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風を歩く

No.11

2005.11.07

吉野正敏

隠岐の風

プロローグ

 学生時代から、一度、隠岐に行ってみたいと思っていた。日本海に浮かぶ隠岐の島は、島前と呼ばれる群島の部分と、島後と呼ばれる円形の島とにわかれている。特に、筆者は円形の島の方に深い興味をもっていた。その理由は、冬には日本海を渡ってくる北から西の強い季節風がもろにぶつかるし、台風や発達した温帯低気圧が来たときには南西の強い風が吹く。島は東西が約18㎞、南北が約20kmで、ほぼ円形ということは、風に対する地形の影響が単純化され、風の条件を反映している自然や人間生活の地域差もはっきり観察できるだろうという期待からであった。
 さらに、島の沿岸には多数の小さい港があり、それぞれ、小さい屏風のような山が背後からくる風を防いでいる。地図でみると、漁師さんの住む家がその山すそにかたまってあり、風に対する立地が明らかに読み取れる。
 最近、この島後で気候が強く反映されている景観を建築学の立場から詳しく分析、研究している米子高専の兼子朋也博士に、案内してもらう機会に恵まれた。駆け足の旅であったが、詳しい観察と収集の資料を短時間のうちにこなすことができた。長年の夢がかなえられた喜びの熱が冷めないうちに、少し書いておきたい。

島を4地域に区分してみた、風とそのインパクト

 結論を先に言うと、予想以上に明らかな地域差が認められた。以下、解析の順序に従って述べよう。
 先ず、島を東西と南北の線で四つに区分して考える。その理由は、冬の季節風は北から西、台風・低気圧のときの強風は西から南である。島の反対側はそれぞれの風下側だから、風上側とよいコントラストが見られるだろう。だから、4地域に区分して考察しようというわけである。すなわち、

 地域Ⅰ:北から西、行政的には、主として五箇村。
 地域Ⅱ:西から南、行政的には、主として都万(つま)村。
 地域Ⅲ:南から東、行政的には、主として西郷町。
 地域Ⅳ:東から北、行政的には布施村と、中村川流域。


具体的な境界線は山の尾根(行政区画も山の尾根を走る場合が多い)に従う。そのため、4地域の面積は島の幾何学的な4等分ではなく、地域Ⅲ(西郷町の部分)がもっとも広く、地域Ⅱ(都万村の部分)がもっとも狭い。
 以下、地域Ⅰ-Ⅳについて、風の状態、特徴ある植生(樹木)、集落(民家)、遺跡、古墳、などを(表1)に示そう。

(表1)隠岐(島後)における風の条件と、その影響
地域
象限
 
北から西

西から南

南から東

東から北
冬の季節風
台風・温帯低気圧
 最強
強-中
最強


植生(樹木) 特徴なし特徴なし冬の季節風の風下斜面に高木や高齢樹(注1暖地性広葉樹。
冬の季節風の風下斜
面に高木や高齢樹(注2
代表的沿岸集落 久見油井
那久
釜屋(都万)
西郷中村
飯美
布施
大民家 なしなし釜の佐々木家(注3飯美の大黒屋
遺跡の先史
時代編年

先史時代(注4
 
晩い


縄文時代
晩期1000年BC頃

最も晩い


弥生時代
500年BC頃以降

最も早い

縄文早期・前期・
中期・後期・晩期
約4000年BC以降(注5

早い


縄文後期・晩期
2000-1500年BC
古墳(注6 五箇に45都万に21西郷に106布施に1
以上の総括:
 沿岸から山地
 斜面の風条件
 最も厳しい厳しい最良
注1:樹高の報告例ではカブラスギ38m、二本松14-15m、胸高直径3-4m。さらに調査が必要である。
注2:布施村クロマツ、乳房(チチ)杉、飯山サクラ、樹齢350-800年、樹高40m、胸高直径5mなどと言われているが、樹高・樹齢や海抜高度、微地形などについて調査が必要。
注3:築後約170年、2004年解体修理が完了した隠岐造りの民家、重要文化財。(写真1)はその石置屋根。
注4:田中豊治(1979)隠岐島の歴史地理学的研究。古今書院、312ページによる。
注5:分布が最も密。西郷湾周辺で居住地域は西方に次第に移動した。
注6:沖積地の水田地帯に臨む丘陵末端で、農業生産の活動が始まった結果が反映している。
(写真1)釜(地域Ⅲ)の佐々木家(重要文化財)の石置屋根。2004年修復。2005年10月23日撮影。

(写真1)釜(地域Ⅲ)の佐々木家(重要文化財)の石置屋根。2004年修復。2005年10月23日撮影。

(写真2)久見(地域Ⅰ)海岸で住家を囲む“板壁”。2005年10月22日撮影。

(写真2)久見(地域Ⅰ)海岸で住家を囲む“板壁”。2005年10月22日撮影。

(写真3)那久(下那久)(地域Ⅱ)海岸の風やしぶきを防ぐ施設、“竹壁”と“板壁”の一部。2005年10月22日撮影。

(写真3)那久(下那久)(地域Ⅱ)海岸の風やしぶきを防ぐ施設、“竹壁”と“板壁”の一部。2005年10月22日撮影。

(写真4)都万(つま)漁港、屋那(地域Ⅱ)の船小屋。2005年10月22日撮影。 いずれも、吉野撮影©

(写真4)都万(つま)漁港、屋那(地域Ⅱ)の船小屋。2005年10月22日撮影。
いずれも、吉野撮影©

まとめ

 少し、論文調になって恐縮だが、要するに以下のことが今回の旅のまとめである。

 地域Ⅰ:風条件は最も厳しい。従って、最近でも沿岸集落は小さく、家屋密度は小。遺跡は縄文晩期からで人間生活は遅れて成立。
 地域Ⅱ:風条件は厳しく、古墳は弥生時代で最も遅い成立。
 地域Ⅲ:風条件は最良、従って気候環境全般が良い。遺跡の時代は最古、数は多く、古墳の数も多い。人間活動が早くから発達するのを助けた。しかも、西郷湾の地形条件は港町として島外との海上交通・商業活動の展開にプラスした。
 地域Ⅳ:風条件は良い。山地斜面は卓越風の風下となり、風は相対的に弱く、温暖なため、暖地性の常緑広葉樹が育ち、高木・高齢樹が見られる。遺跡からは地域Ⅲに次いで早くから人間が居住したことが推定される。

これからの研究課題

 港の背後の山と港の形・方向、集落の大きさ・家屋密度、その背後の山との位置関係などを定量的に解析する必要がある。また、各集落の家屋の防風・防潮施設は地方色ゆたかで(写真2と3)、現在残っている船小屋(写真4)も、上記の4地域で違いがあるようである。今後の現地の研究者グループに期待するところ大である。
 また、これだけのものは観光資源としても、大きな価値がある。これを生かす方法を工夫しなければならない。


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