風を歩く
No.36
2006.10.23
吉野正敏
万葉の秋風
万葉の人びとは、稲作など、農業を基盤とした季節観をもっていた。風そのものはもちろん、それに関わる動植物の生活の変化から季節の移り変わりをとらえていた。そこで四季それぞれの歌がうまれた。四季の分類がとりいれられた巻八と巻十から、歌われている対象をみると、秋の歌が最も多く、441首(うち、七夕の歌113首)で、次いで、春の歌が172首、夏の歌が105首、冬の歌が67首である。日本人が秋を好むのは地名にも現れており、日本の地名では、四季のうち秋の文字がつく地名が最も多い。これと共通する。
秋の歌の中で、現象としては、風・霧・霜・露・時雨などが主であった。秋風は53首あり他に初秋風が1首ある。秋風をどのようにとらえたかについては、おおよそ三つに分類される。
その一は、
ま葛原(くずはら)なびく秋風吹くごとに
阿太(あだ)の大野(おおの)の萩の花散る (巻十、2096)
のように、「風が吹く」ことで秋の「風景」をとらえるものである。阿太の大野とは、現在の奈良県五条市阿田付近の吉野川沿いの原で、大野とは人手のはいっていない広々とした原野を言った。ここの広い原一面の広がる葛をなびかせ吹く風の状況をとらえていて、この歌は万葉の名歌の一つとされる。他にも、「吹き越し敷ける」とか、「散らまく惜しみ」など、葛の葉がなびく様子や、萩の花が散る様子を的確に歌っている。
秋風の寒く吹くなへ我が屋前の
浅茅が本にこほろぎ鳴くも (巻十、2158)
は、コオロギの声を通して深まりゆく秋のしみじみとした気配を感じ、歌った。これらは、秋風をとらえた万葉の歌の最も注目すべき点であろう。
その二は、
天の川水陰草(みずかげくさ)の秋風に
なびかふ見れば時は来にけり (巻十、2013)
は「秋」と題した大伴の家持の歌で、風そのものをとらえた場合である。これは、四季の変化の中で、秋風が最もよくそれをとらえているためと万葉学者のなかではいわれている。
秋山の木の葉もいまだ赤たねば
今朝吹く風は霜も置きぬべく (巻十、2232)
も、秋風そのものを歌っている。視覚では紅葉や黄葉、萩の花・葛・ススキ、聴覚ではコオロギ・ヒグラシ・マツムシなど、こういう植物や昆虫の変化をとうして秋風をとらえた歌が第一の分類に属するとすれば、第二の分類に属する歌は風の状況そのものをとらえ、歌っていることの違いが理解できよう。
万葉の時代の写真をのせるのは不可能なので、(写真1)のような、今年撮った、赤く色ずき始めた木、ススキの原、晴れてゆく朝霧から現れる遠くの林の風景で、幾ばくか、日本の秋を感じていただければ、幸いである。
さて、第三は、自己の心の表現を秋風に託した歌である。
我妹子(わぎもこ)は衣(ころも)にあらなむ秋風の
寒さこのころ下に着ましを
(巻十、2260)
今よりは秋風寒く吹きなむを
いかにかひとり長き夜(よ)を寝む
(巻十、3462)
のように、一人で過ごす孤独感の表現で、そこに居ない相手を思う表現ともなる。なお、中古代になると、和歌の恋歌には、「秋」が「飽き」とかけられるが、万葉の時代にはその表現はまだないと言われている。
島田修三・浅野則子は万葉の秋風の歌の研究を行い、次のような時代区分をしている。
すなわち、
第一段階:確かに存在する風、自然の力、風の動きに注目した。
第二段階:自らの感覚で捉えてゆこうとした。
第三段階:吹いてきた所から、何かを運んでくる、言いかえれば、遠い(恋)人から想いを運んでくる「使者」ととらえた。
(写真2)は、秋風が吹かなかった早朝、尾花は露にぬれ、思い思いの姿で朝の陽に輝いてみえる。草の根元には虫の音が、夜をとうしてたえなかったであろう。秋風は、吹いても秋の立役者、吹かなくても秋の立役者、万葉の時代から今に生きている。