風を歩く
No.13
2005.12.05
吉野正敏
飛行機雲
空気中の水蒸気が凝縮して水滴または氷晶の状態で空気中に浮かんでいるのが雲である。5,000mから13,000mの高度にできる上層雲の場合はすべての粒子が氷晶となって集まっている。飛行機雲は飛行機がこのような高度を飛んだ跡に発生する。英語では、“トレイル”と言う。日本語では航跡雲とも言うが、俗に言う飛行機雲の名称がよく使われる。
発生原因には幾つかの理由がある。
- エンジンの排気ガスの中に含まれているエアロゾル(微粒子)が凝結核となる。
- エンジンの排気ガスの中の水蒸気が急に冷やされて雲になる。
- 飛行機の翼端の気流がはくり(剥離、はがれるように離れること)して渦ができるときに気圧がさらに下がり断熱冷却によって雲が発生する。
これらの原因で、空気中の水分の凝縮によって航跡に雲が生じる。もちろん、自然の大気の状態、すなわち、気圧・気温・湿度・風速などの状態が、臨界条件にあることが必要である。つまり、飽和か過飽和になっていて、そこを飛行機が飛ぶと発生する。いったん発生してしまうと、すぐに消えないことが多く、航跡としてすじ状になって保たれる。場合によっては数時間も残っていて、最後には周囲の雲と区別がつかなくなる。
日本の上空は秋から初冬にかけて大気が上記の原因をみたす状態になりやすい。“飛行機雲の季節”と言えよう。かって第二次大戦末期の昭和19年(1944年)の秋、アメリカ軍のB29による日本本土爆撃が激しくなった。このころから、日本人は飛行機雲をよくみるようになったと思う。これは、上記の諸原因がこのころ初めて、日本の上空によく出現するようになったためである。すなわち、秋から冬にかけた季節、B29の飛行高度(高射砲のとどかない高度)、飛行速度・エンジンの構造など、この時代のこの季節、飛行機雲の発生の必要条件をみたすようになった。
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日本軍の記録によると、“B29の高高度来襲の時はかならず航跡雲が発生する”と書いてあり、実際、発生しない時はむしろ例外であった。例えば、昭和19年(1944年)12月3日、アメリカ空軍のB29約70機が伊豆半島から本土に入り、東京を爆撃して房総半島方向に去ったが、この日は強い西風ジェットに悩まされたとアメリカ空軍の記録にある。確かに、日本陸軍気象部のバルーン観測(無線観測)による12月3日10時の記録は右の表の通りであった。
この観測結果によると8,000-10,000mでは90m/s以上の強い西南西のジェットが吹いていた。また、目視観測によると高度1,000m付近に層積雲がわずかにあって、その他の層は雲がまったくなかった。おそらく、水蒸気量が臨界条件を満たしていなかったのであろう。これらの理由で、“いつもは生じていた航跡雲がまったくできなかった”と言う特別な記録が報告される結果となったのであろう。
一般には、当然のことながら、航空路が混雑している空ほど、飛行機雲が発生するチャンスは多い。そして北半球の中緯度では、世界中、やはり秋から冬にかけて上記の発生条件が整いやすい。筆者は、飛行機雲をみると秋を感じ、上空への冬の到来を想う。写真はオーストリアの中央部の南、スロベニアに近い町、フィーラッハ上空の飛行機雲で、秋の青空に航跡がみごとである。