温暖化と生きる
No.44
2011.09.14
吉野正敏
紀伊半島の大水害
2011年台風12号による大水害
今年は日本にやって来る台風が多い。春たけなわの5月28日から30日にかけて、台風2号が早くも沖縄から九州・四国・紀伊半島の太平洋岸に沿って進み、最大瞬間風速は60m/秒というような強い風に日本は見舞われた。また、1時間に60~70mmの強い雨が降った。例えば、5月28日鹿児島県の中之島で65.5mm/時、石垣島では64.0mm/時の強雨が降った。
連続エッセイ[43]でも、強い集中豪雨として少し触れた。東日本大震災の被害地でも大雨が続き、道路や田畑が冠水したり泥水に浸かったりした。がれきの撤去作業も中断せざるをえなかった。
その日本へ、台風12号が9月初め太平洋からほぼまっすぐに北上した。9月2日夜には、高知県の室戸岬の南方約130kmを15km/時のゆっくりした速度でNNW方向に進んでいた。紀伊半島南部の太平洋に面するSE向き山地斜面では、台風がはるか南方洋上にあるときから強い雨が降っていた。これはいつもの台風襲来時には見られる現象である。しかし、今回の場合は少し様子が異なっていた。すなわち
① 南方洋上からほぼまっすぐに北上する経路を取り日本に上陸した。
② 移動速度が15km/時という低速であった。
③ 台風が来る前から、紀伊半島の太平洋岸地方ではかなりの強雨・大雨が降っていた。
④ 台風の中心(眼)は四国東部を北上・横断し、岡山県に再上陸した。
⑤ この結果、台風自体の循環による豪雨が経路に近い地域で降った。
以上のような様子を今回は少し考えてみたい。
2011年台風12号による豪雨の実態
今回の台風12号では数々の記録的な値を観測した。(表1)は、その1部である。
(表1)2011年8月30日から9月6日までの記録的な降水量観測値* |
県 | 観測地点 | 観測値 (mm) | 観測日時 |
[1時間降水量] | |||
和歌山県 | 新宮 | 132.5 | 4日3時57分まで |
三重県 | 熊野新鹿 | 101.5 | 4日5時2分まで |
三重県 | 御浜 | 92.5 | 4日3時20分まで |
三重県 | 宮川 | 89.0 | 4日7時16分まで |
三重県 | 尾鷲 | 88.0 | 4日5時35分まで |
[24時間降水量] | |||
三重県 | 宮川 | 872.5 | 4日10時10分まで |
三重県 | 御浜 | 796.0 | 4日9時10分まで |
徳島県 | 福原旭 | 771.0 | 3日10時10分まで |
高知県 | 魚梁瀬 | 731.5 | 3日7時30分まで |
[8月30日17時から9月6日7時までの期間総降水量] | |||
奈良県 | 上北山 | 1808.5 | |
三重県 | 宮川 | 1620.5 | |
奈良県 | 風屋 | 1358.5 | |
和歌山県 | 西川 | 1152.5 | |
和歌山県 | 色川 | 1093.5 | |
(注) | *2011年9月6日11時現在の速報値、内閣府による。観測値には欠測している時間帯がある。 |
(表1)からわかることは、1時間降水量のように比較的短い時間に多量の雨が降ったのは南部三重県の海岸が主である。そして、それは4日の明け方までで、今回のイベントの早い期間であった。この傾向は24時間降水量にもあらわれている。三重県宮川は伊勢湾に流れ出る宮川の上流部で海岸ではないが、紀伊山地の東側で尾鷲も紀伊山地の南東側である点では、地形的な位置は共通している。
これらをまとめると、1時間降水量・日降水量などの比較的に短い時間の記録的な大降水量は、台風が遠く太平洋上にあったころ、紀伊山地の東半の南~東向き斜面下部で観測した。一方、数日間の合計降水量の記録的な値は、今回、台風経路の東側で、紀伊山地の西半の山地、すなわち奈良県・和歌山県の山岳部で観測した。
紀伊山地の地形との関係
そこで、紀伊半島南部、すなわち紀伊山地の地形との関係で上記の観測結果を考察してみよう。(図1)は紀伊山地とその周辺の観測地点などを示す見取り図である。地点名などはこの図を参照していただきたい。
(図1)2011年台風12号による記録的豪雨・大雨・人的被害・住家被害が発生した紀伊山地と周辺の河川・地点名の見取り図。
さて、紀伊山地の東半分と西半分では、今回は台風経路との位置関係の差もあるが、山地の地形の特徴にも差がある。すなわち、東半分は大台ヶ原山(1695m)を最高に1300~1400mの山々が海岸近くにまで迫っている。一方、西半は奈良県・和歌山県境でも1100~1200mで全般には1000m以下の山地が広い。台風時、もし、最も多く雨滴を生成する雲帯の高度が約1000mであったとすれば、その高度の山地の面積は紀伊山地の西半の方が広い。流域ごとの流出量は多くなる。これは、シミュレーションによる今後の研究課題である。
今回の豪雨・大雨について、テレビなどの解説で山と気流の横断面で説明していたが、山地の高さのおおよその値(雨滴生成高度との関係で)、断面形(風上側・風下側の山麓山地の高度・広さは総降水量に関係し、上述のように総流出量に関係する)をもう少し正確に書かないとかえって誤解を生じる。少なくも、三重県の御浜・尾鷲・宮川などの場合と、和歌山県の山地の観測地点の場合と、大台ヶ原山地の風下側の奈良県山地の場合との特徴の差をよく捉え、解明し、よりよい解説を望みたい。
人的・住家被害・堰き止め湖発生
人的被害・住家被害について触れておきたい。(表2)は三重県・和歌山県・奈良県の人的被害と住家被害の状況である。
(表2)2011年台風12号による紀伊半島南部の3県の人的被害・住家被害.。2011年9月5日現在。(内閣府の資料による) |
県 | 人的被害(人) | 住家被害(棟) | 非住家(棟) | |||||
死者 | 行方不明者 | 負傷者 | 全・半壊 | 一部破損 | 床上浸水 | 床下浸水 | 被害 | |
三重県 | 2 | 0 | 14 | 9 | 17 | 12 | 18 | 2 |
奈良県 | 4 | 20 | 4 | 14 | 5 | 86 | 11 | 0 |
和歌山県 | 22 | 34 | 6 | 66 | 21 | 487 | 470 | 65 |
この表から明らかなことは、三重県では人的被害がきわだって少ないことである。これはこの地域が今回のような豪雨災害が頻々と発生しているためではなかろうか。それにたいし、和歌山県で人的被害が大きい値を示すのは、今回のような災害になれておらず、避難対策などが十分でなかったためと思われる。ただし、(表1)の三重県は北部三重県も含んでおり、いま対象としている南部三重県と和歌山県を比較するにしても総人口・対象面積も考慮しないと正確な比較はできないであろう。ここでは大まかな傾向を指摘するにとどめる。それにしても、床上浸水・床下浸水の被害は注目しなければならない。
1889年の十津川水害では死者168人、約2500人が北海道に移住した。和歌山県では死者1247人に達した。山地斜面の崩壊による土石流・流木・被災集落からのがれきなどによって堰き止め湖ができた。(図1)にはその地名をいくつか記入したが、この他にもあり、大きな問題を発生させた。詳しくはいずれ機会をみて紹介したい。
のろのろ台風の原因は何か
台風12号が北上する移動速度が遅かったことが上記の被害をもたらした原因である。のろのろとした移動速度の理由を、テレビ・新聞・ラジオなどは以下のように解説した。
① 日本を覆う緯度に高気圧(北太平洋高気圧)が居座り、台風の行く先を阻んだ。
② 本州近くまで北上してきて、紀伊水道付近の経度にやっと東西に延びる高気圧の浅い切れ目ができていたので、そこを北上した。特に東側の高気圧の縁を廻って南西の高温多湿の空気をこの地域にもたらした。
③ 平年ならば北緯40~50度の上層には強い偏西風が吹いているので、普通はそれにのって東に流され、本州から離れてゆく。しかし、今年はその偏西風が弱く、本州付近からなかなか離れなかった。
上記の理由は正しい。ところが、上記の理由について、私は次の質問をさらにしたい。
質問①:では、どうして高気圧がそのように発達したのですか。たまたまなのですか。
質問②:では、偏西風はどうして弱かったのですか。
この質問に十分な根拠で答えられないところが現在の気候学・気象学の泣きどころである。私は秘かに地球温暖化のためと思っている。熱帯北太平洋の温暖化により子午面循環が強化し、熱帯では上昇気流、中緯度では下降気流が発達する。つまり中緯度の高気圧帯が発達する。高層(500hPaより上層)では温暖化のため西風ジェットが発達するバロクリニックな位置が高緯度にずれる。すなわち日本付近の緯度の偏西風は弱くなる。これらが立証されるのが、そう先ではないことを期待している。