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風を歩く

No.28

2006.07.03

吉野正敏

ドナウデルタの風

 1961年の夏から秋にかけた4ヶ月、私は南ドイツのブラウボイレンという小さい村のゲーテインスティテュートで、ドイツ語の研修を受けていた。ブラウボイレンから、近くのウルムまではローカル線で40分くらいだったから、日曜日にはよく遊びに行った。ウルムはバーデンビュルテンブルク州とバイエルン州との州境にあり、その州境はドナウ河である。河岸を散歩すると、ヨハン・シュトラウスの青きドナウそのものの風情であった。
 ブラウボイレンには周辺の石灰岩地域からくる地下水が湧き出す泉があり、その水は小川となり、ドナウにはいる。ゲーテインスティテュートへの行き帰り、この小川のほとりを通った。小川の川幅は10メートルくらいだが、両側は背の高いポプラの並木で、……いずーみに沿いーて、しげーるぼだいじゅ……と、歌と風景が重なった。水の色は緑、紺碧、うす黒、日によってさまざまで、その変化にも驚いた。小川が透き通るような流れの日には、川底には藻がゆらぎ、大きな鱒が泳ぐのが見えた。シューベルトの鱒のメロディー、とりわけ、第一楽章出だしの第一テーマがぴたりで、これぞ音楽と感激した。
 ブラウボイレンから車で1時間くらいのころに、ドナウの源泉ドナウエッシンゲンがあり、昨今、観光客を集めている。地形学上の本当の源泉はさらに上流1kmくらいのところだそうだが、ここから2850km流れて、ドナウは黒海にはいる。私のドナウ体験は最上流部から、四十数年前に始まった。そして1960年代後半から1970年代前半にかけて、旧ユーゴスラビアで局地風の共同研究を行ったが、頻々と訪れた当時の首都ベオグラードは自然環境からみても人間の歴史からみても中流部ドナウの様相を色濃く反映していた。
 ドイツ・オーストリア・ハンガリー・旧ユーゴスラビアを経て、東に向かうドナウはルーマニアとブルガリアの国境をなす。最後の部分はルーマニア領で、河口付近は大きく北に向かい、ついで湾曲して東に向かい、網状流となりデルタを形成する。

 ドナウ上流部は一般に風は弱い。オーストリアのリンツあたりまで来ると、広い谷底平地の風当たりのよいところでは東風がやや強い。ウィーン付近、特にウィーンの空港周辺などでよくわかるが、東風による偏形樹がみられ、見事な防風林も仕立てられている。ベオグラード東方では、有名な局地風“コッシャバ”が吹く。私の友人だったベオグラード大学教授のミロサビリオビッチはコッシャバの研究ばかりやっていたので、大学の学生がつけた彼のあだ名は“コッシャバ”であった。とにかく、この地域の人たちの生活へのインパクトが強い東風である。さらに下って、ルーマニア南部のドナウ下流の低地で東風が卓越していることは、ブカレスト大学のボグダン教授が描いた気候図でも明らかである。彼女の考えでは、この東風はロシア南部で発達する熱乾風“スハベイ”につながるという。
 2006年6月3-4日、ドナウの最下流部、デルタにでるあたりの現地を訪れた。(図1)は現地の見取り図である。

(写真1)ドナウ河口付近、ブライラ対岸の中州に見られるポプラの偏形樹。東風で、偏形度2-3になっている。

(写真1)ドナウ河口付近、ブライラ対岸の中州に見られるポプラの偏形樹。東風で、偏形度2-3になっている。

(写真2)ブライラ付近のヤナギ類の林。一ヶ月前の洪水時には水位が今より1m高かった。 以上、2006年6月3日、吉野撮影©

(写真2)ブライラ付近のヤナギ類の林。一ヶ月前の洪水時には水位が今より1m高かった。
以上、2006年6月3日、吉野撮影©

 ドナウはガラティ、ブライラ付近では北流しているので、中州はほぼ南北に走る。その中州にはヤナギ類が樹高数mから十mあまりに成長している。そのなかに突出してポプラが大きく育っているがいずれも偏形樹になっている(写真1)。
 南北に走る二つの中州が途切れているところは、東風に対しては、ちょうど南北に走る山脈の鞍部を東風が横切るのとおなじような役割りをはたすので、風が集まってきて強くなるらしいことが船のうえから観察できた。ヤナギ類は樹高がやや低く、また、樹の性質から風の影響を受けにくいらしく、偏形樹になっておらず、一ヶ月前の洪水の跡が樹幹の根本にみられるだけだった(写真2)。

(写真3) (左)マチンの丘陵上、旧農協の敷地にあるポプラの偏形樹。風上側(画面の右側)は葉が落ち枯れ枝になっている。 (右)風向計、と風速計。 2006年6月4日、吉野撮影©

(写真3) (左)マチンの丘陵上、旧農協の敷地にあるポプラの偏形樹。風上側(画面の右側)は葉が落ち枯れ枝になっている。
(右)風向計、と風速計。
2006年6月4日、吉野撮影©

 ガラティの南南東約16kmのマチンの丘陵上で海抜200mくらいの地点に、今は放棄された農協の工場・建物群があり、その敷地には古い気象観測所があった。日本ではすでにみられない風圧によって風速を測定する器械があり(写真3右)、その横にポプラの偏形樹があった。これぞ、私をよく迎えてくれた友達の姿である(写真3左)。

 この付近では、海抜100mくらい以上で、東風の陰になるような西向き斜面の微地形のところにブドウ畑がひろがっていた。デルタでは、野鳥の宝庫で丘陵から離れるにしたがって見晴らしはよくなる。したがって風も強くなり、昔から風車が活躍していた。歴史時代の風車の分布に関する研究論文さえあるくらいである。もちろん現在でも使かわれているわけではないが、サンプルを写真4にしめす。木製で塔の部分は固定されているが、頭の部分は風向に応じて手動で向きを変えられる。この写真はルーマニアのトランスシルバニアのシビウ郊外にある野外博物館「アストラ」に、ドナウ河口から運ばれて、展示されているものである。

(写真4)ルーマニアのトルケアの風車。羽根がついた頭の部分は手動で向きをかえられる。

(写真4)ルーマニアのトルケアの風車。羽根がついた頭の部分は手動で向きをかえられる。

 この写真の風車は4枚羽根だが、6枚羽根もあり、地中海沿岸で発達した布を張った12枚羽根のものもあった。人間が風力利用を古くからしてきた地方である。

 

 

 

 


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