温暖化と生きる
No.43
2011.08.31
吉野正敏
盛夏の集中豪雨
もどり梅雨? 蝦夷(えぞ)梅雨? ゲリラ豪雨?
集中豪雨はすでに気象用語として定着している。局地的に、短時間に、集中して降る強い多量の雨を言う。発生の予測が困難なので、ゲリラ豪雨ともメディアでは使われるが、“ゲリラ活動”と言う戦争のイメージに繋がり、2008年の流行語大賞に日本では選ばれたが、使いたくないと言う人は多い。私もその一人である。
そして、今回のエッセイの結論を先に言わせてもらえば、近年の盛夏の集中豪雨は、もし戦争行為に例えれば、“予測不可能で、どこかコソコソとした隠ぺい的な、しかし、被害は莫大な、ゲリラ活動”ではなく、“局地戦ではあるが、組織的な軍隊による綿密な計画による作戦行動である”ことである。もちろん攻撃された方の被害は致命的である。われわれは、正しく向いあい、現象を把握し、解明し、対応を考えねばならない。名称はともかく、これを気象学・気候学の立場から実行してゆかねばならない。
最近では1時間に80-90mmの集中豪雨が盛夏に起こることは珍しくなくなった。20-30年前だったら、1時間に数十mmでさえ、天下がひっくりかえるような騒ぎであった。今回はこのようなことを書いてみたい。
梅雨末期の豪雨
梅雨が明ける前、つまり、梅雨末期に豪雨があることはよく経験している。梅雨も終わりに近づいてくるころ、梅雨前線の南側の北太平洋高気圧は強くなり北上してくる。一方、上空にはまだ冷たい空気が入ってくる。すると梅雨前線は活発になり、豪雨が、その前線のどこか非常に限られたところで、しかも短時間ではあるが発生する。
梅雨前線が停滞するのは、梅雨の初期・中期は西南日本から本州の太平洋岸に沿った帯状の地域である。半球規模で言うと、これは北太平洋寒帯前線帯の1部である。その前線帯の上空の亜熱帯西風ジェットは冬にはヒマラヤ・チベット山塊の南側を吹いているが、夏には北側に移る。それにともない、東アジアの夏のモンスーンは開始し、梅雨が始まる。一方、アジア大陸上には半球規模では、ユーラシア寒帯前線帯が7月ころには蒙古・中国東北部・朝鮮半島中央部から日本海を横切り北日本に至る位置にくる。そして、上記の北太平洋寒帯前線帯と日本付近の経度(東経130°-140°付近)のところで合流し一つになる。これが平年ならば7月中旬である。旬別の降水量分布を(図1)に示すが、(図1)(左)の7月上旬には、降水量の多い帯状の地域は揚子江の下流部から本州南岸に沿って現れる。それが(図1)(右)の中旬には、上記のユーラシア寒帯前線帯の方にも現れている。つまり、梅雨末期の豪雨はこの2本の帯状の地域で起こりやすい。
(図1)東アジアの雨季の4段階(I~IV)の最後の2期 (III~IV) の旬別降水量(mm)の分布。
最終の第IV 期には本州の太平洋岸に沿う降雨帯と、朝鮮半島の中部から本州の日本海側に至る降雨帯の2本がある。
(吉野による)
梅雨明けと盛夏の前線帯
梅雨明け宣言を気象庁が発表するのは天気が盛夏になったことを意味する。ところが、盛夏になってからでも、天気図型では梅雨型で、本州南岸に沿って、あるいは本州を東西に横切って停滞前線があり、雲は広がり、前線付近でときおり強い雨が降る日があることはまれでない。これを、“梅雨のもどり”とか、“もどり梅雨”とか呼びたいということを連続エッセイ[41]で述べたが、命名はともかく、この現象はかなり明瞭である。(表1)に昔の状態として1971-1980年、最近の状態として2001-2011年の統計値を示す。
(表1)関東甲信・北陸・東北地方南部における梅雨明けと梅雨明け後の 7-8月の前線型気圧配置(a)型*と(b)型**の出現日数 |
梅雨明けの日付 | 日数 | ||||||
関東甲信 | 北陸 | 東北南部 | 関東甲信 梅雨明け後の7月 | 関東甲信 梅雨明け後の8月 | |||
年 | 月 日 | 月 日 | 月 日 | (a) | (b) | (a) | (b) |
1971 | 7 28 | 7 28 | 7 28 | 0 | 0 | 5 | 4 |
1972 | 7 19 | 7 19 | 7 30 | 0 | 0 | 7 | 2 |
1973 | 7 13 | 7 13 | 7 13 | 0 | 3 | 10 | 1 |
1974 | 7 21 | 7 21 | 7 26 | 3 | 0 | 8 | 2 |
1975 | 7 16 | 7 16 | 7 16 | 7 | 0 | 3 | 6 |
1976 | 7 21 | 7 21 | 7 22 | 0 | 0 | 16 | 4 |
1977 | 7 21 | 7 21 | 7 22 | 0 | 6 | 4 | 6 |
1978 | 7 8 | 7 8 | 7 5 | 1 | 1 | 10 | 2 |
1979 | 7 30 | 7 30 | 7 30 | 1 | 0 | 10 | 7 |
1980 | 7 21 | 7 21 | 7 22 | 2 | 5 | 7 | 16 |
2001 | 7 2 | 7 2 | 7 7 | □ | □ | □ | □ |
2002 | 7 23 | 7 23 | 7 23 | 1 | 0 | 9 | 1 |
2003 | 8 1 | 8 1 | 特定せず | - | - | 16 | 8 |
2004 | 7 22 | 7 22 | 7 22 | 0 | 0 | 7 | 2 |
2005 | 7 18 | 7 18 | 8 4 | 5 | 0 | 5*** | 4*** |
2006 | 7 30 | 7 30 | 8 2 | 1 | 0 | 2 | 2 |
2007 | 8 1 | 8 1 | 8 1 | - | - | 11 | 0 |
2008 | 8 6 | 8 6 | 8 6 | - | - | 6**** | 2**** |
2009 | 特定せず | 同左 | 同左 | - | - | 5 | 6 |
2010 | 7 17 | 7 17 | 7 18 | 0 | 0 | 7 | 0 |
2011 | 7 9 | 7 9 | 7 11 | 10 | 1 | 13+ | 1+ |
平年 | 7 21 | 7 24 | 7 25 |
(注) | *(a)型は停滞前線が朝鮮半島中部から北日本にのびる気圧配置型。例を(図2)に示す。吉野の気圧配置型分類ではIV a 型に相当する。 **(b)型は停滞前線が本州の南岸に沿ってのびる気圧配置型。吉野の気圧配置型分類ではIV b型に相当する。 ***8月4日以降。 ****8月6日以降。 □は資料未入手。また、2011年8月の値は28日までの集計なので+を付した。これより小さくはならない。梅雨明け日は気象庁資料による。 |
(図2)2007年8月の朝鮮半島中部から日本の東北地方に至る停滞前線がある日の天気図の例。
(左上)8月9日、(右上)8月10日、(左下)8月28日、(右下)8月29日。(気象庁資料による)
(表1)の(a)型の前線帯は、(図1)(右)の中で示される北の降雨帯に対応し、(b)型の前線帯は南の降雨帯に対応する。(表1)からわかることは以下のようにまとめられよう。
① 1970年代は梅雨明けは7月中であったが、2000年代になると8月になる年が現れる。
② 2000年代になると8月の(b)型気圧配置の出現日数は1970年代の約半分になる。
③ 2000年代になると、(a)型も(b)型も一般的には少ないが、年によっては非常に大きい値が出る。つまり年による差が大きい。これは豪雨による災害対策を立てにくくする。2011年はその典型的な場合で、特に(a)型が大きい値である。
④ 上記の③の現象は2011年の場合、梅雨明けが早かったためもある。しかし、逆に梅雨明けが遅かった2003年、2007年も(a)型は多い。これらを考え併せると、一つの理由は梅雨明け日の決定にむしろ問題があるのではないかと思われる。地球温暖化して夏型気圧配置の出現がただ早くなるのではなく、上述のユーラシア寒帯前線帯が活発化し、停滞前線付近で集中豪雨・雷雨・突風などの局地的で極端な異常気象が発生する。これは8月中にもあるが、7月下旬に発生する年もあるから、それをもし梅雨と見なせば梅雨明けは8月になる。
2007年の場合
(表1)でわかるように、2007年の梅雨明けは8月1日とされ、8月の(a)型の日数は非常に多かった。(図3)は日本の5地域の6・7・8月の旬別降水量と日照時間の推移である。(図3)の右側の中(東日本太平洋側)と右側の下(西日本太平洋側)では7月中旬に352%、347%の降水量をそれぞれ観測した。つまり、(b)型気圧配置が卓越した。一方、(図3)左側の中(東日本日本海側)では8月下旬にやはり300%に近い降水量を観測した。これは(a)型気圧配置が8月下旬に11日と言う大きな日数を記録したことと対応している。
(図3)2007年6月・7月・8月の旬別の降水量と日照時間の平年比。
(左上)北日本日本海側、(右上)北日本太平洋側、(左中)東日本日本海側、(右中)東日本太平洋側、(右下)西日本太平洋側。
(気象庁資料による)
2011年も(a)型気圧配置の出現頻度は非常に大きかった。降水量の集計などはまだできていないが、すでに、記録的な時間雨量、局地的な洪水やがけ崩れ、突風や竜巻の被害が報告されている。
2000年代における(a)型気圧配置の出現日数の増加は、地球温暖化による中緯度高気圧の強化が原因として考えられる。今後のさらなる研究を待ちたい。