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風を歩く

No.43

2007.01.29

吉野正敏

関東の空っ風

(図1)関東平野における典型的な“空っ風”が吹く地域。数値は風速(毎秒m)

(図1)関東平野における典型的な“空っ風”が吹く地域。数値は風速(毎秒m)

 関東の冬の“空っ風”は、日本の中の局地風で一番有名といってよいだろう。西高東低の冬型の気圧配置のとき、シベリアからの冷たい風が日本海を渡ってくるあいだに湿気をもらい、その風が本州の脊梁山地の日本海側斜面を上昇するときに冷えて雲を生じ、さらに雨か雪となって、水分を落とす。脊梁山地の風下側斜面、つまり、太平洋側の斜面を降りてくるときには、温度があがるので、空気は乾燥する。これが関東平野で吹く“空っ風”である。このような、山越えの気流の断面図は「風を歩く 19」を参照していただきたい。
 関東の“空っ風”が卓越するのは、(図1)に示すように、前橋付近から扇状に銚子・東京・千葉を含む地域で、北西の風である。典型的な場合、平均で毎秒10m以上の風速である。川崎・横浜の風向からわかるように、相模湾へは北風となって吹きだす。このような風系は12月から翌年3月までよく発達する。

 19世紀末から20世紀前半のころの統計によると、前橋の暴風(毎秒10m以上)の日数は長年の平均で月に10日以上、1冬の合計で約31日であった。最大風速は毎秒22-25mで、台風が近くにやってきた時とほとんど同じである。しかし、台風の時は暴風が吹くのは台風シーズン中の1-2日だが、冬の“空っ風”は上記のように総計30日以上になるのだから、生活への影響は大きい。
 今年は暖冬で、シベリアの高気圧の発達が弱く、日本付近の冬型の気圧配置も長続きしないし、回数も少ない。「風を歩く 42」にふれたように、ヨーロッパでは、寒波の吹きだしにともなうスロベニア・クロアチアの“ボラ”が最近弱くなり、回数も減ってきている。地球温暖化の影響があるだろうし、年によってはエル・ニーニョの影響で暖冬になりやすい。長期的には上記の値は小さくなる傾向にあるだろうし、短期的には年による変動がさらに加わるので、何十年ぶりの暖冬が現れる。しかし、“空っ風”の回数がゼロになることはありえない。
 さて、どうして前橋付近が扇の要になるのだろうか。これは、本州の地形による。本州の脊梁山地の幅(新潟から群馬にかけての幅)は利根川の上流部が一番狭い。地形的にはここを北ないし北西の気流が吹越しやすい。世界的にみると、高緯度の寒気が低緯度へ吹きだし、山脈を越して風下側の山麓に強い局地風を生じるのは、山脈(山地)の幅が100km以下、山脈の高度は平均して1500-2000m、そこに高度800-1000mの鞍部がある場合である。しかも山脈の走行が上空の気流に対しほぼ直角の場合、より強くなる。利根川上流部は、これらの条件にぴったりである。
 群馬県の北部の利根川の谷沿いにある渋川では北である。群馬県西部の烏川、碓氷川、吾妻川など西から東に向かう谷では西の風となっている。これらの谷からでてきた風が前橋付近に集まる。そこで、扇の要ができあがる。そうして、風下へラッパ状に(扇が開くように)強風地域が広くなる。局地的には赤城おろし・榛名おろし・浅間おろし・筑波おろしなどの名で呼ばれる。しかし、これらの山頂からそれぞれ吹き降りてくるのではなく、それぞれの山の麓で吹く強い冬の季節風すなわち関東平野で吹き荒れる“空っ風”のことである。ところによっては、上州おろし・伊香保風・アサマツ(浅間っ風から転化したとも言われる)・カンカラカゼ・オオニシカゼ・アカッカゼ・練馬風などの名がある。最後の二つは東京の西郊から埼玉県に連なる台地上の乾燥した畑で、“空っ風”が赤土を巻き上げるさまを表現している。

(写真1)武蔵野の防風屋敷林。東京西郊の小平市にて 。 2006年12月19日吉野撮影©

(写真1)武蔵野の防風屋敷林。東京西郊の小平市にて 。
2006年12月19日吉野撮影©

 このような“空っ風”を防ぐには、住まいのまわりに防風垣・防風林を昔から作ってきた。上州ではクネ・カシグネ(樫の垣根)などと呼ばれ、その高さや厚さは、その土地の卓越風を敏感に反映した。カシの他にスギ・タケなどもよく植えられている。武蔵野では新田開発のときから、住まいの北側には厚く立派な防風林を仕立てた。(写真1)は東京の西郊の小平市に残っているもので、ケヤキの樹の古いものは200年以上にもなり、高さは20mを越える。下の高さ2mくらいの部分はマサキなどが多い。この写真では見えないが、新田開発で南北に延びる短冊形に土地区画された畑には、野菜が栽培され、チャの防風垣が東西方向に仕立てられている。これが屋敷北側の立派な防風林に加えて、さらに野菜を北風から守り、土壌の風食を防ぐ役割をしている。

(写真2)2層の防風垣。高い方はシラカシ、低い方はイヌツゲ。つくば市にて。 1987年5月 吉野撮影©

(写真2)2層の防風垣。高い方はシラカシ、低い方はイヌツゲ。つくば市にて。
1987年5月 吉野撮影©

(写真2)は、茨城県つくば市でみた2層の防風垣である。高い方はシラカシ、低い方はイヌツゲである。手入れが行き届いているのが、見ていても心地よい。なお、この写真のように1層と2層の間をあけるほうが、防風効果からみても、管理面からみてもよい。(写真1)の場合も同じだが、第1層と第2層とでは防ぐ風の対象(地面付近の風か少し高いところの風か)・性質(運搬する土壌粒子が多いか少ないか、風の乱れが大か小か)などが異なるし、防風の目的は風速をゼロにすることではなく、弱めることをねらっているのだからである。

(写真3)見事なマサキの防風垣。千葉県木更津市にて。 2003年1月 吉野撮影©

(写真3)見事なマサキの防風垣。千葉県木更津市にて。
2003年1月 吉野撮影©

 (写真3)は宅地周囲の生垣をかねたマサキの防風垣である。千葉県の木更津市でみたものである。住まいの1階部分は見えないし、写真の画面左の部分、すなわち北西の部分は少し高くなっていて、卓越風向に対処していることがよくわかる。
 (写真1・2・3)を撮った地点を(図1)の示す強風地域との関係でみると、扇形の中か少し外れていてもほとんど境界の部分にある。この扇形の地域のなかでも風の強弱はあるし、そもそも、扇形が大まかなものである。また、住む人たちや、その農村の歴史的背景の違いがあって、一様ではない。しかし、大きくみると、防風垣・防風林で“空っ風”に対処しているさまは同じである。


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