられていますが、始まったのは1789年頃からなので、当時の観測記録はありません。しかし、その当時ベネディクト修道院に居たカルロス修道士がそのときの状況を記録していました。その翌日は、キリスト教の祭典のひとつである、“アナスタシア”なので、カルロス修道士はこの日のことを、“アナスタシアの奇跡”、または“コーチェル湖の奇跡”と書いています。そのときのようすを1720年頃にルーカス・ザイスが描いていて、その絵がベネディクト修道院に残っているそうです。
 フェーン現象で真冬に気温が一気に上がることはあるそうなのですが、張っていた氷が3時間か4時間後に解けるかどうかを、この著者は検証しています。当時の軍隊の装備から重さを推定し、その重さに耐えられる氷の厚さを推定しています。そしてその厚さの氷が解けるのにどのくらいの時間が必要かを推定しています。その結果、当時の湿地帯に張っていた氷が解けるのに6時間は必要だと結論しています。著者はカルロス修道士がそのとき受けた印象をドラマチックに表現したのだろうと書いていました。
 この記録を科学的に検証したのはドイツ人で、イギリス気象学会のウエザーという機関紙(Weather-January 2009,Vol64,No.1)に載っていました。このような歴史的な記述を科学的に確かめる文化はおもしろいと思いました。

No.96

2009.1 Categoriesその他

風を測る、電波で風を測る


(写真1)風見鶏の館の風見鶏

 「風を測る」と言われると、皆さんはどのような道具、機械を思い浮かべますか。鶏の形をした物が古い西洋の家の屋根についているのを見たことがあると思います。そう、風見鶏のことです。(写真1)は神戸市の異人館街にある風見鶏の館の屋根についている風見鶏です。矢の部分が風の吹いてくる方向に向いて、風向がわかるようになっています。


(写真2)風向風速計
(気象庁内気象科学館)

 風にたなびく鯉のぼりからも風が吹いているかどうかわかります。これを応用したものが、高速道路で見かける“吹流し”です。 山間部でよく見かけます。吹流しのたなびき方から風の強さをドライバーに知らせ、横風で車がふらつきかねないことを知らせています。
 風見鶏や鯉のぼり、吹流しは感覚的に風向きや風の強さがわかります。風向や風速を数値的に測るためには、(写真2)のような飛行機みたいな形をした風向風速計を使います。プロペラと反対側に垂直尾翼が付いた部分がありますね。垂直尾翼があるために全体が風の吹く方向を向き、プロペラが風の強さに応じて回転します。これらが電気信号に変えられて風向と風速を表します。

 次は、電波で風を測る話です。空間的な雨や雪の強さを測るためにレーダーが使われています。レーダーから出た電磁波は雨や雪で反射(本当は特別な散乱)されるだけでなく、空気中に含まれている水蒸気密度の違いがあるところでも反射されます。水蒸気密度の違いがあるところは風に流されるので、連続して電波を出してそこから反射(散乱)されて帰ってくる電波を観測すると風の向きや風の強さを計算することができます。地面に電波の発信機と受信機を置いて上に向けて電波を発射し、散乱されて帰ってくる電波を受信して、色色な高さの風向風速を10分間隔で観測しています(図1)。このような機械のことをウインドプロファイラといいます。


(図1)ウインド・プロファイラー(提供:気
象庁)

(写真3)熊谷地方気象台のウインドプロファ
イラ

 ウインドプロファイラの観測所は全国に31箇所あります。観測できる高さは、天気や季節で違っていて、最大で9㎞まで観測ができます。(写真3)が熊谷地方気象台にあるウインドプロファイラです。カバーで覆われていますが、その中に5本の送信機と受信機が入っています。

 それではウィンドプロファイラの観測結果を見てみましょう。2007年7月14日14時過ぎに、大型で強い台風4号が鹿児島県鹿屋市付近に上陸し、本州南岸沿いを東に進みました(図2)。


(図2)2007年 台風4号の経路図

図3→別ウィンドで開きます)はこの台風がウィンドプロファイラのある、鹿児島市のすぐ南を通過した14日の観測結果で、(図4→図3と同ウィンド)は台風が鹿児島市に最も接近したときの観測結果です。矢羽が風の吹いてくる方向、つまり風向を現し、羽の数が多いほど強い風が吹いていることを現しています。ちなみに、短い矢羽が5ノット(約2.5m/s)、矢羽1本が10ノット(約5m/s)、黒く塗りつぶされた旗ひとつで50ノット(約25m/s)を意味しています。
 両方の(図3)と(図4)からわかるように、台風が接近する前は東寄りの風が吹いています。台風が接近するに連れて風向が北寄りに変わり、台風が抜けてからは西寄りに変わっています。風向が反時計回りに変化していますね。このような風向の変化は台風が自分の居るところより南側を通ったときの風の変化の特徴です。しかも上空の風も同じような変化になっています。
 地面に近いところを中心に風の強さを見ると、8時から11時頃までは黒い三角の旗が続いていますが、台風が通過したあとの16時以降は黒い旗が現れていません。通過前は25m/s以上の風でしたが、25m/s以下の風になっています。台風の進行方向の東側は危険半円、西側は可航半円というのを聞いたことがあると思います。鹿児島市は台風が通過する前は台風の東側の危険半円にあり、通過後は台風の西側の可航半円に入ったので、このようなことになりました。
 ウインドプロファイラは電波を上に向けて出しているので、その上を通過するものは何でも観測してしまいます。でもそれらは特徴的な観測結果になるので、風ではないと判断して自動的に取り除かれます。しかし、ある秋の風が穏やかな日の夜から翌日の明け方にかけて、福井で2000m以下の高さでとても強い風が観測されました。その後の調査の結果から観測された強い風は渡り鳥だとわかりました。ここでもそのデータを見せたかったのですが、(図3)や(図4)を作った気象庁月報というCDには、渡り鳥を観測したことによる強風部分は削られていました。興味のある方は、測候時報という雑誌の第70巻(2003年)の102ページと103ページ(第3巻)をみてください。もちろん、今では渡り鳥による観測結果は自動的に取り除かれています。

※台風やウインド・プロファイラーの観測データは気象庁提供のものを使用しました。

No.93

2008.10 Categoriesその他

めぐる季節のもと

 ガリレオ・ガリレイの有名な言葉で、「それでも地球は動いている」というのがありますね。地球は自転していて、太陽の周りを公転しています。公転軌道は楕円で、いちばん太陽に近いのは1月3日頃、最も太陽から遠くなるのは7月3日頃です(図1)。でも、このことって不思議に思いませんか。日本がある北半球のことを考えると、太陽に最も近い1月が暑くなって、太陽から最も遠い7月が寒くなってもいいはずです。しかし、実際は逆になっています。


(図1)太陽と地球の距離

 北極と南極を通る地球の自転軸は北極側から見ると、公転軌道に対して左側に23.5度傾いています(図2)。


(図2)地球の公転

 このため、冬は南半球を中心に太陽の光が当たって、南半球の方が北半球よりもたくさんのエネルギーを太陽から受けます。反対に、夏は北半球を中心に太陽の光が当たるため、北半球の方が南半球よりもたくさんのエネルギーを受けます。春分と秋分は北半球、南半球とも平等に太陽の光が当たり、太陽から受け取るエネルギーも平等です。つまり、地球が太陽の周り回る公転面に対して地球が自転している自転軸が傾いているため、季節によって太陽から受け取るエネルギーの差ができ、四季の変化ができます。

 (図3)から(図6)は静止気象衛星「ひまわり」の可視画像です。“気象衛星ひまわりの「可視画像」と「赤外画像」”でお話しましたが、可視画像は太陽の光が地球に当たった反射光を見ています。このため、夜は何も写りませんね。冬至、春分と秋分、夏至にはどうなっているか、ひまわりの全球画像で見ていきましょう。


(図3)冬至の可視画像

(図4)春分の可視画像

(図5)夏至の可視画像

(図6)秋分の可視画像

 冬至のときは南半球を中心に太陽が当たるので、(図3)の午前2時と午後10時の画像は、それぞれ右端と左端だけ光が当って白くなっています。しかも下の方の南半球を中心に太陽が当たっている部分が多く、南極付近は白く光る輪があります。午前6時と午後5時の画像でも、雲画像の見えている部分、太陽の光が当たっている部分が南半球の方が多くなっています。正午には北極付近が黒くなっていて光が当たっていません。
 春分(図4)と秋分(図6)では午前2時、午後10時とも左右のまんなかあたり、赤道に光が当たっていて、北も南も光が当る割合が同じです。午前6時と午後5時も北半球と南半球で光が当たっている部分の面積が同じです。正午には全体に光が当っていて、南極も北極も黒くなっていません。
 夏至(図5)では冬至と逆に午前2時と午後10時には北半球の方が光の当たっている部分が多く、北極付近は白く光る輪があります。午前6時と午後5時も北半球の方が南半球よりも光が当たっている部分が多くなっています。正午には南極付近が黒くなっていて光が当たっていません。
 ひまわりは東経140度線上の赤道上にあります。ここに載せたひまわり画像には緯度線(水平方向)と経度線(縦方向)が10度毎に描かれています。東経140度線は画面の真ん中を上から下にまっすぐ伸びている線です。冬至(図3)か夏至(図5)の午前6時か午後5時の画像で光が当っている部分と影の部分の境に線を引き、東経140度線との角度を測ると、大体23.5度になります。
 地球の公転面に対して自転軸が傾いていることは、確か小学校で習ったと思いましたし、図鑑でも(図2)のような“絵”を見たことがあるでしょう。現在では静止気象衛星のおかげで、(図3)から(図6)のような写真を見ることができ、これから、公転面に対して自転軸が傾いていて、北半球では冬至には太陽光があたる部分が南半球よりも少なく、夏至には南半球よりも多いことが実感できることと思います。
 冬至には(図3)の5枚の画像からわかるように、北極周辺には全く光が当っていないので、一日中真っ暗だとわかります。逆に、夏至には(図5)から北極周辺が白くなっているので、日が沈まないことがわかるでしょう。
このような現象が起こる緯度が、北半球、南半球とも66.5度よりも高い緯度で、北半球では北極圏、南半球では南極圏と言います。北欧やアラスカの観光パンフレットを見ると、真夜中に(図7)のように太陽が幾つも写っていて、地面に太陽が沈まない白夜の写真を見ます。写真は多重露出で撮っているので太陽が幾つもありますが、実際に太陽が幾つも見えるわけではありません。この緯度以北では夏至の前後には太陽が沈むことがありません。


(図7)白夜の太陽

※気象衛星画像は気象庁提供のものを使用しました。

No.91

2008.8 Categoriesその他

太平洋戦争と天気図、天気予報

 1941年12月7日(日本時間では8日)の日曜日の朝7時過ぎ、ハワイ・オワフ島では多くの軍人は週末の朝を楽しんでいました。一方、航空母艦赤城を旗艦とし、6隻の空母を従えた日本海軍の機動部隊は、現地時間の午前5時30分にホノルルから約230マイル北に来ていました。そこから飛び立った、淵田中佐を隊長とする第1次攻撃隊は、高度2,000m付近にある厚い雲の中や上を、パールハーバーに向けて飛行中で、海面を見ることはできませんでした。
 淵田隊長はパールハーバーにあと1時間ほどのところで、レシーバーを耳にしてラジオ方位探知機のスイッチを入れ、ダイアルを回すと、軽快なジャズが高い感度で入ってき、ホノルルの放送局からだと確信しました。そのうち朝の気象情報の番組に変わり、「オアフ島の天候は半晴で、山の上には雲がかかっているが、雲の底の高さは3,500フィート(約1,000m)、視程は良好で、北の風十節」と放送されました。淵田隊長は攻撃隊にとって好都合な気象情報だとわかり、最初の爆弾が午前7時55分に投下されました。
 このように気象情報や天気予報は重要な戦略情報です。日本では1941年12月8日(日本時間)から軍の命令でラジオから天気予報が放送されなくなりました。各地の気象台や測候所からの観測データは、すべて暗号にされて中央気象台に送られるようになりました。中央気象台から放送される気象電文もすべて暗号化されました。
 戦争中、日本人の生活は物資の不足でだんだんと大変になっていきましたが、天気は毎日変化します。台風や嵐もお構いなしにやってきます。そんな中、1942年8月27日に発達した台風が九州に上陸し、戦争中最大の被害をもたらしました。被害の中心は西日本です。さすがに台風のときは特別な情報が出るようになりましたが、この台風がきっかけです。
 終戦は1945年8月15日ですね。ラジオの天気予報番組の再開は8月22日で、東京から再開されました。今では当たり前のように、毎日ラジオで聞くことができる、テレビや携帯電話で見ることができる天気予報や気象情報は平和の象徴といえるでしょう。
 ところで、(図1)は1941年12月8日の天気図、(図2)は戦時中最大の被害をもたらした台風が九州上陸前の天気図(1942年8月27日)、(図3)は終戦の日の天気図、(図4)は兵庫県に大きな被害をもたらした阿久根台風が沖縄付近にある1945年10月9日の天気図(九州北部上陸は10月10日)、(図5)は現在の天気図です。


(図1)1941年12月8日の天気図

(図2)1942年8月27日の天気図

(図3)1945年8月15日の天気図

(図4)1945年10月9日の天気図

(図5)2008年7月10日の地上天気図

(以上、気象庁提供資料)

 (図1)の天気図から見ていくとその違いに気がついたでしょうか。戦争を開始したときの1941年の天気図よりも、1942年や終戦のときの天気図の方が、観測データの入っている地点数が多くなっています。特に中国大陸は顕著です。しかし、戦後すぐの天気図で天気記号が入っているのは日本だけです。現在の天気図は地図をびっしりと埋めるほど観測データは入っていませんが、データが入っている地点は各地域に分散しています。今でこそ世界各国で気象情報の交換が行われていますが、終戦後しばらくの間、海外からの観測情報、特に中国やシベリアからの情報を入手することができませんでした。当時、少ない情報で天気予報を行っていた気象関係者の苦労がしのばれます。

No.78

2007.7 Categoriesその他

富士山の雪と上空の寒気

 冬の間、横浜から富士山が見える日は多いのですが、3月下旬頃から見える日が少なくなってきます。8月末から9月にかけて富士山が横浜から見えると、夏も終わりで秋が来るなと思っていました。まして、6月は曇や雨の日が多く、横浜から富士山がきれいな青空のもとで見えるなんて考えもしませんでした。(写真1)は今年(2007年)6月15日の朝、横浜市都筑区で撮影したに富士山の写真です。この時期、横浜から富士山が青空のもとできれいに見えるのも珍しく、富士山にこれだけ雪が残っているのも珍しいのではないかと思い撮影しました。もっとも、今年は冬の間も富士山が見える日は少なく、見えても(写真2)のように山頂付近に地肌が見えていて、雪はいつもの年よりも少ないなと思っていました。また、富士山の前に見えている、丹沢にも雪がありませんでした。


(写真1)2007年6月15日の朝の富士山(横浜
市都筑区)

(写真2)2007年2月11日の朝の富士山(横浜市
都筑区)

 ところで、今年の冬(12月から2月)と春(3月から5月)、関東甲信地方の気温は平年より高かったと気象庁は発表しています。(図1)は東京、(図2)は静岡県富士の昨年12月から今年6月中旬までの日平均気温とその平年値のグラフです。入手先は気象庁ホームページです。このグラフを見ると、確かにどちらも平年よりも気温の高い日が多くなっていて、3月から寒暖の差が大きくなっています。


(図1)東京の日平均気温(2006年12月~2007年6月中旬)

(図2)富士(静岡県)日平均気温(2006年12月~2007年6月中旬)

(図3)は同じ時期の富士山頂の日平均気温のグラフです。冬の間は平年よりも気温が高い日が多かったですが、3月からは平年値よりも低い日が多くなっています。


(図3)富士山頂の日平均気温(2006年12月~(2006年12月~6月中旬)6月中旬)

 これはどういうことかというと、今年の春は我々が生活している地上では気温の高い日が多かったのですが、春から関東甲信地方の4,000m近い上空は冷たい空気がよく入ってきたことを表しています。4月から入梅までの天気を思い出して見ると、毎日の気温の差が大きかったですね。毎日何を着たらいいのか迷ってしまいました。私も5月の連休の後、鼻風邪をひきましたが、まわりでも風邪気味の人も多かったように思います。
 また、5月から入梅までは雷の日がやたらにありました。特に6月9日、10日は各地で激しい雷雨となり、10日には千葉県北西部で浸水騒ぎも起きましたし、千葉県の富津沖で発生した竜巻の映像がテレビで放映されていました。(図4)は6月10日の地上天気図です。関西方面に気圧の谷がありますが、はっきりした低気圧はありません。しかし、同じ日の高度約5,000m(500hPa)の天気図(図5)を見ると、関西の上空に低気圧があって、氷点下15℃より少し低い寒気を伴っています。館野(茨城県つくば市)の気温も氷点下15℃近くになっています。富士山の気温からもわかるように、上空に強い寒気が入り込んだからです。


(図4)2007年6月10日9時の地上天気図

(図5)2007年6月10日9時の500hPa天気図
(赤い矢印で指した数字は館野の気温)

 このように、富士山頂の気温が6月上旬でも氷点下では、そこに空から降ってくるものは雪になってしまい、(写真1)のようにこの時期に富士山に雪が残っているのもうなずけます。比較する写真はありませんし、写真から積雪の深さはわかりません。また、富士山頂の積雪量の平年値で山頂から雪が消えるのは7月下旬なので、6月中旬に雪があってもおかしくないですが、(写真1)のように6月中旬で富士山がこれだけ白いのは珍しいと思いました。現在、富士山頂で人が気象観測を行っていないため、この日の雪の深さはわかりません。雪の深さの観測データが途切れてしまったのが少々残念です。

No.76

2007.5 Categoriesその他

何か変だよ2007年冬から春へ

 今年の冬はやたらと暖かい日が多かったですね。昨年の冬と比べると大違いでした。私は横浜市北部の青葉区に住んでいて、勤務先も横浜市北部の都筑区にあります。昨年は住んでいるところや会社の周りで、ほぼ毎朝霜柱が見られましたが、今年はほとんど見ることがありませんでした。気象庁の発表によると、今年の冬(2006年12月から2007年2月)は全国的に気温が高く、各地域の平均気温が統計のある1947年以降、東日本や西日本では最高値となりました。3月は日々の変動こそ大きかったですが、月平均気温で見ると全国的に高くなっています。
 2006年12月から2007年3月の東京の最高気温と最低気温を図にしてみました(図1上)。寒かった昨年冬から早春(2005年12月から2006年3月)についても図にしました(図1下)ので見比べてください。昨年は、最高気温、最低気温とも平均気温よりも低い日がたくさんありますが、今年はほとんどの日で平年値よりも高くなっていることがわかります。


(図1)冬から早春の気温(上:2007年、下:2006年)

 今年の冬は日本付近を低気圧が発達しながら通過し、大雨が降っています。年末の26日から27日にかけて台風並みに発達した低気圧が太平洋沿岸を通過して太平洋側を中心に大雨となりました。三陸沿岸では低気圧の中心が近くを通過したので特に強い雨が降り、岩手県の釜石や譜代ではそれぞれ1時間に66㎜、63㎜と季節はずれの強い雨が降り、総雨量が200㎜を越え、浸水被害も出ています。東京でも27日に154.5㎜の雨が降り12月の降水量の最大値を更新しました。東京の12月の雨量の平年値が39.6㎜ですから、いかにすごい雨だったかがわかります。正月が終わった6日にも太平洋沿岸を低気圧が発達しながら通過し、またもや三陸沿岸では100㎜前後の大雨となりました。
 低気圧の通過により強い南よりの風も吹いています。2月14日には日本海側を低気圧が通過して太平洋側で強い南よりの風が吹き、東京で春一番が吹いたと気象庁が発表しました。しかし、この低気圧は少々発達しすぎで各地に突風被害が出ました。日本海を発達した低気圧が通過したのは3月5日にもあり、太平洋側を中心にやはり強い風が吹きました。我が家のベランダのプランターでは、暖冬の影響でいつもより速く咲いた日本桜草が、この強風で根元から折れてしまいました。
 3月の平均気温も例年より高いといっても、中旬に真冬並みの強い寒気が訪れ、東京では気象庁のある大手町でやっと雪を観測することができ、東京の初雪としては、観測史上最も遅い初雪となりました。それまでが暖かかったので、あまりの寒さに震えてしまった人も多いでしょう。
 例年と違った冬が植物にも影響を与えたように思えます。今年の桜の開花の観測は東京が最初で、3月20日に気象庁が東京で桜が咲いたと発表しました。でも今年の桜の咲き方は何か変だと思いませんか。この日、私が住んでいる地域でも桜がちらほら咲き始めましたが、1本だけはすでに満開に近くなっていました。(写真1)は、3月末に撮影した私の勤務先の近くにある公園の様子です。池の周りには沢山の桜があり、沢山の人がお花見に来ます。写真中央のやや右よりですが、ある木の一部の枝だけ桜が咲いています(矢印)。比較できる写真はありませんが、私の記憶では、枝の一部だけ咲いたり、同じ地域で一本の木だけ咲いたりするようなことは今までになかったように思います。(写真2)は4月上旬に撮影した同じ公園です。満開の桜の中、その木はすでに散り終わっています(矢印)。


(写真1)部分的に咲き出した桜
(2007年3月27日横浜市都筑区)

(写真2)散り始めた桜。矢印で示した木は散っ
てしまった。
(2007年4月5日、横浜市都筑区)

 桜だけでなく、ケヤキの芽吹きにも今年はいつもと違っていました。ケヤキもいっせいに芽を出していたように思いましたが、今年はケヤキ並木で芽吹く時期が木によって違っていました。(写真3)は私が住んでいるところにあるケヤキですが、一部の枝だけ芽が出ています。


(写真3)部分的に芽吹いたケヤキ
(2007年4月8日横浜市青葉区)

 色々な花の咲く時期もいつもと違いました。「群馬県館林市の館林野鳥の森フラワーガーデンでは、桜の開花が遅れたので、桜と芝桜が競うように咲いている」という記事が4月7日の毎日新聞朝刊に写真入で載っていました。今年の植物の様子は何か変です。今までとあまりに違った気象の変化に植物たちも戸惑ったのかもしれませんね。

No.63

2006.4 Categoriesその他

影のいろいろ

 子供の頃の遊びの一つに、「かげふみ」がありました。ジャンケンでオニを一人決め、オニに影を踏まれたらオニの交代。ときにはしゃがんで影を短くして踏まれにくくし、わいわい、キャーキャーと走り回っていました。幼児だと自分の影を追っかけたり、自分の影に追いかけられて、怖がったりするようすも見かけます。
 当たり前のことですが、影の長さは太陽の高さにより違います。一日のうちでも、お昼ごろは影の長さが短く、朝や夕方は影の長さが長くなります。季節によっても影の長さは違い、例えばお昼ごろ影の長さを夏至と冬至で比べてみると、夏至の方が影の長さは短くなります。これらは、太陽の通過する高度が、夏のほうが冬よりも高くなっているからです。
 季節による太陽高度の違いは、こんなことにも現れます。家の構造にもよりますが、南向きの部屋では、冬は部屋の中まで陽がさして暖かですが、夏は陽が入らず助かります。自然はうまく出来たものです。我が家でも(横浜市)冬至の前後2ヶ月ぐらいは、部屋に差し込む陽の光のおかげで日中は暖房要らずの暖かさです。しかし、3月になると晴れた日でも陽の光が部屋に入らず、寒くて日中も暖房を使っています。
 話が影のことからそれてしまいましたので元に戻しましょう。影というと地面に出来るものがまず頭に浮かぶと思います。しかし、影は空や、雲の上にもできます。
 (写真1)は夕暮れ時に横浜市から西方向の丹沢と富士山を撮った写真です。


(写真1)富士山が空に作った影

 富士山から左方向(北方向)に向かって何か出ているように見えませんか。近くで遊んでいる子供たちも気がつき、「富士山から何か出ている。」と言っていました。これは、日没の直前に富士山の影が空に出来たものです。富士山の影が空に出来るためには気象条件も必要です。日没ごろ、富士山と太陽の間に雲があれば出来ないのはもちろんのこと、富士山が見えなければなりません。(写真1)を良く見ると、空の下のほうが煙っています。空の下の方に塵のようなものが漂っていて、富士山の影はこの塵に映っています。


(写真2)飛行機雲が巻層雲に作った影

 雲の影が雲に出来ることがあります。(写真2)がその一つです。
太陽から離れたところに虹のようなものがありますが、これは暈(かさ)といいます。暈があることから、空全体をおおっている雲は巻層雲です。巻層雲を作っている氷の結晶がプリズムの働きをして暈ができていて、太陽と暈の視角は22度です。この日は暈が完全な円形でした。(写真2)を良く見ると飛行機雲があり、その少し下に薄暗い筋が見えます。この薄暗い筋は巻層雲の上にできた飛行機雲の影です。この飛行機雲を作った飛行機は、巻層雲よりも高いところを飛んだのでしょう。このため飛行機雲の影が巻層雲の上にできました。

No.47

2004.12 Categoriesその他

日本にも時差がある?

 「日本にも時差がある」、馬鹿なことを言い出してなどと思わないで聞いてください、でなくて読んでください。
(図1)は今年(2004年)の12月5日午前9時(日本時間)の地上天気図です。


(図1)2004年12月5日午前9時(日本時間)の地上天気図

三陸沖に976hPaと台風並みに発達した低気圧があります。日本付近の等圧線の間隔が狭く、非常に強い風が吹いていることがわかります。この日北海道は大雪になりました。一方、首都圏では夏みたいに気温が高く、強い風で運転できない鉄道もあり交通機関のダイヤが乱れました。
 (図1)がなぜ5日9時の天気図であるかがわかるかというと、左上と右下の四角の中にその情報があります。そこの2行目に「050000UTC DEC.2004」と書いてありますが、これが日時の情報です。この真ん中付近に書いてある「UTC」は世界協定標準時を意味します。「DEC」はDecemberの略で12月、「2004」は2004年です。「050000UTC」は世界協定標準時で5日0時0分を意味します。世界協定標準時は、イギリスのロンドンにあるグリニッチ天文台の時刻が基準となっていて、イギリスと日本の時差は9時間あるため、この天気図の時刻は日本時間で5日午前9時となります。

 世界地図を見ると、ロンドンは経度の0線が通っています。ここを基準に東側が東経何度、西へ行けば西経何度となっています。皆さんもご存知のように、日本の標準時間は東経135度にある明石天文台です。イギリスとの時差が9時間で経度差が135度あるのですから、経度1度当たりの“時差”は 「9時間÷135度=4分」 となります。これだけで何のことかわからないと思いますが、日の出・日の入りの時刻を考えてください。地球は自転しているので、明石より東では日の出が早くなり、明石より西では日の入りが遅くなります。例えば、明石と東京との経度差は約4度ですから、日の出は明石よりも東京の方が約16分早くなります。「日本にも時差がある」というのは、主に日の出・日の入りの時刻を言いたかったのです。

 私は東京生まれですが大阪で生活をしたとき、日が長い夏至前後は16分の“時差”は感じませんでした。しかし、日が短い12月から1月末までは“時差”を強く感じました。特に1月上旬は朝7時には東京では太陽が顔を出していますが、大阪ではまだです。このため朝がとても暗く妙な感じでした。そのかわり大阪では日没が約16分遅いので、日が短い時期は東京よりも遅い時間まで明るく何か得をした気分でした。独身時代の一時期、釜石で自炊生活をしましたが、東京とほとんど同じ経度なので冬は午後5時過ぎには真っ暗で、時には雪も舞い、仕事を終えてから夕食の材料を買いに行くとき、わびしかったことが思い出されます。また、釜石に住んでいた頃、天草で半月ほど仕事をしたことがありました。朝が早い仕事のため、釜石よりも朝が暗く感じました。釜石は本州の東の端近くに位置しています。一方、天草は日本列島の西の端近くに位置しており、両地点間の経度さは約10度です。経度1度当たりの時差が約4分ですから、天草の日の出の時刻は釜石よりも40分ほど遅くなります。釜石の生活に慣れた私にとって、天草の朝が暗く感じたのは無理ないことでしょう。

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