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お天気豆知識

お天気雑談の記事一覧

No.84

2008.1 Categories

2007年の紅葉


(写真1)花の付き方が
木によってまちまちなハナミズキ

 今年(2007年)の春、東京や横浜のケヤキの芽の出かたや桜の花の咲き方が、いつもの年と違って何か変だというようなことを書きました。そうしたら、5月ごろにハナミズキの咲き方も変だという声が聞こえてきました。(写真1)は横浜市北部のハナミズキの並木で、花を咲かせている木とそうでない木が並んでいました。今まではどの木も一斉に花を咲かせていたと思いました。
 今年の夏はやたらと暑かったですね。でも、季節が進むと木々は一斉に色づき始めました。今年の紅葉はいつになくきれいだったと思いませんでしたか。特に去年と比べると鮮やかさがかくべつのように思えます。私の記憶では、ケヤキはたいてい茶色くなって落ちてしまっていたように思いましたが、今年のように鮮やかな黄色になるのを始めて見たような気がします。12月6日の毎日新聞朝刊の1面には、ヘリコプターから撮影された赤や黄色に色づいた神宮の森の空中写真が「色づく都心」のタイトルで載っていました。やはり都心でも今年の紅葉は特別だったのでしょう。


(写真2)雑木林の紅葉

(写真3)赤く色づいた蔦

 私の職場は横浜市北部にあり、周りは雑木林や自然の木々を生かした散策路や公園もあります。そこにある木々が見事な彩でしたので幾つかお見せします。(写真2)は小高い丘を包む雑木林の中です。このように色鮮やかな黄色になったのは初めてでした。(写真3)はその雑木林にある木に寄生している蔦で、葉が赤く色づいて寄生している木のこげ茶色の肌とみごとなコントラストをなしています。


(写真4)赤く色づいた公園の桜

 今年の春先に咲き方がいつもと違うと思った桜が(写真4)です。見事な赤い色を出していました。散策路や公園にはドウダンツツジが植えられていて、どれも見事な赤になっていました。日当たりが良くないところのドウダンツツジは、きれいな黄色になっていました。


(写真5)紅葉したドウダンツツジ

(写真6)赤や黄色に色づいた草

(写真5)はある社の研究所の入り口の植え込みです。今年はきれいな赤に色づき、常緑樹のヤマモモや針葉樹のゴールドクレストの緑とのコントラストがいつになく美しかったです。周辺には幼稚園や住宅地もあるので、住民の方々や通園の人たちの目を楽しませていたと思います。さらに驚いたのは、空き地の草が赤や黄色に色づいたことです(写真6)。

 京都の寺社にはモミジが多く植えられていて、毎年鮮やかな紅葉が見られ、秋になると京阪の各駅には各地の紅葉の見ごろ情報が掲示されています。モミジはすべて色づいてからも綺麗ですし、時期によっては緑から黄色、赤とグラデーションを見せます。なぜあのように透きとおるような鮮やかな色になるのかと思って見ていました。でも、その年の気候により鮮やかさに違いがありました。1999年に京都の龍谷大学の先生(女性)が、ある講演で紅葉の鮮やかさと気象の関係に関心を持っておられることを話していました。色合いを数値化でき、気象との関係をうまく結びつけられればすばらしいなと思いつつきていたことを思い出します。
 今年(2007年)の天候を振り返ってみると、暖冬で少ない雪、熊谷や多治見で日最高気温の記録を更新する夏の酷暑、北日本では11月の大雪がありました。夏が終わってから秋らしい服を楽しむまもなく、急に寒くなったのであわてて冬物を引っ張り出しました。急な寒さには、木々もびっくりして色づいたのかもしれません。アメリカのゴア元副大統領が、地球温暖化防止を訴えて2007年のノーベル平和賞を受賞しましたし、インドネシアのバリ島では新しい地球温暖化防止条約が検討されています。また、地球温暖化は進行中という見解が一般的になっています。鮮やかに色づく木々を見ることができるのはうれしいのですが、木々や草が人間に何かを言おうとしているのかなとも考えてしまいます。

No.83

2007.12 Categories

2007年の暑かった夏

 今年(2007年)の梅雨明けは各地とも平年より遅く、関東でも平年より10日以上遅い8月1日になりました。梅雨が明けてからは、最高気温が30℃を超える日が続き、35℃を超える日もあって、いつになく暑い夏のように感じました。これまでのいろいろな本や資料を見ると、日本の気温の最高値は1933年7月25日に山形県山形市で観測された40.8℃となっています。しかし、今年の8月16日には埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市でこの記録を塗り替える40.9℃が観測されました。(表1)には最高気温の観測史上の順位を載せていますが、今年は8月16日に観測史上の第6位となる40.4℃が埼玉県越谷市で観測され、第8位となる40.3℃が群馬県館林市で観測されています。16日がいかに暑かったかがわかります。

(表1)最高気温の観測史上の順位
順位都道府県観測所観測値
起日
1埼玉県熊谷 ∗40.92007年8月16日
1岐阜県多治見40.92007年8月16日
3山形県山形 ∗40.81933年7月25日
4和歌山県かつらぎ40.61994年8月8日
4静岡県天竜40.61994年8月4日
6埼玉県越谷40.42007年8月16日
6山梨県甲府 ∗40.42004年7月21日
8群馬県館林40.32007年8月16日
8群馬県上里見40.31998年7月4日
8愛知県愛西40.31994年8月5日
は気象台の観測値、それ以外はアメダスの観測値 

(図1)1933年7月25日の地上天気図 ※各図クリックで拡大

 (図1)は山形で40.8℃が観測された1933年7月25日の午前6時と午後6時の地上天気図です。当時の気圧は水銀柱の高さ(㎜Hg)であらわされています。天気図の右端に実線の脇に764とか762という数字があります。実線が等圧線で、その数字が気圧です。午前6時には台風が日本海西部にあり、午後6時には北海道南部の日本海側に台風があります。25日の日中に台風が日本海を通過し、日本の南海上に中心を持つ太平洋高気圧に緩やかに覆われています。

 (図2)は今年の8月16日9時の地上天気図です。左の地上天気図を見ると、中国地方西部に中心を持つ高気圧と、関東のはるか南南東海上に中心を持つ高気圧があります。次に(図2)右の500hPa天気図を見てください。実線は等高度線ですが、地上天気図の等圧線のように考えてください。山陰西部に“H”の記号は高気圧を意味しています。また、”5940“という数字が付いた閉じた実線がありますが、500hPaの気圧となる高さが5,940mという意味です。等高度線の間隔が広く、日本付近は高気圧に覆われています。図で示していませんが、これよりも高いところの300hPa(約9,600m)の天気図でも日本付近は高気圧となっています。つまり、圏界面付近まで高気圧となっていて、日本付近は背が高い太平洋高気圧に覆われていました。このように、圏界面近くまで高気圧となっているのが太平洋高気圧の特徴です。500hPa高度で太平洋高気圧の中心付近が5,940mになるのは、高気圧の勢力が強いことを意味しています。普通、太平洋高気圧の中心は日本の南海上にあるのですが、今年はなぜか日本の真上に来ていました。


地上天気図

500hPa天気図

(図2)2007年8月16日9時の天気図 (左:地上天気図、右:500hPa天気図)

(表2)1933年7月24日~26日の山形の最高気温と最低気温
地点日 付7月24日7月25日7月26日
山形最高気温(℃)36.740.831.8
最低気温(℃)23.322.322.5
(表3)2007年8月15日~17日の熊谷と多治見の最高気温と最低気温
地点日 付8月15日8月16日8月17日
熊谷最高気温(℃)39.440.938.4
最低気温(℃)26.128.825.0
多治見最高気温(℃)38.840.940.8
最低気温(℃)24.726.026.5

 1933年に山形で最高気温が観測された日の、中央気象台観測原簿をみると、山形では日中の湿度が30%台で、風速は1から2m/sでした。今年の場合、熊谷では日中の湿度は30%台でしたが、風は3から5m/sでした。多治見で湿度は観測されていないのでわかりませんが、風は山形の場合と同じ1から2m/sでした。(表2)の最低気温を見ると、山形が40.8℃を記録した前後の日は寝苦しい夜の目安になるかどうかの25℃以下になっています。しかし、(表3)のように熊谷も多治見も今年の8月16日の前後の日の最低気温は25℃近くか25℃以上になっています。しかも多治見では、翌日の最高気温も今までの日本記録と同じ40.8℃でした。もちろん、熊谷や多治見だけでなく周辺各地の最高気温も40℃を超えていました。日中のつらさは、どちらの場合も同じだったと思いますが、夜のことを考えると今年の方がきつかったでしょう。

 私も、三陸で生活をしていたときに、最高気温が37℃となった日に、冷房のない部屋で仕事をしたことがありますが、机が熱くて触ることができませんでした。でも夜は気温が下がり、ひんやりとして助かりました。最近の夏、東京や横浜など都市部では気温が25℃以上の日が多いですね。私が若いころの昭和50年代、世田谷に住んでいて通勤には小田急線を使っており、夜帰宅するおり新宿を出たころは熱い空気が窓から入ってきましたが、参宮橋を過ぎるとひんやりした空気が入ってきたのを覚えています。(図3)には東京住宅地である、府中のアメダスの最高気温と最低気温の記録で、今年の8月と1978年(昭和53年)の記録です。どちらも8月の最高気温の平均値は33℃で、最高気温は30℃以上の日はほぼ同数ですが、最低気温が25℃以下の日は、1978年の場合ほぼ毎日です。最近は、住宅地でも寝苦しいというか暮らしにくい日が多くなっているように思われます。



(図3)東京都府中市の8月の最高気温と最低気温

 天気図や気温データは気象庁提供のものを使用しました。

No.78

2007.7 Categoriesその他

富士山の雪と上空の寒気

 冬の間、横浜から富士山が見える日は多いのですが、3月下旬頃から見える日が少なくなってきます。8月末から9月にかけて富士山が横浜から見えると、夏も終わりで秋が来るなと思っていました。まして、6月は曇や雨の日が多く、横浜から富士山がきれいな青空のもとで見えるなんて考えもしませんでした。(写真1)は今年(2007年)6月15日の朝、横浜市都筑区で撮影したに富士山の写真です。この時期、横浜から富士山が青空のもとできれいに見えるのも珍しく、富士山にこれだけ雪が残っているのも珍しいのではないかと思い撮影しました。もっとも、今年は冬の間も富士山が見える日は少なく、見えても(写真2)のように山頂付近に地肌が見えていて、雪はいつもの年よりも少ないなと思っていました。また、富士山の前に見えている、丹沢にも雪がありませんでした。


(写真1)2007年6月15日の朝の富士山(横浜
市都筑区)

(写真2)2007年2月11日の朝の富士山(横浜市
都筑区)

 ところで、今年の冬(12月から2月)と春(3月から5月)、関東甲信地方の気温は平年より高かったと気象庁は発表しています。(図1)は東京、(図2)は静岡県富士の昨年12月から今年6月中旬までの日平均気温とその平年値のグラフです。入手先は気象庁ホームページです。このグラフを見ると、確かにどちらも平年よりも気温の高い日が多くなっていて、3月から寒暖の差が大きくなっています。


(図1)東京の日平均気温(2006年12月~2007年6月中旬)

(図2)富士(静岡県)日平均気温(2006年12月~2007年6月中旬)

(図3)は同じ時期の富士山頂の日平均気温のグラフです。冬の間は平年よりも気温が高い日が多かったですが、3月からは平年値よりも低い日が多くなっています。


(図3)富士山頂の日平均気温(2006年12月~(2006年12月~6月中旬)6月中旬)

 これはどういうことかというと、今年の春は我々が生活している地上では気温の高い日が多かったのですが、春から関東甲信地方の4,000m近い上空は冷たい空気がよく入ってきたことを表しています。4月から入梅までの天気を思い出して見ると、毎日の気温の差が大きかったですね。毎日何を着たらいいのか迷ってしまいました。私も5月の連休の後、鼻風邪をひきましたが、まわりでも風邪気味の人も多かったように思います。
 また、5月から入梅までは雷の日がやたらにありました。特に6月9日、10日は各地で激しい雷雨となり、10日には千葉県北西部で浸水騒ぎも起きましたし、千葉県の富津沖で発生した竜巻の映像がテレビで放映されていました。(図4)は6月10日の地上天気図です。関西方面に気圧の谷がありますが、はっきりした低気圧はありません。しかし、同じ日の高度約5,000m(500hPa)の天気図(図5)を見ると、関西の上空に低気圧があって、氷点下15℃より少し低い寒気を伴っています。館野(茨城県つくば市)の気温も氷点下15℃近くになっています。富士山の気温からもわかるように、上空に強い寒気が入り込んだからです。


(図4)2007年6月10日9時の地上天気図

(図5)2007年6月10日9時の500hPa天気図
(赤い矢印で指した数字は館野の気温)

 このように、富士山頂の気温が6月上旬でも氷点下では、そこに空から降ってくるものは雪になってしまい、(写真1)のようにこの時期に富士山に雪が残っているのもうなずけます。比較する写真はありませんし、写真から積雪の深さはわかりません。また、富士山頂の積雪量の平年値で山頂から雪が消えるのは7月下旬なので、6月中旬に雪があってもおかしくないですが、(写真1)のように6月中旬で富士山がこれだけ白いのは珍しいと思いました。現在、富士山頂で人が気象観測を行っていないため、この日の雪の深さはわかりません。雪の深さの観測データが途切れてしまったのが少々残念です。

No.76

2007.5 Categoriesその他

何か変だよ2007年冬から春へ

 今年の冬はやたらと暖かい日が多かったですね。昨年の冬と比べると大違いでした。私は横浜市北部の青葉区に住んでいて、勤務先も横浜市北部の都筑区にあります。昨年は住んでいるところや会社の周りで、ほぼ毎朝霜柱が見られましたが、今年はほとんど見ることがありませんでした。気象庁の発表によると、今年の冬(2006年12月から2007年2月)は全国的に気温が高く、各地域の平均気温が統計のある1947年以降、東日本や西日本では最高値となりました。3月は日々の変動こそ大きかったですが、月平均気温で見ると全国的に高くなっています。
 2006年12月から2007年3月の東京の最高気温と最低気温を図にしてみました(図1上)。寒かった昨年冬から早春(2005年12月から2006年3月)についても図にしました(図1下)ので見比べてください。昨年は、最高気温、最低気温とも平均気温よりも低い日がたくさんありますが、今年はほとんどの日で平年値よりも高くなっていることがわかります。


(図1)冬から早春の気温(上:2007年、下:2006年)

 今年の冬は日本付近を低気圧が発達しながら通過し、大雨が降っています。年末の26日から27日にかけて台風並みに発達した低気圧が太平洋沿岸を通過して太平洋側を中心に大雨となりました。三陸沿岸では低気圧の中心が近くを通過したので特に強い雨が降り、岩手県の釜石や譜代ではそれぞれ1時間に66㎜、63㎜と季節はずれの強い雨が降り、総雨量が200㎜を越え、浸水被害も出ています。東京でも27日に154.5㎜の雨が降り12月の降水量の最大値を更新しました。東京の12月の雨量の平年値が39.6㎜ですから、いかにすごい雨だったかがわかります。正月が終わった6日にも太平洋沿岸を低気圧が発達しながら通過し、またもや三陸沿岸では100㎜前後の大雨となりました。
 低気圧の通過により強い南よりの風も吹いています。2月14日には日本海側を低気圧が通過して太平洋側で強い南よりの風が吹き、東京で春一番が吹いたと気象庁が発表しました。しかし、この低気圧は少々発達しすぎで各地に突風被害が出ました。日本海を発達した低気圧が通過したのは3月5日にもあり、太平洋側を中心にやはり強い風が吹きました。我が家のベランダのプランターでは、暖冬の影響でいつもより速く咲いた日本桜草が、この強風で根元から折れてしまいました。
 3月の平均気温も例年より高いといっても、中旬に真冬並みの強い寒気が訪れ、東京では気象庁のある大手町でやっと雪を観測することができ、東京の初雪としては、観測史上最も遅い初雪となりました。それまでが暖かかったので、あまりの寒さに震えてしまった人も多いでしょう。
 例年と違った冬が植物にも影響を与えたように思えます。今年の桜の開花の観測は東京が最初で、3月20日に気象庁が東京で桜が咲いたと発表しました。でも今年の桜の咲き方は何か変だと思いませんか。この日、私が住んでいる地域でも桜がちらほら咲き始めましたが、1本だけはすでに満開に近くなっていました。(写真1)は、3月末に撮影した私の勤務先の近くにある公園の様子です。池の周りには沢山の桜があり、沢山の人がお花見に来ます。写真中央のやや右よりですが、ある木の一部の枝だけ桜が咲いています(矢印)。比較できる写真はありませんが、私の記憶では、枝の一部だけ咲いたり、同じ地域で一本の木だけ咲いたりするようなことは今までになかったように思います。(写真2)は4月上旬に撮影した同じ公園です。満開の桜の中、その木はすでに散り終わっています(矢印)。


(写真1)部分的に咲き出した桜
(2007年3月27日横浜市都筑区)

(写真2)散り始めた桜。矢印で示した木は散っ
てしまった。
(2007年4月5日、横浜市都筑区)

 桜だけでなく、ケヤキの芽吹きにも今年はいつもと違っていました。ケヤキもいっせいに芽を出していたように思いましたが、今年はケヤキ並木で芽吹く時期が木によって違っていました。(写真3)は私が住んでいるところにあるケヤキですが、一部の枝だけ芽が出ています。


(写真3)部分的に芽吹いたケヤキ
(2007年4月8日横浜市青葉区)

 色々な花の咲く時期もいつもと違いました。「群馬県館林市の館林野鳥の森フラワーガーデンでは、桜の開花が遅れたので、桜と芝桜が競うように咲いている」という記事が4月7日の毎日新聞朝刊に写真入で載っていました。今年の植物の様子は何か変です。今までとあまりに違った気象の変化に植物たちも戸惑ったのかもしれませんね。

No.73

2007.2 Categories

レイク・エフェクトの雪

 あるところに大きな湖がありました。冬の寒い日、寒冷前線が通過したけれど大きな湖がある地域は大雪になりませんでした。しかし、寒冷前線の通過後、北ないし西よりの風が強くなりました。風は大陸の奥地の北の方から流れてきた空気なので、とても冷たくて乾いていました。やがてその空気は大きな湖の上を流れ始めました。冬なので湖の水は冷たかったのですが、空気よりも温度が高かったので湖から蒸発が起こり、霧が発生しました。空気は湖水で温められたので上昇気流も起こり、霧は雲になり湖の上を流されていきました。蒸発はまだまだ続きます。湖から水蒸気の補給された雲は流されながら高さを増し、やがて雪が降り始めました(図1)。雲の背の高さは3,000mにもなって、対岸に上陸して強い雪を降らせました。雪は数日続くこともあり、1時間で30cmも積もったり、1日で70cm以上積もることもありました。


(図1)湖の影響で降る雪

 これはどこのことだと思いますか。アメリカの話です。北アメリカ大陸のカナダとアメリカの国境に五大湖がありますね。そう、ナイアガラ滝があるところです。


(図2)湖の影響で雪が降る地域

 冬、ここに大陸の北西方向から冷たく乾燥した空気が流れ込んできます。すると、空気よりも温度が高い湖から蒸発が起こり、下層は湖で温められるので上空との温度差が大きくなって不安定となり、雲が発達して雪を降らせます。この雲が上陸すると、低気圧や前線がなくても、(図2)の青く塗られた湖の東側では強い雪が降ります。これがレイク・エフェクトの雪(Lake-Effect Snow)と言われるもので、雪が降りやすい季節は11月から翌年の1月の間です。
 (図1)をもう一度見てください。湖が日本海に変わり、風下側に高い山があれば、日本と同じですね。冬、日本海側で降る雪もこれと原理は同じです。しかし、日本列島沿いには暖流の対馬海流が流れているので、その上を空気が流れると下層と上層の温度差が大きくなります。また、山で上昇気流が強められます。このため、大気の安定度が悪くなります。雲の背の高さは5,000mに達することもあり、雷が鳴ったり、海上では竜巻が発生することもあります。レイク・エフェクトの雪について書かれたものを幾つか調べて見ましたが、雪が降るときに雷が鳴ったり、竜巻が起こるというようなことは書いてありませんでした。アメリカの中央平原のトルネード(竜巻)は有名ですが、発生が多いのは春です。ちなみに、日本海側の雷の発生は、夏よりも冬の方が多くなっています。
 レイク・エフェクトの雪や日本海側の雪ほど強いものではありませんが、冬型の気圧配置で、西よりの風が吹きやすいとき、大阪市街地で雪が降っても、大阪府北部の枚方(ひらかた)市や京都市では雪が降らないことがあります。これは瀬戸内海の上を流れた乾燥した冷たい空気が、瀬戸内海から水蒸気と熱の補給を受けて雲が発生し、大阪市街地に雪を降らせます。しかし、枚方市や京都市には、陸地の上を通った空気が流れ込みます。陸上を流れた空気は水蒸気の補給を受けられないので、雪が降りません。

No.67

2006.8 Categories

夏のベタベタ

 夏、太平洋側の各地ではじっとしていても汗が出てきて体がベトベトしていますね。これは太平洋高気圧に覆われて湿度の高い空気に包まれているからです。湿度は相対湿度のことで、空気が含むことのできる水蒸気の量(飽和水蒸気圧)に対する空気が含んでいる水蒸気の量(水蒸気圧)との比です。 ふつう、パーセントで表します。湿度が高いということは、飽和水蒸気量と空気が含んでいる水蒸気量の差が小さく、空気に水蒸気を受け入れる余裕が少なくなっています。体は気温が高いと汗を出し、水が蒸発するときに熱を体から奪うことを利用して体温を下げ、体温を一定に保とうとします。しかし、湿度が高いと汗が蒸発しにくくなって水が体の表面に残ってベタベタし、不快感が増します。
 受け入れる側の空気中の余裕ですが、気温が低くなると飽和水蒸気量も小さくなり、同じ湿度の場合、低い気温では受け入れられる水分の量も小さくなります。しかし、梅雨や夏以外に雨が降って湿度が高くても体がベトベトしないのは、気温が低いので体が体温を下げようとする要求がなく、汗を出さないためです。逆に、気温が低くなるとトイレの回数が多くなることを経験されたと思いますが、これは体の中の水分が汗となって出ないからです。
 冬から春へと季節が進み日中の気温も高くなり、5月には東京でも日中の気温が30℃を超える日がありますが、不快感はなく日陰に入るとひんやりします。これは空気に含まれている水蒸気量と飽和水蒸気量の差が大きいから、つまり乾燥しているからです。その一例として、2004年5月11日の気温と湿度を見てみましょう。この日は(図1)、前日に日本海を通過した低気圧に向かって吹き込んだ暖気が残っていて、山越え気流となって関東地方に吹き込みました。このため、東京は晴天となり最高気温が30℃を超え、日中の湿度は30%~40%と乾燥していました(図2)。その日の私の日記を見てみると、横浜市都筑区のことですが、「朝から気温が高く、日中も暑かったが空気が乾燥しているので、過ごしやすかった。」と書いてありました。


(図1)2004年5月11日地上天気図

(図2)東京の気温と湿度(2004年5月11日)

 夏に太平洋高気圧に南から覆われるような日は、太平洋側ではベタベタしますが、信州や日本海側ではわりとさらっとしています。これも湿度に差があるからです。 一例として、昨年(2005年)8月20日の東京と松本の気温と湿度を比べてみましょう。 天気図(図3)を見ると、関東の南東海上に太平洋高気圧の中心があり、気圧の峰が日本の南海上にあって、太平洋高気圧に南から覆われています。その日の松本と東京の気温と湿度のグラフ(図4)をみると、どちらも日中の気温は30℃を越えていますが、東京の日中の湿度は50~60%ですが、松本の湿度は40~50%と約10%低くなっています。


(図3)2005年8月20日地上天気図

(図4)東京と松本の気温と湿度(2005年8月20日)

 電車に冷房のなかった昔、涼しさは電車の天井にある扇風機と窓からの風が頼りでした。夏に信州を旅行していて碓氷峠を越えて関東に入ったとたん、むっとした空気が入ってきて急に体がべたついた感じがしました。これも湿度に違いがあるからです。
 快適さにはほどよい風も関係しています。風がないと皮膚の周りの空気が飽和(湿度100%)になってしまい、汗が蒸発できません。しかし、風があると水分を含む余裕のある空気が皮膚の周りに来るので、汗が蒸発でき体温が下がります。私が子供の頃、夏に家族で知人宅に行くと、その家の奥さん、あるいはおばあさんがゆっくりした手の動きで団扇で風を送ってくれていましたが、とても心地よい風でした。やはり子供の頃の経験ですが、銭湯に行くと、脱衣場の天井に大きな羽を持った扇風機があって、ゆっくりとした回転で空気をかき混ぜていました。その風は強いものではなく、特に夏の風呂上りの体にはとても心地よいものでした。

No.66

2006.7 Categories

祇園祭


(写真2)組み立て中の函谷鉾

 祇園祭の中で有名なのは、毎年7月17日に行われる山鉾の巡行ですね。長刀鉾を先頭に32機の山や鉾が京都市街の中心部を巡行します。四条河原町や河原町御池の交差点では方向転換に道路に竹を敷いて行われ、これは最大の見せ場ともいえ、さまざまな観光案内書に紹介されています。
 祇園祭は八坂神社の大祭で、7月いっぱいさまざまな行事が行われることを、大阪に住んで初めて知りました。7月に入ると、京都市議会の議場で巡行の順番を決めるくじ取りが行われたとか、巡行の先頭の長刀鉾の正面に乗り、注連縄を切る稚児が誰になったという記事が新聞に載ったり、テレビやラジオのニュースで紹介されます。


(写真1)職人さんが組み立て中の鉾や山

 山や鉾は各町内の倉庫に保管されていて、10日から各辻々では鉾立が始まります。山や鉾それぞれの倉庫から各パーツが出されて職人さんにより組み立てられます。 釘は使われず組み上げた山や鉾の要所要所はくさびや、荒縄を巻き付けて固定されます(写真1)。驚いたのは、巻き付けられた荒縄の幾何学模様の美しさでした(写真2)。組あがるとタペストリーで隠れて目には触れませんが、とにかく見事な物です。


(写真3)役行者山の御神体

(写真4)鯉山の見送り(背面)の一部(重要文化財)
図柄は紀元前1200年頃のトロイ戦争を題
材としたギリシャ詩人ホメロスの叙事詩
「イーリアス」中の重要な場面。もとは1
枚の織物として作られたが、大小9枚に分
断されそれぞれが鯉山の飾りとなってい
る。16世紀中期に現在のベルギー、ブル
ッセルで製作され、17世紀に支倉常長が
ローマ法王パウロ5世から伊達政宗への贈
り物として持ち帰った5枚のタペストリー
の1枚。(財団法人鯉山保存会のパンフレットの概略)

 鉾や山はそれぞれご神体(写真3)であり、巡行前日16日の宵山ではそのご神体を間近で見ることができます。山や鉾を飾るタペストリーは江戸時代あるいはそれ以前に輸入された物もあり、まさに一級の美術品といえるでしょう。それをうまく取り入れた京都の人々には感心します。また、山や鉾の周辺の各辻では、それぞれの家で家宝ともいえる屏風や絵画等を玄関や窓辺に置き生け花を添えたりなどして道行く人に見せ、町全体がまさに美術館です。山や鉾の所では、子供たちが独特の節回しで粽などを売っています。昔は宵山だけだったそうですが、近年は15日が宵々山、14日が宵々々山といい、やはり町中が美術館となります。
 山鉾巡行を見に行ったことがありませんが、宵々々山、宵々山、宵山のどれかには毎年行っていました。日中は比較的すいてゆっくりと見ることができます。日が傾くと、鉾の名をしるした高張提灯に火が入り、囃子方による祇園囃子が奏でられ、情緒ある雰囲気となります。そのかわり人出は多くなり、四条烏丸一帯は車両通行止めで、人の動きも規制されて一方通行となり、身動きができなくなるくらいの混雑です。これらが、週末と重なると更に人出が多くなります。
 この時期は梅雨末期で湿度も高く、真夏以上の蒸し暑さを感じます。おまけにすごい人出ですから汗びっしょり。我が家では、基本的に真夏といえどもクーラーを使うのは夜寝るときだけです。なぜか、毎年クーラーの使いはじめが、祇園祭から帰った日の夜からでした。
 初めて宵山行ったときのことですが、「この蒸し暑い中で粽を売って腐らないのかな」と心配になり、危うく聞くところでした。しかし、この粽は厄除けのお守りで、その界隈の商店の奥をのぞくと粽が祭られていて、毎年取り替えられます。

No.63

2006.4 Categoriesその他

影のいろいろ

 子供の頃の遊びの一つに、「かげふみ」がありました。ジャンケンでオニを一人決め、オニに影を踏まれたらオニの交代。ときにはしゃがんで影を短くして踏まれにくくし、わいわい、キャーキャーと走り回っていました。幼児だと自分の影を追っかけたり、自分の影に追いかけられて、怖がったりするようすも見かけます。
 当たり前のことですが、影の長さは太陽の高さにより違います。一日のうちでも、お昼ごろは影の長さが短く、朝や夕方は影の長さが長くなります。季節によっても影の長さは違い、例えばお昼ごろ影の長さを夏至と冬至で比べてみると、夏至の方が影の長さは短くなります。これらは、太陽の通過する高度が、夏のほうが冬よりも高くなっているからです。
 季節による太陽高度の違いは、こんなことにも現れます。家の構造にもよりますが、南向きの部屋では、冬は部屋の中まで陽がさして暖かですが、夏は陽が入らず助かります。自然はうまく出来たものです。我が家でも(横浜市)冬至の前後2ヶ月ぐらいは、部屋に差し込む陽の光のおかげで日中は暖房要らずの暖かさです。しかし、3月になると晴れた日でも陽の光が部屋に入らず、寒くて日中も暖房を使っています。
 話が影のことからそれてしまいましたので元に戻しましょう。影というと地面に出来るものがまず頭に浮かぶと思います。しかし、影は空や、雲の上にもできます。
 (写真1)は夕暮れ時に横浜市から西方向の丹沢と富士山を撮った写真です。


(写真1)富士山が空に作った影

 富士山から左方向(北方向)に向かって何か出ているように見えませんか。近くで遊んでいる子供たちも気がつき、「富士山から何か出ている。」と言っていました。これは、日没の直前に富士山の影が空に出来たものです。富士山の影が空に出来るためには気象条件も必要です。日没ごろ、富士山と太陽の間に雲があれば出来ないのはもちろんのこと、富士山が見えなければなりません。(写真1)を良く見ると、空の下のほうが煙っています。空の下の方に塵のようなものが漂っていて、富士山の影はこの塵に映っています。


(写真2)飛行機雲が巻層雲に作った影

 雲の影が雲に出来ることがあります。(写真2)がその一つです。
太陽から離れたところに虹のようなものがありますが、これは暈(かさ)といいます。暈があることから、空全体をおおっている雲は巻層雲です。巻層雲を作っている氷の結晶がプリズムの働きをして暈ができていて、太陽と暈の視角は22度です。この日は暈が完全な円形でした。(写真2)を良く見ると飛行機雲があり、その少し下に薄暗い筋が見えます。この薄暗い筋は巻層雲の上にできた飛行機雲の影です。この飛行機雲を作った飛行機は、巻層雲よりも高いところを飛んだのでしょう。このため飛行機雲の影が巻層雲の上にできました。

No.60

2006.1 Categories

冬の突風

 2005年12月25日の夜、トリノオリンピックの日本代表選考がかかった、女子フィギュアスケートフリーの演技の番組を見ている最中に、テロップで「午後7時15分頃、山形県庄内町余目付近の羽越線で特急が脱線転覆して、けが人が出ているもよう」と出ました。この番組が終わってからNHKに変えると、すでに現場からの中継で、風がえらく強いようでした。現場中継のアナウンサーだと思いましたが「運転手が、『鉄橋を渡ってから進行方向右側から雪を伴った強い風を受けた』と言っている。」というのを聞いたのかもしれません。すぐに気象庁のホームページのレーダー画面を見ました。事故発生前後の画像を見たところ、事故が発生した頃強い降水域(降水とは雨や雪のことを言います)が通過していました。防災情報センターのレーダー画像ならば、もう少し詳細な画像が見られるのでそれも見ました。


(図1)2005年12月25日18時50分から19時30分のレーダー画像
(気象庁提供のデータを使用)

(図1)は事故が発生した19時14分前後のレーダー画像です。図は出していませんが、気象庁も防災情報センターのレーダー画像も10分間隔です。
色が黄色や赤になっている所がありますが、降水強度がとても強い事を意味しています。赤の点線で囲みましたが、強い降水強度のもの(エコー)が19時10分から19時20分の間に事故現場付近を通過しています。この強いエコーはほぼ東西に伸びて(線状)います。降水強度が強くそれが連なっていることは、背の高い(発達した)積乱雲列である事を意味しています。また、このエコーは日本海からやって来て、この時刻に、この場所で最も降水の強さが強くなっています。しかし、19時30分には赤いところ小さくなり、黄色いところがほとんどの固まりとなっていて、積乱雲が弱まっていることを意味しています。発達した積乱雲や発達した積乱雲列からとても強い風が吹出すことがあります。航空機が離着陸時にこれに遭うと墜落し大惨事となりますね。その後の新聞記事などによると、現場付近では強い風による被害が出たと報道されています。
 (図2)は12月25日の18時と21時の天気図です。北海道のすぐ西の発達中の低気圧があって、中心から延びる寒冷前線が本州の日本海沿いに延びています。東北地方は等圧線の間隔が狭く、強い風が吹いていることが分かります。寒冷前線は積乱雲を伴いますが、事故が発生した時刻には寒冷前線は山形県を通過していません。今回の強いエコーは、寒冷前線の東側(専門的には、低気圧の暖域と言います)にあります。


(図2)2005年12月25日の地上天気図(速報値)
左:18時  右:21時

 発達した低気圧の暖域で発達した積乱雲列が発生することはよくあります。かなり昔になりますが、昭和53年2月28日に東京の中野と千葉県の西船橋を結ぶ地下鉄東西線の荒川鉄橋で、強い風により電車が脱線転覆したことがありました。このときの強い風も、寒冷前線の通過前で、低気圧の暖域で発生したものでした。
 しかし、積乱雲がこの場所で発達し、このような強い風をもたらし、しかもそこを特急が通過したというのは、偶然の一致としか言いようがありません。なぜこの場所で積乱雲が発達し、強い風をもたらしたかは、今後の調査により解明されるものと思います。
 最後になりましたが、事故に遭われた方々にお見舞いをお見舞い申し上げるとともに、不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。事故処理をなされている方々、本当にご苦労様です。

No.49

2005.2 Categories

冬から春への橋渡し

 大阪に住んでいたとき、毎年2月中旬になると奈良の東大寺二月堂で行われる「修二会(しゅにえ)」の「お松明」で使われる竹の奉納がTVのニュースで流れていました。また、3月2日には若狭の神宮寺(小浜市)で行なわれる「お水送り」もほぼ毎年ニュースで取り上げられていました。

 「修二会(しゅにえ)」は「お水取り」の名前で親しまれています。 この行法は僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、一般の人々に変わって苦行を行い、国家安泰等を東大寺二月堂の本尊、十一面観音に祈る祈願法要で、開行以来一度も欠かされることがありません。もともとは、旧暦の2月1日から14日まで行われていましたが、現在は太陽暦の3月1日から3月14日まで行われます。
「修二会」の準備(別火)は2月20日から始められ、3月1日から3月14日までいろいろな「行」が行われます。 この「行」の間、毎日夜10本の「お松明」あげられます。12日の真夜中すなわち13日の早朝三時頃に、二月堂の下にある閼伽井屋(若狭井戸)から御本尊に備えられる香水が汲み上げられます。 これが「お水取り」の名の由来で、12日夜には11本の「お松明」があげられます。また、この井戸の水は「お水送り」が行なわれる、若狭神宮寺にある「若狭鵜の瀬」と通じていて、「お香水」は10日間で二月堂の下にある閼伽井屋に届くと言われています。


(写真3)燃える「お松明」

(写真4)「お松明」から降り注ぐ火の粉

 観光案内などで「お水取り」というと二月堂の舞台に火の帯ができた写真が有名ですね。これは大きな「お松明」を持った僧が走り抜けるときの様子で、シャッターを長い時間開放にして撮影されています。何回か見に行きましたが、二月堂の舞台に通じている回廊を火の固まりが駆け上がって行き、やがて舞台の欄干越しに火の固まりが滑っていき、舞台の右と左の角では「お松明」がくるくる回され、火の粉が滝のように降り注ぎ、それは見事な物です。
(写真1)と(写真2)は出番を待つ「お松明」です。根から掘られた竹が使われていることがわかります。(写真3)は二月堂への回廊を駆け上がっていく火の付いた「お松明」です。(写真4)は「お松明」が二月堂舞台の南角でクルクル回された時の様子です。「お松明」が行なわれる時、二月堂周辺は身動きできないくらいのすごい人でした。私はいつも二月堂と三月堂の間にある山門にへばりついて、三脚を付けたカメラで写真を撮っていました。

 (図1)に示した、奈良の最高気温と最低気温の日毎の平年値を見てください。「修二会」の準備である「別火」が始まる前は最高気温の平年値が10℃以下で最低気温の平年値が氷点下です。「修二会」が終わると最高気温は12℃以上となり、最低気温は2℃以上となっています。平年値ですから年により日々により変動はありますが、始まる前は朝だと氷が張っている気温で、日中もコートなしで外に出られません。まだまだ冬です。終わってからは、朝はまだ寒いですが、日中はコートなしでも外を歩ける気温です。まさに、「お水取り」は冬から春への橋渡しとなる行事と言えそうですね。


(図1)奈良の最高気温と最低気温の平年値

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