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風を歩く

No.33

2006.09.11

吉野正敏

田んぼの風神・雷神

 

(写真1)田舎館村の田んぼアートの風神(右)と雷神(左)

(写真1)田舎館村の田んぼアートの風神(右)と雷神(左)

 風神・雷神の姿は、妙法院の蓮華王院(三十三間堂)本堂にある鎌倉時代の木彫像やそれを写し取って描いた建仁寺蔵の俵屋宗達筆の屏風絵や、それを模写した尾形光琳の屏風絵などで、日本人なら知らない者は居ない。しかし、田んぼに描き出された風神・雷神の姿となると、見た人は少ない。最近、テレビで紹介されたので、それで初めて知った人が多い。
 弘前市の北東約6kmにある南津軽郡田舎館村の役場横の水田に、今年の8月-9月風神・雷神の絵が浮かびあがった。一見、お城のような設計の村役場の屋上、さらにもう1階うえの高さの“天守閣”から見ると、(写真1)のように、この“田んぼアート”は見事である。

 田舎館村では、平成5年(1993年)以来、稲文化を前面に押し出す事業の一つとして、天守閣から眺める“田んぼアート”を推進してきた。平成14年(2002年)には水田風景の移り変わりを田植えから5日ごとに、田植え後、120日まで写真に収めた。これをみると、田植え後1ヶ月でうっすらと絵が現れ、40日後には、かなりはっきりする。最も緑・黄・黒のコントラストがはっきりするのは60-80日後のころである。それを過ぎると、緑だった稲の葉も黄金色になり始め、もともと黄色だった稲と区別しにくくなる。

(写真2)風神を地上間近かで見たところ。どこがどこの部分かわからないほどだが、黄色で大きく円を画くところは風神のかつぐ風袋の部分、写真中央で黄色と黒が入り混じるところは風神の顔の部分 以上、写真1~2、いずれも2006年9月2日 吉野撮影©

(写真2)風神を地上間近かで見たところ。どこがどこの部分かわからないほどだが、黄色で大きく円を画くところは風神のかつぐ風袋の部分、写真中央で黄色と黒が入り混じるところは風神の顔の部分
以上、写真1~2、いずれも2006年9月2日 吉野撮影©

 この田んぼアートの最初のころは、たわわに稔る稲と満月などの絵であった。しかし、次第に高度の芸術性をもつ絵になった。平成15年(2003年)にはモナリザ、翌年には棟方志功の版画絵、平成16年(2005年)には写楽と歌麿が取り上げられた。そして、今年は風神・雷神となった。日本人の心にしみこんだ風神・雷神の姿を田んぼアートの作者たちは選んだのであろう。
 今年の9月2日、現地を訪れる機会にめぐまれた。土曜日のためもあろうか、観光バスでくる人たちもあり、にぎわっていた。売店には、風神・雷神の絵がはいった2種類の色違いの郵便切手まであった。地上で田んぼをみると、絵があまりに大きいので、(写真2)に見るようにどこがどこだかわからない。どうやって田植えをするのか、知りたいと思ったが、これは企業秘密なのかもしれない。

 4色の稲の違いは地上でみればはっきりする。9月2日の状態で、

 黒色稲:穂がでているが、まだツンと立っている。草丈は高い。
 黄色稲:穂はでているが、まだたれていない。草丈は低い。
 緑色稲:穂はでたばかり。一番成長は遅い。草丈は黄色稲より高い。
一般の稲:背景(下地)の稲はこの付近の一般の田んぼと同じで、穂はたれさがっている。
     成長の段階は最もはやい。草丈は黒色稲より高い。

この4色で風神・雷神を画いたのだから、お見事と言わざるをえない。
 日本の風神・雷神のルーツは中国の敦煌にある。(写真3)は敦煌の風神・雷神である。

(写真3)中国の敦煌の莫高窟第249窟(西魏535-556)の風神(上)と雷神(下) 

(写真3)中国の敦煌の莫高窟第249窟(西魏535-556)の風神(上)と雷神(下)

 敦煌からさらにさかのぼると、ヨーロッパにたどりつく。その詳細は筆者の「歴史に気候を読む」(学生社)に書いたので、ここでは省略する。ただ一つ、田んぼアートを見て、今回初めて考えたのは以下のことである。
 言うまでもなく、敦煌の莫高窟は土の壁に描いた絵である。乾燥した沙漠の芸術である。それが日本にきて木彫となり、さらに屏風絵になった。モチーフは受け継がれ風神・雷神の姿は洗練・発展したがおもしろいのは、素材が土から木になったことである。乾燥地帯から、大木が育つ湿潤地帯の芸術になったわけである。そしていま、田舎館村で田んぼに異なった品種の稲を春に植え、秋に色付けが完成するアートになった。湿潤なモンスーンアジアで、木彫の材料となる森林があり、屏風絵が必要な木造家屋がこのような芸術をはぐくんだ。さらに、田舎館村のアートは稲作地帯がなければ存在しえないアートである。このことに気がつき、私は非常な感銘を受けた。 田舎館村の田んぼアートは、そう見てくると、単なる「観光客集めのアート」以上の価値を持つ成果である。また、日本の三十三間堂の木彫以来、田中館村の風神・雷神ができるまでに、400年の歳月を経たことも意識しなければならない。これが、文化の重みでもある。

 まったく別の観点から考えると、田んぼのアートは、雪祭りの氷の殿堂や、海辺の砂の殿堂など、比較的短期間に消えてしまう芸術作品と似た性格がある。これは日本人に好まれ、サクラの花見期間が短いことと関連しているのだろうか。四季、折々の風を吹かせる風神に聞いてみたい気がする。


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