風を歩く
No.29
2006.07.17
吉野正敏
夏休みの風観測―ヨークシャの成人学級
ある年の夏、妻がイギリスの中部西海岸へ石灰岩地形の研究で行くというので、ついて行った。イギリスは大西洋からの西風がまともにぶつかるところだから、北半球の中で、もっともおもしろい地域のひとつである。40年ほど前にイギリス南西部、ウェールズの西の突端に行ったが、その影響のすごさは偏形樹や民家の形態によく見られた。さて、中部はどうだろうか。
ロンドン空港でレンターカーを借り、まず、西北西約80kmのオックスフォードに向かった。以前、バスで1回行ったことがあるので、何となく安心感があった。ロンドンからオックスフォードあたりは、それほど風は強くないようである。比較的内陸のためだろうか。オックスフォード大学の地理学教室を訪問し、旧知のS教授から、現地の状況や、道順などを教えてもらい、街で地図を買い、ヨークシャに向かった。当時、カーナビなどはなかったが、地図と道路標識だけで、マランターンというヨークシャのなかでも僻地に到達できたのは、むしろ驚きであった。しかし、着いてみるとマランターンは見渡す限りの広大な牧場で、そのなかで、センターを探すのには苦労した。
ヨークシャの名の起こりになっているヨークは、ロンドンの北北西約300kmにある古い町である。南北に走るペニン山脈の東側すなわち北海側が、ヨークシャの主な部分で、周辺のマンチェスター・リーズ・シェフィールドなどの都市は日本の地図帳にもでているが、ヨークシャの範囲や風景は日本人にははっきりしない。西方のアイルランドとの間はアイリッシュ海で、ヨークシャの最西端はアイリッシュ海の海岸から数kmのところである。ベースキャンプとして利用したのは、そこの部分にあるセンターの施設である。われわれが泊まっていたとき、ちょうど夏休みの成人学級のコース30人くらいの人たちも居て、何をどのようにやるのかを知ることができた。それを、ここで紹介したい。
コースの正式名称は聞き忘れたが、自然観察が主体であった。そもそもイギリスは博物学・自然誌・自然史学の歴史は古く、ナチュラリストも多い。コースには、動物・植物・地質・鉱物はもちろん、気象のテーマも入っている。大学から専門家が来て講義し、野外での観察が組み込まれていた。
(写真1)は気象観測の実習のためにセンターの近くに設置された風向・風速計と簡易雨量計である。「小気候学・微気象学からは、1日や2日、一箇所で測定しても何も成果にはつながらない」と言う人がいるだろうが、これは専門の研究者の言うことである。ナチュラリストの立場からは測ってみるか、みないかは大変な違いである。ここが自然を捉えるときの大きな差である。このコースの方針・方向に感心した。また、植物や動物の環境としての気象条件を測定するときには、何も、気象台・測候所と同じ測器を同じように設計された観測露場にならべて、測定する必要はない。この(写真1)のような測定で充分であろう。大人のサマースクールの自然コースとして、私は、むしろ羨ましいレイアウトと思った。
イギリスの風は秋9月から冬をこして春の4月まで強い。アイスランド付近で発生強化されて北大西洋を東進してくる低気圧が頻々とくるからである。1年の内の3分の2の期間はこの低気圧の通過にともなって吹く南西-西-北西の風が強い。だから、偏形樹もこの西よりの風に対して風当りのよいところで見られる。(写真2)は、広い牧場のなかで残っている1本である。もちろん、少し、小さな谷の崖近くとかで樹が残っているところは、もっとみごとなものもある。しかし、マランターンの風はウェールズの最西端に比べれば弱い。これは、マランターンの風上にはアイルランドがあるためであろう。
(写真3)はこの付近の民家である。上述のような1年の3分の2の期間も卓越する強い西よりの風の影響を弱めるため、壁面に対して窓が小さく、玄関は、日本の寒冷積雪地帯の家々に見られるように、2重になっている。
このような説明がマランターンのサマースクールのなかであったかどうかは知らないが、写真のようなフィールドを見ることができたのは、私の個人的サマースクールの成果であった。