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温暖化と生きる

No.33

2011.04.13

吉野正敏

東日本大震災(2)

大震災の被害

 前報[32]では“東日本巨大地震”と書いたが、その後、政府の公式命名で“東日本大震災”となったので、3月11日の大地震による被害を呼び変えることにする。
 日本政府が3月23日に発表した月例経済報告によると、今回の大地震と津波による直接被害額は16兆ないし25兆円に達するという。1995年に発生した阪神大地震の10兆円をはるかに超える自然災害であった。
 これは、直接被害の試算値であり、また、福島原発事故による損害・補償その他の額を含まない値である。最終的な総額は、文学的表現ではあるが、“想像を絶する”。そうして、この16~25兆円という額は国内総生産(GDP)の3%~4.5%になる。国の経済への影響は大きい。
 今回の地震で大きな被害を受けた岩手県・宮城県・福島県・茨城県の4県の経済は日本全体の6~7%を占め、また、日本国内における地域間の開放性が強い。自動車などの製造業がよい例だが、サプライ・チェーン(供給体制・供給連鎖)は、後で述べるように、国内ばかりでなく国際的な連結の鎖で繋がっているところに大きな問題がある。
 また、福島原発の事故は、日本を含め、世界各国のエネルギー政策の見直し、原子力依存の再検討を迫る結果となった。原子力利用に対する人びとの感情も変化した。地球温暖化防止対策の根本を練り直す必要を、“温暖化と生きる”われわれに強く迫る結果となった。

人的被害の現状

 前回[32]の原稿を書いた3月29日以降、現在までの状況を先ず付け加えておきたい。(表1)は前報の(表1)を補完するものである。

(表1)東日本大震災による死者数・行方不明者数などの推移(前報[32]の表1に続く)

日付と時刻  死者数(人)  行方不明者数(人)  負傷者数(人)  避難者数(人)  避難所数(ヵ所) 

3月
25日 23:00 10,10217,0532,777
26日 10:00 10,15117,0532,777
27日 21:00 10,80416,2442,776

    建物被害(戸)
28日 21:00 11,00417,339147,739240,000
29日 21:00 11,16818,407151,388
30日 21:00 11,36216,290153,228
31日 10:00 11,41716,273160,494
4月
1日 21:00 11,73416,375196,195166,570(17都県)2,200(17都県)
2日 20:00 11,93815,478196,620
3日 20:00 12,08715,552201,153
4日 20:00 12,25915,315202,652
5日 20:00 12,43115,153207,462
6日 20:00 12,55415,077208,319
7日 20:00 12,69014,736213,011
8日 20:00 12,78714,991217,500
9日 20:00 12,91514,921219,769


 この表と前報の(表1)とを合わせてわかることは以下のとおりである。死者数は増加傾向が継続する。行方不明者数は24日~29日をピークとするが、この6日間のピーク期間中でもかなり上下をする。これは、捜索活動が(行方不明の事実がはっきりしたことを含め)、2週間を経過して一つの転機に至ったことを意味しよう。4月10日、地震発生から1ヶ月たって死者数は遂に1万人を超して13,013人となった。
 避難者数は前報に述べたように地震後5日目の3月15日に極大になった。その後減少するが、3週間たってもなお15万人以上であることは、変化傾向とともに絶対数の把握が重要であることを特筆すべきであろう。そして避難所数は2,200ヵ所に及ぶ。ここでは避難所の維持活動における問題点にはふれないが、数が大きいことは、問題の多様性、深刻さ、課題・対応のむずかしさなどが強いと思われる。

死者・行方不明者の報告数の変化

 前報の連続エッセイ[32]に地震が発生した3月11日から3月25日までの2週間の日日変化の状態を述べた。今回は、その後のデータをつなげて4月8日までの死者数と行方不明者数のそれぞれの日日変化を(図1-A・B)にしめした。いずれも日別の報告数の変化率(人 / 時)でしめした。


(図1-A)東日本大震災による死者数(報告数)の変化率(人/時)の日日変化。

(図1-B)東日本大震災による行方不明者数(報告数)の変化率(人/時)の日日変化。

 死者の報告数は第5日の3月15日に極大に達し、約95人 / 時、すなわち、1日で約2,900人増加した。地震や土砂災害で破壊された家屋に閉じ込められた人の救命は、72時間(3日間、この報告でいう第4日)が一般的なリミットとされている。第5日の極大は今回のような大津波のときの状況とされよう。
 第6日の3月16日は、例えば救援態勢の立て直しなどで目立って少なくなったが、第7日にはまた死者報告数は大きくなった。以降、3月21日まで変化率は急激に減少する。その後、すなわち、死者数に関しては、地震発生日後の第11日以降の変化率は漸減で20人/ 時であった。3月28日以降は10人/時以下となった。
 次いで、行方不明者の報告数の変化率の日日変化率(図1-B)をみると、以下の特徴がわかる。
(1)平均的な傾向から毎日に値はかなり大きな振幅をともなって、変動する。
(2)第5日の3月15日の極大、415.5人/時は他の日の値より一桁大きく、注目すべき値である。
(3)第2の極大は4日後の3月19日、第3の極大は、さらにその4日後の3月23日に出た。
(4)第15日の3月25日になってマイナス、すなわち、行方不明者の報告数は減少に転じた。
(5)3日連続してマイナスがでたが、3月28日からプラスに転じた。行方不明者の報告数が増加したことは、捜索活動に一つの転機があったことを伺える。
(6)このプラスの極大はその前後がマイナスなため極めて明瞭であるが、第5日、第9日、第13日の極大値より小さい。
(7)3月30日以降はマイナス傾向が強く、プラスはわずか3日である。これは行方不明者が死者に廻ったためと考えられる。
 (図1-A)(図1-B)の折れ線から傾向線を引き、他の地震津波による災害の時と比較し、今後の大震災の場合、どのように救援・復興活動をすればよいか、研究しなければ、ならない。

今回の地震・津波の特徴

 今回の地震の種類は海溝型地震で、太平洋プレートが東北地方をのせた北米プレートの下に滑り込むことによって起きた。いわゆる逆断層形である。太平洋三陸沖、牡鹿半島の東南東約130kmの地点で、深さ約24kmを震源とした。マグ二チュード(M)9.0で、これまで想定されていた規模の約90倍の規模になったのは複数の震源が運動したためである。
 3月11日のこの大地震の直前、3月9日にも牡鹿半島の東約160kmの海域でM7.8の地震があった。また、今回の地震による津波は非常に大きく、上記の人的被害に加えて、数十年の記録にはないような大規模な被害をもたらした。1896年に起きた明治三陸大津波の2倍以上とされる。歴史時代を遡ると、地層中に見られる津波による堆積物を追跡した結果から、平安時代の869年に今回の津波に匹敵する大津波がとらえられている。貞観(じょうかん)地震とよばれ、M8.3で推定震源は今回と近かった。貞観津波では仙台平野や石巻平野では3km内陸まで津波が入ったことが復元されている。約1,000人の死者が出たという記録があるが、当時の人口密度を考えれば、その規模が推定できよう。
 今回の大震災は、日本にあまりに大きな被害をもたらしたので、われわれは外国に及んだ状況をよくは知らない。新聞などにもあまり報道されなかったが、ハワイ島、アメリカ西海岸では異常な津波を観測した。死者さえも出た。パプア・ニューギニアでも異常に大きな津波が沿岸を襲ったという。

インフラに及ぼした影響

 すでに予定の紙面を超過してしまった。インフラ・生活・今回初めておきた災害などは次回に廻したい。


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