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風を歩く

No.2

2005.07.04

吉野正敏

夏の季節風

季節風と雨季

 季節風というと、日本では冬の冷たい北西の風を言う。しかし、東南アジア・南アジアの国ぐにでは季節風と言うと6月から7月を中心にして発達する南西の風のことである。特に、雨季のイメージと重なる。季節風は英語ではモンスーンである。
 “雨季来る”と言うのは、インドでは南西モンスーンの開始を意味する。一般の人びとにモンスーンの名は待ちこがれた雨季の代名詞として、浸透している。それは4-5月の雨季の始まる前の非常な高温からのがれ、また、農業や、水の資源に欠くことができない雨を持ってくるからでもある。もしも、モンスーンが順調でないと、いろいろな面に被害がでてくる。
 しかし、モンスーンの定義は、気象学・気候学から言うと難しい。モンスーンが吹く気圧配置なのか、地上付近で南西の風が吹くことなのか、連日雨が一定量以上降ることなのか、あるいは、これらの現象が全部整うことなのか、はっきりしない。かつて、インドでは、「モンスーンと言うと誰でも知っているが、気象台では何も知らない」と言われた。それほど、モンスーンの定義はさまざまで、皆が納得するような定義はむずかしい。

日本の夏の季節風

 日本では、古くから、季節風とは冬になると吹くと知られていた。日本海側では雪が降り始め、雪起こしと呼ぶ雷がなる。太平洋側では木枯らしが吹き、特に関東の空っ風など、冬の季節風の代名詞でもある。しかし、夏の季節風の名は比較的新しく20世紀の後半になってからである。最近テレビなどで活躍している気象予報士、気象解説者の草分けで、その祖先第一代の人と言ってよい倉嶋厚さんが、まだ気象庁に勤務していて、1950年代後半から1960年代にかけて夏の季節風に関する論文や本をたくさん書いた。そして、アジアの夏の季節風をテーマにした学位論文をまとめ、当時の東京教育大学の福井英一郎教授が主査で理学博士となった。この頃から、つまり、1970年代以降、一般にもよく使われるようになった。したがって、約30年の歴史、長くとっても、約50年の歴史である。
 夏、大陸上が高温になり、低圧部となる。海洋上には高気圧が発達し、海洋から大陸にむかう気流が生じる。これが夏の季節風である。日本では、6,7,8月に発達する。
 6-7月は日本では梅雨どきである。北太平洋上には高気圧が発達し、これからユーラシア大陸に向かう南ないし南東の気流である。一方、インド洋から東南アジア・華南を経て東アジアに向かう南西の気流があり、上記の北太平洋からの南ないし南東の気流と合流する。これが梅雨前線の南側の気流である。だから、日本を含む東アジアの夏の季節風は、6-7月を中心に梅雨と呼ばれる雨季をもたらす。

インドの南西モンスーン(雨季)と東アジアの夏の季節風(梅雨)との関係

 ロシアの19世紀後半のすぐれた気候学者であったバイコフ(日本語でもヴァイコフ、ドイツ語でA. Weikov、英語でA. Voeikoffなどいろいろな書き方がある)は、世界旅行の途中日本にも1876年に立ち寄り、各地を旅行した。そして、著書「世界の気候(1887年)」の中に、“日本の梅雨はインド半島の南西部と同じく、夏の季節風が地形的に強制上昇させられ、そのために降る雨である”と述べた。まだ、南北二つの気流、あるいは、気団の間にできる「前線・不連続線」という考え方がなかった時代なので、地形の影響とした点は正しくないが、東アジアの梅雨とインドの南西モンスーンとを関連ずけた点で、いまから130年も前の考察としてすばらしい。
 明治20年代のベストセラーズであった志賀重昂の「日本風景論」の中で、彼は日本の梅雨についてふれ、南アジアの夏の季節風と結び付けている。まだ、明治時代の日本の気象学や気候学の教科書はこのような記述をしていなかったとき、さすがにこの明治のベストセラーズは現象を見抜いていたのには感服する。たまたま、バイコフの記述と同じ時代である。何か、江戸末期か、明治初年ころにやってきた外国人が書いた本に、このような考察が書いてあったのではないか、つまり、両者ともなにか同じ参考書があったのではないかと邪推したくなるが、今のところ、証拠となるものは知られていない。いずれも、独自の見解と考えられる。

コメと夏の季節風

<カンボジャの水田耕作>
モンスーンの雨季が近い。 (写真左下に続く)

モンスーンの雨季が近い。 (写真左下に続く)

 南アジアから東南アジアを経て東アジアへ吹く夏の季節風は雨季をもたらし、この雨が水田耕作を支えてきた。コメの高緯度側の耕作限界は次第に北上し日本では北海道まで、中国では東北部まで、水田地域は広がった。その限界は夏の季節風が北上するぎりぎりのところである。ただし、高温な栽培期間を必要とするので、年に一回の栽培である。
 それに対し、東南アジアや南アジアの熱帯・亜熱帯地域では、温度条件がよいので年に2回、さらには3回栽培することが可能である。いわゆるコメの2期作、3期作である。写真はカンボジャの水田耕作で、(上右)水田を牛力で起こしているところ、(下左)は田植えし終えたところ、(下右)は青々とした田んぼが広がっているところである。水田地帯ではどこでも似た風景で、かって、20世紀になってからだが、欧米の学者が研究にやって来て、モンスーンアジアという名を与えた。高い人口密度で大きな人口包容力をもち、水田耕作に頼る特徴ある生産様式で社会を発展させるという理由であった。しかし、21世紀には世界の中心となると言われている中国とインドがこの地域にあることは、別の意味でもわれわれは関心を払う必要がある。すなわち、年による変動が非常に大きいモンスーンによる影響が依然として深刻な食料生産に頼る社会だという点である。

田植えも終わった。 遠くの積乱雲(雷雲)が雨季の開始を告げる。

田植えも終わった。 遠くの積乱雲(雷雲)が雨季の開始を告げる。

空もどんよりし、 稲は高温多湿の天気のもとでよく育つ。

空もどんよりし、 稲は高温多湿の天気のもとでよく育つ。


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