風を歩く
No.40
2006.12.18
吉野正敏
アドリア海岸の偏形樹
「風を歩く 17」に、ヨーロッパの冷たいおろし風「ボラ」について書いた。今回は、この「ボラ」によって、アドリア海岸のクロマツ(Pinus nigra)が偏形しているさまを紹介したい。クロマツと言っても、日本のクロマツ(Pinus Thunbergii)とは異なる。
アドリア海岸の小村カルロバーグを最初に訪れたのは1968年3月だった。アドリア海岸で「ボラ」の研究をするための予備調査で、ベオグラードの気候学者、ミロサヴィエロヴィッチ夫人に案内してもらい、海岸を南下していた。日暮れになったので、一泊するためのホテルを探して、やっとカルロバーグに一軒みつけた。翌朝、明るくなってみたら、そのホテルの近くの海岸にこの偏形樹群があった。つまり、見つけたのは、偶然であった。海岸線に沿う道路を自動車で突っ走っていたら、当然、この偏形樹群を見ることはなかった。(写真1)は、その時、つまり40年前に撮影した1枚である。
私の変形樹のグレード(偏形度)では、変形していない、正常の形のものを0とし、梢の部分1mくらいだけ風下側に偏形しているものを1、樹の上部約3分の1が偏形しているものを2、約3分の2が偏形しているものを3、風上側に枝が全くないものを4とする。さらに、5,6とあり、偏形度6とは地上にはったような形の場合である。
偏形度3までは、日本でも世界各地でよく見られるが、偏形度4は、そうどこでも見られるわけではない。このカルロバーグで偏形度4がたくさん見られるのは、冷たいおろし風「ボラ」がよく吹くアドリア海岸のなかでも、ここが特に局地的に強いところであることを物語る。1970年代、旧ユーゴスラヴィアの人たちと「ボラ」に関する共同研究をしたが、それを始めるきっかけの一つがこの偏形樹群であった。この写真1を撮ったとき、その後、40年もこの被写体と付き合う仲になるとは、正直に言って、考えてもいなかった。
(写真2)(1)(2)は、2回目に訪れた1970年11月17日に撮った。バックの光る海面が、この偏形樹群が海岸にあることを示している。冷たい強風に対抗して力強く生きているさまが感じられる。
われわれはこのような樹から推定される「ボラの吹いてくる方向と強さ」の分布を、北はトリエステ付近から、南はドブロフニク付近まで測定して歩き、アドリア海岸全体の「ボラ」の局地性を明らかにした。この分布から風の流れを示すいわゆる流線図を画いた。この図は現地の人たちの役にたった。
共同研究が終わって10年以上も経った1988年、アドリア海岸を旅行する機会があった。偏形樹のグレードが、もし年を経て変わったとすると、気候指標としての価値がない。どうしても、このカルロバーグの樹群を見たかった。(写真3)(1)(2)に示すように、樹は相変わらずで、私の20年来の恋人は同じ姿で健在だった。しかし、古いホテルはすっかり新しくなり、樹の周りは整理された庭園になっていたのは驚いた。
ここの樹の樹齢はおそらく百数十年から200年くらいであろう。中には300年に達するものもあるだろう。その期間の20-30年は、樹にとっては短い年数かも知れないが、ここの偏形樹たちは気候指標としての価値を証明してくれた。「風を歩く」の40回目の話題として、40年来変わらぬ友?恋人?研究の支え?を紹介できて私は嬉しい。
最後にここの海岸の背後の山斜面を(写真4)に示す。植生は乏しい急斜面だが、よく見ると、石灰岩の石また石の間にブドウ畑もあり、斜面中腹には集落もある。その集落は母村、港は娘村で、母村のほうが風は弱く、水もあり、生活条件はよい。生活が斜面上下につながっているのも、風にさからわずに生きる人びとの知恵であろう。